いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

体験者~あなたも?~

2019-08-19 20:56:42 | 人生


ある高名な若い歌人が、原爆について次のように感じたと言っている。
「その怖さがわからないのは、体験がないから」
さすがである。
しかし、高齢者であれば、誰でも、
その経験を共有している。
原爆に遭わなくても、
爆撃によって丸裸にされた都市に住んでいた人は、
その怖さがわかる。
だから、若者よ、
原爆禁止運動に参加せよ、とは言わない。
君には君の事情があるだろう。
それは、尊重する。
ただ、
「その怖さがわからないのは、体験がないから」
と、若い歌人がいっていることは、心に留めてほしい。
そのうえで、
あとは、あなたが判断してください。

おじさんは強いんだよ~昭和の逸話と現代~

2019-08-18 21:00:23 | 人生


昭和の時代、
わたしの6年生のクラスで、校長先生が特別授業をしてくださった。
「今、世界で一番強い空手家の大山倍達が、東京駅で、列車から降りようとしたんだ。
すると、プラットホームから近寄ってきたやくざがいいがかりをつけてきた。
無視して降りようとしたら、数人の仲間が来て、取り囲んだ。
そこで、大山倍達が、目を細めて、低い声で
『おじさんは強いんだよ』
と言うと、
ヤクザたちは突然怖くなって、チリヂリに逃げていったんだそうだ。」
みんな感心してほお、という表情をした。
この話は受けた。

ちょっと、作り話っぽいが、いい話だった。

同じような事が起きたら、今はどうだろう。
「おじさんは強いんだよ」と言った瞬間、
前後左右から仲間が棒切れをもって殴りかかり、
空手家は、ぶったおれてしまうだろう。

なつかしの校長先生は、
もう90歳を超え、
施設の中で、みなに支えられて生きておられる。
あの人のことだから、
介護職の方にも尊敬され、
手厚い介護をうけておられるだろう。

ほんとうに、いい先生だった。








マグマ~フロイトと小椋佳~

2019-08-16 21:50:04 | 人生


小椋佳に「マグマ」という作品がある。
底深い無意識のことを、
マグマ
と呼ぶ。
氷が水の上から見えるどころではなく、
表面からは見えない1000000%の基礎を
もっている、
ということである。

かつて、フロイトは、
無意識の世界を解明して、
20世紀の常識を形成した。

小椋佳は、人間の無意識が
マグマのごとく
人間を支配しているというのである。

ユーチューブで検索して、
でてくるかどうかわからない。

が、
小椋佳は
フロイトよりももっと人間の本質をついている。



今、老人に望まれること

2019-08-16 21:42:22 | 人生

4人にひとりが65歳以上という現状。
高齢者にはなにが望まれるのだろう。
働ける方は、
経験を生かして働いていただきたい。
あなたの力は、日本の宝だ。

会社
老人クラブ
自治会

ボランティアできる、
恵まれた方は、
経験を生かして世に貢献していただきたい。

病気の方は、
ゆっくり休んで、
家族や周囲に光をともしていただきたい。

御願いたてまつります。


stray sheep から、ひとこと

2019-08-16 21:01:50 | 人生


迷える仔羊……
実は、わたしも、迷える仔羊である。
なにをやっても、満足にできない。
がんばっても、がんばっても、
隣人の力になってあげることができない。
迷ってばかり。
「ウケ」を狙いたくなったり、
本心が伝わらなかったり。

ひとり、
迷える仔羊がいた。
彼女は、私がいない間に、
他の教師から、大きな傷をつけられた。
守ってあげられなかったことは、
謝る。
私が健康を害し、
休んだからだ。
あのとき、彼女ととともにいられたら……
ずっとそう思っていた。
しかし、
償いは
懸命に生きることしかない。

迷える子羊よ。
君が、健康に働いているのを見て、
ほんとうにうれしかった。

わたしもまた、
迷える子羊だ、
と明かすつもりはない。
罪は残ったままだ。

でも、頼むから、ずっと元気でいてくれ。
君は、
わたしの宝だ、
こころから。

彼女に、ある場所で再会した。
言葉はかわしていない。
ただ、
迷える子羊は、
君と再会したという宝を、心から感謝している。



もっとも高度な仕事~郵便配達~

2019-08-15 21:14:02 | 人生


いままで生きてきて、
20種の仕事を体験した。
そのうち、もっとも難しかったのは、
郵便配達夫である。
「あんなものなんで」
と思う方は、経験が足りない。
彼らは、若いときから修練を積んだ、
天才集団である。
若いうちに体験しないと、覚えられない。

