いするぎ便り

歴史を求めて季節を感じて…
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仁真寺<遠祖 英雄 源義経ノ家臣 片岡八郎ナリ>

2012-02-10 | 日記

仁真寺(真宗大谷派)は源義経の家臣、義経四天王の一人であり清和天皇の嫡流 片岡八郎経晴が源頼朝に都を追われ奥州藤原氏の元に落ちのびる途中、倶利伽羅峠にて義経と惜別し友人宅に身を寄せた後、隆法坊と称し草庵を営んだのが始まりとされています。

もとは天台宗でしたが親鸞上人が越後配流の折、真宗に帰依し石山合戦(1570)の功により、本願寺より仁真寺の寺号を受け、慶安2年(1649)現在地に移転しました。

 

 

片岡家 系図

遠祖  英雄 源義経ノ家臣、片岡八郎ナリ。

義経公ハ英雄ニシテ兄頼朝ヲ助ケテ平家ヲ倒シ源氏再興シタルモ中傷ノ為兄弟不和トナリ義経公奥州平泉ノ藤原秀衡ヲ頼ッテ家臣十二人ト共ニ下向シタルニ国々ニ新閑ヲ設テ山伏ヲ取調タルニ有名ナ加賀国安宅関ノ問答トナリ関守富樫左右衛門尉ノ情ニヨッテ通過シタルモ加賀越中ノ堺ナル倶利伽羅ニテ主従惜別トナリ片岡八郎ハ友人水牧六佐ェ門方ニ身ヲ寄セ其後越中国石動駅に一宇ヲ建立シ仁真寺ト号シ真言宗トナル

仁真寺様より頂いた資料です 

 

「安宅の関」 


 

義経一行は武蔵坊弁慶を先頭に 山伏の姿で通り抜けようとする。しかし関守の富樫左衛門の元には既に義経一行が山伏姿であるという情報が届いていた。焼失した東大寺再建のための勧進を行っていると弁慶が言うと、富樫は勧進帳を読んでみるよう命じる。弁慶はたまたま持っていた巻物を勧進帳であるかのように装い、朗々と読み上げる(勧進帳読上げ)。なおも疑う富樫は山伏の心得や秘密の呪文について問い質(ただ)すが、弁慶は淀みなく答える(山伏問答)。富樫は通行を許すが、部下のひとりが義経に疑いをかけた。弁慶は主君の義経を金剛杖で叩き、疑いを晴らす。危機を脱出した一行に、富樫は失礼なことをした、と酒を勧め、弁慶は舞を披露する(延年の舞)。踊りながら義経らを逃がし、弁慶は富樫に目礼し後を急ぎ追いかける<ウィキペディアより>

 

 

歌舞伎「勧進帳」


 

 「安宅の関」の物語は能「安宅」、歌舞伎「勧進帳」として演じられてきました。

歌舞伎「勧進帳」は人気の高い演目です。

緊迫したストーリに、これぞ歌舞伎といった見せ場が続きます。

息もつかせぬ「山伏問答」、朗々と読み上げる勧進帳、「延年の舞」に豪快な飛び六法。

智・仁・勇によって展開する判官贔屓の物語を軸に豪快な荒事が加わり存分に楽しめます。 

よっ 成田屋~



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