昔、上司に「将棋はやめろ」とよく言われた。
それなりに含むところがあったのだろうが、
これだけは、決してやめなかった。
生まれてから、半世紀をだいぶ過ぎた。
よくも生きてきたものだと思う。
今にして思う。将棋をやめなくてよかった。
時間がある程度とれるようになり、暇な休日もある。
思いが千々に乱れて、眠れぬ夜もある。
しかし、いつも将棋は友達である。
空いた時間、棋友(将棋のともだち)と指す将棋の楽しさは、格別である。
定跡を並べて、優れた理論に感動することもある。
眠れぬ夜は、詰将棋を解いて過ごす。
指し終えて、棋友と歓談する楽しさ。
アマとして、勝ち負けを越えた楽しみ方ができる。
プロの将棋を並べて、感動することもある。
指している最中、すべてを忘れて時間が過ぎる。
没我の楽しさである。
あと、どれだけ生きることができるかわからないが、
指せる限り、指していたい。
将棋の効用。
来世でも説きたいと思う。
それなりに含むところがあったのだろうが、
これだけは、決してやめなかった。
生まれてから、半世紀をだいぶ過ぎた。
よくも生きてきたものだと思う。
今にして思う。将棋をやめなくてよかった。
時間がある程度とれるようになり、暇な休日もある。
思いが千々に乱れて、眠れぬ夜もある。
しかし、いつも将棋は友達である。
空いた時間、棋友(将棋のともだち)と指す将棋の楽しさは、格別である。
定跡を並べて、優れた理論に感動することもある。
眠れぬ夜は、詰将棋を解いて過ごす。
指し終えて、棋友と歓談する楽しさ。
アマとして、勝ち負けを越えた楽しみ方ができる。
プロの将棋を並べて、感動することもある。
指している最中、すべてを忘れて時間が過ぎる。
没我の楽しさである。
あと、どれだけ生きることができるかわからないが、
指せる限り、指していたい。
将棋の効用。
来世でも説きたいと思う。