身内や知り合いにこの仕事をしている方があったら、
ご存知であろう。

彼らは、天才集団である。




人生で一番嫌な奴~それは恩師~

2019-08-15 20:59:11 | 人生


人生で、一番嫌なやつがいた。
上司であった。
学校の教員をしていた頃、
所属長に、退職を勧められた。
「なんで」と思った。
凄まじい仕打ちを受けた
父は、死ぬ直前
「あいつは、恨み殺してやる」と言った。
本人に伝えてやろうかと思ったが、
やめた。

しかし、
しばらくし、いろいろな仕事や経験をするうち、
「退職に追い込んだあいつが、我が人生最高の上司ではなかったか」
と思うようになった。
あの仕事は、向いていなかった。
最終的には、大学の教員をしたが、
人生で、
20種の職を経験することができた。
それは、学校をやめたゆえであり、
そのおかげで、豊かな経験を頂いたのだ。

今は、
彼に感謝している。

閲覧数30万を超えて~御礼~プラチナを目指して

2019-08-15 20:38:20 | 人生


ブログをはじめて、5年になる。
その間、多くの方の助けをいただき、
本日、閲覧数30万を超えた。
読者の皆様に御礼申し上げる。

記念に、自己紹介も新しくした。
「沈黙は金、雄弁は銀」と忠告してくださった方がある。
その忠告は、ありがたく受け取る。
しかし、
わたしは、金や銀を目指しているのではない。
目標は、記事の質の高さである。
目指すはプラチナ。
優れた記事を、多くの方に提供する。
これまで、
幼稚園生
小学校児童
中学校生徒
高校生
大学生
大学院生
社会人
と、多くの方の教育に携わってきた。
また、
20種類以上の仕事をした。
最後は、大学生が対象であった。
その経験から得た教訓を活かしたい。
プラチナのような質の高いブログにしたい。
これが、偽らざる気持ちである。
ときには難しすぎる、
ときには通俗的過ぎる、
易しすぎる、
ということがあるのは、承知の上である。
迅速、丁寧をモットーとする。
なにしろ、情報の提供対象年齢が広いので、
そのへんは、許していただきたい。

ネットにオンしたとき、気軽にお立ち寄りください。











ブロガー宣言~なぜ私はブログを書くのか~

2019-08-13 19:03:05 | 人生


私の、ブロガーとしての基本方針は、次のとおりである。

①優れた情報を、なるべく早く伝える。
②日本文化を正しく伝える。
 
たとえば、
 将棋、短歌。

そのためには、話題にすべきことが、多岐にわたる。
あらゆるジャンルにアンテナを張らねばならない。
そのため、常に生きた情報に触れておかねばならない。

ターゲットは、
小学生から90歳代まで。

ゆえに、難しすぎる場合もある。
しかし、ホンモノを伝えるためには、やむを得ないことである。
そのかわり、
あなたが子どもであろうと、
青年であろうと、
老人であろうと、
ブログを読むうち、文章力、読解力が養われる。
社会の本当の動きを知ることができる。
現代では、情報過多であるため、
かえって優れた情報にアクセスすることができないことを、
多く見てきた。
そこで、
ときには噛み砕いて、
ときには難しいままで、
優れた情報だけを載せることにした。

新聞や雑誌では、
書き手の本当の意見は、なかなか露出しない。
記者がネタをとってきても、
デスクが承認し、
新聞社や雑誌の方針に従ったものでないと、
表に出ない。

この欠点を補うために、
あえて自らのプライバシーまで犠牲にして、
フリージャーナリストをやっているのである。
ただし、どこからもカネはもらわない。
わたしのブログにも、多くのコマーシャルが掲載されている。
しかし、そこからブロガーにカネがくることはない。
完全なボランティアである。

以上、簡単に「ブロガー宣言」をした。
そういう目で、読んで頂くとありがたい。






海軍主計中尉小泉信吉の南方からの手紙~戦艦那須乗艦中~

2019-06-29 20:10:31 | 人生


昭和17年、海軍主計中尉小泉信吉(24歳)は、
戦艦「那須」に乗艦し、南方海上(ガダルカナル)にいた。
戦争の真っただ中とはいえ、国内との郵便のやりとりもでき、
日常の生活は生活として、淡々とすすんでゆく。
まるで、日本の中から日本の中への手紙のように、
何もないかのように交わされれる。
その感覚を理解できるようにするため、
信吉から家族4人への手紙を摘記してみる。

