クロスランドおやべの近くにある、乗永寺を訪ねました。
開基は、正応3年(1290)、乗専坊。真宗大谷派の古刹です。
応仁の乱の後、勢力を強めていった浄土真宗は農民や士豪的武士を中心に各地で一向一揆を起し、越中では文明11年(1479)頃から瑞泉寺と土山御坊(後の勝興寺)の門徒らが中心となり越中一向一揆を起しました。当時の勝興寺の勢力は大名にも匹敵するといわれています。天正4年(1576)、浄土真宗本願寺派勢力(一向一揆)と小田信長との戦い「石山合戦」が勃発。11世慶善が参戦をしたその留守中、乗永寺は木舟城主・石黒左近により焼き討ちにあいます。石黒左近は後に、住職が石山合戦に参加し留守中の勝興寺を焼き討ちした人物です。
過去ブログもご覧下さい。→勝興寺石動通坊<歴史に幕を閉じる古刹>
その後、宝暦8年(1758)に現在の場所に本堂や庫裏が再建され、鐘楼堂は、翌年、真宗大谷派の大刹・城端別院善徳寺より移築されました。鐘楼堂は天正10年(1582)作の小矢部市内で最古級の建造物(小矢部市指定文化財)の1つです。移築された理由はわかっていませんが、鐘楼堂の屋根の蟇股には一向一揆衆に用いられた旗印「鶴丸紋」があります。
鐘楼堂
蟇股・「鶴丸紋」