京都清浄華院(浄土宗本山知恩院の本寺)の末寺、医王院を訪ねました。木曽義仲が倶利伽羅の戦いで戦勝を祈願した埴生護国八幡宮からわずか150メートル、毘沙門川を渡ると、民家の間から、ふいに仁王像が姿を現します。この阿形・吽形が揃った木造の仁王像は、神仏分離により廃絶となった倶利伽羅の長楽寺から医王院に移されたもので、向って右が那羅延金剛、左が密迹金剛です。仁王像は「健脚の神」といわれているそうで、健康を願ったものでしょうか?藁草履が奉納されていました。
山門をくぐると、本堂や観音堂の中に、多くの観音様が佇んでいらっしゃいます。
倶利伽羅三十三観音像のうちの11体を見ることができました。
お寺の裏手にある階段を登り墓地を抜けると、すぐそこに若宮古墳公園が広がります。時空を古代までさかのぼったような不思議な感覚です。若宮古墳は前方後円墳で長径約50M、高さ後円部約5M。出土品の須恵器や埴輪から、古墳の造られた年代は、6世紀初頭、弥生時代と考えられています。古墳は長い年月を経て、埴生護国八幡宮の施設として再利用されていたようで、医王院の本尊、銅造阿弥陀如来座像(富山県指定文化財)は若宮古墳から出土したと伝えられています。
古墳の頂上に登りあたりを見渡すと、医王院の屋根の向こうにクロスランドタワーが見えました。古代から紡いできた命がイマに繋がっている。その時そこにに生きた人の祈りや願いが形となり、長い年月、その思いが大切に受け継がれてきて史跡となってイマ目の前にある。医王院の山門は、そのことに気づくための扉だったのかもしれません。
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