……

5月27日付

先日のお手紙に小生が下士官に講義をする予定と申し上げましたが、あれは無事に済みました。
上手に講義できたかどうかは自分ではわかりませんが、気が付いていることは、講義に際して非常に「それだからなあ」「そこでなあ」という口調をしたことです。これは講義を始めるとすぐ自分で気が付いたのですが、なんともなし難いのです。これが中学校か何かなら「なあ先生」とか「なあ公」とかいった綽名がつけられはしないかと考えています。試験を行わねばいかんのだそうで、問題を出せという命令です。実に何とも面映ゆいような気持ちで問題を作り、教育主任に手渡しました。わが身をつねって人の痛さを知れ……。極く易しい問題です。それからおかしく感じたことは、嘗て戦争の始まる前には胸がわくわくするだろうと考えていたのがなんでもなく、そして今度の講義をする前には何か落ち着かぬ気持になってしまったことで、不思議なものだと思いました。
(以下略)

昭和17年5月27日
                       那智艦上 信吉
父上様
母上様
加代子様
妙様

……

筆者の闊達な筆で、戦時中の戦艦の中のことを平易におもしろく語っている。


















海軍主計大尉小泉信吉の一生を振り返って~小泉信三~

2019-06-27 19:13:24 | 人生

大正7年1月17日に生まれ、
昭和17年10月22日に戦死した
海軍主計大尉小泉信吉。
25歳であった。
極めて性格温良だったという。
慶應義塾の塾長小泉信三の一人息子である。
出生時、父は31歳、母は24歳であり、
のち、2人の妹が生まれた。

今回は、父信三の著書「海軍主計大尉小泉信吉」にまとめられた、
信三による、信吉の「こうであったろう」人生を、摘記しておきたい。

……

信吉の一生は、平凡な一生であった。
彼は平凡な家庭に生まれ、平穏無事に成長した。父も祖父も伯父叔父も従弟も学んだ同じ学校に入り、小学、中学、大学と一貫してそこで教育せられ、卒業して志望した銀行に採用せられ、図らずも少年の日の夢であった海軍士官となって第一線に戦った。
無事も無事、平たん極まる道を歩んだ男であって、最後の戦死そのことが彼の生涯の恐らく唯一つの事件であったろう。
彼に如何なる特徴があったか。親の私にはほとんど語ることができない。ただ父母同胞親戚友人を愛し、その人々に愛せられ、少しばかり学問を好み、同じく少しばかり絵画音楽を愛し、子どもの時から海洋、船舶、海軍に関する異常の憧憬をいだいたというだけの青年であった。
若し常の世に生きたら、彼は日々銀行の勤務につとめ、余暇をもって読書し、できれば著述し、妻を娶り、父となり、運が良ければ順当に昇進して老境に入るという一生を送ったであろう。
その信吉と言う男が、南太平洋上に敵弾に中って艦橋に倒れるとは、実に思いもかけぬことであった。
信吉が生まれた大正7年は、西暦1918年で、5年にわたる第1次世界大戦の終息した年である。
当時、この幼児の成長の暁に再び世界の対戦が起こり、この幼児そのものもこの大戦に死ぬであろうとは、何人も予想しなかったことであろう。その信吉自身が小時の夢に開戦に死ぬことを空想したというのは、今となってみれば不思議な暗合であった。
(以下略)

……

戦争によって愛児を奪われた老学者の回想には、胸を打つものがある。















海軍主計中尉尉小泉信吉君をいたむ~山本五十六~

2019-06-26 20:31:57 | 人生


ある人物の大要を知ろうとするとき、Wikipedia等を使うと、
なにか、かたい、得体の知れない姿にうつることがある。
ネットという特殊なツールだからであろう。
実際に遭ったとか、自分で調べたり文章を読んで知った、
ということになると、話は別で、
感想は、生き生きしたものになる。

一海軍主計大尉であった小泉信吉が25歳で戦死したとき、
さほど中の深くない山本五十六連合艦隊司令長官が、わざわざ
その父である慶応大学塾長小泉信三に、追悼文を送った。
小泉信三が、「師・友・書籍・第2編」を進呈したことを踏まえたうえでのことである。
内容は以下のとおりである。

