能楽鑑賞会(2012.12.1 in クロスランドおやべ)で演目予定の「巴」は
木曽義仲と幼い頃からともに育ち、挙兵から上洛まで常に義仲に従い戦った女武将「巴御前」を題材にしています。
「巴」あらすじ
木曽の僧が、京への旅の途中の近江の粟津が原の祭礼で涙を流しながら参拝している女に出会います。
不思議に思った僧がそのわけを尋ねると、女は、ここに祀られているは木曽義仲であると答え、僧に供養を頼み、自分は亡者だと告げ夕暮れの草陰に姿を消します。
近くに住む村人に、義仲と巴のことを聞いた僧が夜どうし、読経をあげていると、長刀に甲冑姿の巴が再び現れ、
巴は、女であるという理由で、義仲から、最期を一緒にむかえることを許されなかった無念を訴え、かつての戦から最後の戦いまでを語りはじめます。
礪波山や倶利伽羅志保の合戦に於いても。
分補功名のその数。
草の露霜と消え給ふ。
(倶利伽羅峠の戦いにおいてもだれも先をこされなかったが、木曽殿の運はつき、草の露と消えてしまわれた。)
今はこれまでなりと。立ち帰り我が君を。見たてまつればいたはしや。はや御自害候ひて。
根に伏し給ひ御枕のほどに御小袖。肌の守を置き給ふを。
巴泣く泣く賜はりて。死骸に御暇申しつゝ。
行けども悲しや行きやらぬ。君の名残を如何にせん。
梨打烏帽子同じく。かしこに脱ぎ捨て。御小袖を引きかづき。
その際までの佩添への。小太刀を衣に引き隠し。処はこゝぞ近江なる。
信楽笠を木曽の里に。涙と巴はたヾひとり落ち行きしうしろめたさの執心を弔ひてたび給へ。執心を弔ひてたび給へ
(形見の小袖を着て太刀を持ち、木曽まで落ちのびた。その後ろめたい執心をお弔い下さませ。お弔い下さいませ。)
静寂と幽玄、巴の哀切な心情が感涙を誘うそうです。
語りべとしての巴
「源平盛衰記」伝巻弟三十五「巴関東下向事」には
「巴は泣々越中に超え、石黒は親しければ、此にして出家して巴の尼とて、仏に花香を奉り、主・親・朝比奈が後世弔いいけるが九十一まで待ちて、臨終目出たくして終わりにけるとぞ」との記述があります。
巴のものであるとされる庵や墓などの伝承地は北陸街道沿いに多いそうです。
巴が、かつて義仲に味方した北陸の部将たちに倶利伽羅合戦の様子を、供養の為に語って聞かせていたのでしょうか。
「まぼろしよ夢よと変わる世の中になど涙しもつきせざるらん」
巴の辞世の歌と伝えられています。
源平ライン入口付近にある「巴塚」「葵塚」
様々な巴伝説の一つに
巴が曹洞宗の開祖道元の母であるとの説が・・・
浄土真宗の盛んな北陸では、親鸞を心の支えにしていたとの説も・・・