拝復

11月2日付貴信ならびに貴著「師・友・書籍・第2編」拝承ありがたく御礼申し上げます。しかるところ時を同じゅうして海軍主計中尉のご令息には10月末南太平洋海戦においてご奮戦壮烈なる御戦死のおもむきを伝え承り、痛恨愛惜にたえず、ことに唯おひとりのご令息の由承り、一層ご同情の念深刻なる次第に御座候。御著書中の私信はご令息に対する御慰問御激励の文とも承り、御心情深くお察し申し上げ候。
(以下略)
11月尽日
                      山本五十六
小泉信三様

……

小泉信三が、以下のように説明している。その心情は、生の文章を読むからこそ伝わってくるのであろう。

山本司令長官とは深く交わったと言いうるほどの間柄ではない。かすかな面識は数年前からあった。
昭和12年の春、慶應義塾塾生が宮城前へ戦果行進の更新を行ったことがある。そのとき私は海軍省へも出頭して祝辞を述べた。それを受けたのが当時の山本海軍次官であった。大臣室であるか、応接室であるか、広い一間に招ぜられて、祝辞謝辞を交換した後、座って少しばかり雑談した。丁重な山本次官は、私の帰る時、玄関前まで送って出て、私の車が動き出してもなお、そこに立っておられた。その後教育審議会の会合その他で委員としての山本次官に会って、目礼したり数語を交えたりしたことがある。
(以下略)
……

こうして、文章を読み、味わうと、Wikipedia等では感ずることのできない、しみじみとした感慨が伝わってくるのである。







































現代日本で1か月いくらで生活できるか?~老後2000万円必要だとは本当か?~

2019-06-18 21:23:40 | 人生


老後の貯えに2000万円必要だという政府の見解が話題になっている。
政府自体が、この発表から後退し、見解を改めた。
そのとおりで、すべての若い日本人世帯が老後2000万円なければ
充分な生活ができない、と言っては、誇張になってしまう。
理屈はともかく、こうした、配慮に欠けた報道は、
以前にもたくさんあったし、今後も絶えないだろう。

ところで、
現代日本で最低限の生活をするためにはいくらくらい必要なのだろう?
私たちが議論したところ、
月7~8万円くらいではないか、という結論になった。
住んでいる家があるなら(これは重要だけれども)、
節約すれば、どうにでもなる。
一人暮らし、単独世帯であれば、
スーパーマーケットや安売りで、低価格のものが買える。
また、100円ショップ、300円ショップなどがあり、
安上がりな生活をするための条件は揃っているのである。

生活保護費は、単独で生きる人は、11~12万円だそうだ。
貸家に住む、という条件があり、家賃は4~5万円と想定されるので、
生活保護世帯でも、
最低生活は保障される、ということになる。

いろいろ議論があるのはわかるが、その境遇になれば、
様々な生き方が可能だ、
とは言えると思う。

















テレビのない生活は不便か?

2019-06-13 22:07:41 | 人生


テレビのない生活をはじめて、
2年になる。
テレビが故障し、めんどうでそのままにしていたことがはじまり。
始めは、不便で仕方がなかった。
番組を見たいということがなくても、
BGMにしていたから、
生活が物足りなくなった。
買おうと思えば買えるのだ。
3万円もだせば、
ちゃんとしたテレビが買える。
が、
そのままにしておいた。
やがて、テレビを見ることがまったくなくなってから、
2年もとたつと、
テレビを見る必要を感じなくなった。
考えてみれば、うちでテレビを見るようになったのは6歳の頃で、
それまでは、テレビの存在すら知らなかったのだ。

そういうわけで、いまだにテレビのない生活をしている。

しかし、やることはたくさんある。
充実した生活を送っている。
テレビはなくても、不便ではない。


































愛犬ジローの思い出~買い物するイヌ~お題にこたえて

2019-06-13 21:31:58 | 人生


お題に応えて。

母の実家に、柴犬の「ジロー」という愛犬がいた。
たいそう賢い。
かごをくわえ、中に買い物のメモとお金を入れてもらう。
そのまま、ひとりで街に出て、
用のある店を回り、メモに書いた品物をかごに入れてもらい、
お金の勘定をしてもらってお金をかごに入れてもらう。
ひととおり用が済むと、さっさと家に帰る。
というわけで、
商店街の人も心得ていて、キチンと対応してくれる。
こどもに買い物を頼むより、
この方法の方が易しかったそうである。