いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

音楽の好み

2017-04-13 08:08:44 | 日記
身分的な変化があって、まだ日が立たない。
時間的余裕ができた。
いちばん変わったのは、聴く音楽の種類である。
幅広く、今まで聴かなかったものまで聴くようになった。
ユーチューブで聴けば「あなたへのおすすめ」というのがある。
それをたどっていくと、
自分に合いそうな音楽、しかもこれまでに聴かなかった音楽の旅を
楽しむことができる。
それは、心地よい世界だった。
気持ちがリフレッシュされる。
新しい世界が見える、聴ける。
・・・と、楽しんでいた。
が、そのうち、変なことに気づいた。
結局のところ、一番たくさん聴く音楽ばかり「おすすめ」になるのである。
そこで、心して、新しいものばかり聴くようにした。
そこにはまた、新しい世界がある。
これまで、味わわなかった世界がある。
気分転換をしようとするとき、
このことに特に注意を向けた。
旅をしようと思っている。
生活に変化をつけようと思っている。
そのひとつの方便として、
聴く音楽を変える、ということがある。
それによってもたらされる変化に、気分が反応し、
新しい状況が、頭に浮かんでくる。
旅をしよう。
聴く音楽を変えよう。
友と、旅をしよう。

暇の功用

2017-04-12 06:39:49 | 日記
今は、どこにも属さず、自由な生活を送っている。
いろいろなことに、気づく。
仕事から解放されて、職業的なバイアスがなくなると
自分自身の素が見えた来た。
こうせねば「ならない」ということがない。
暇がある。
まず、音楽を、きわめて幅広く聴くようになった。
そして、さまざまな歌に共感する。
人に対して共感して、我知らず、そばにたたずむ、
ということも多くなった。
自分の感情の幅が、きわめて広い。
前は、それを損と思って、いたが、
今は、そう思わない。
暇に任せて、へたな小説や詩を書こうとすると、
どんどんいろいろな感情が湧いてくる。
アイディアが湧いてくる。
共感、同情、憐れみ、怒り、悲しみ。
自分の感情の幅が広いのを、改めて確認した。
実生活の中でも、様々な人と感情を共有する自分を見つけた。
あえて、職業的なバイアスを取り去ってみたのは、正解だったようだ。
この「暇」から、どんな自分が新たに発見されるのだろう。
楽しみである。

ひとりの人として

2017-04-10 10:52:17 | 日記
大学を退職してから、10日になる。
次の仕事を始めるまで、少し、休んでいる。
意識が、ずいぶん変わった。
「先生」というのは、偉いのか?
どうも、そうだとばかりは言えないようだ。
教師をしているから見えないこともある。
「教えなければならないこと」を教える人間から、自由に人を見る人間に変わった。
余計な知識を振りかざさなくてよい。
だから、フェイスブックに、自由にアフォリズムを投稿してみた。
結構、賛同してくれる人もいた。
教育学を専攻していた。
医学と教育学は、根本的に違うところがある。
医学の場合、診断病名を定めることが、極めて重要だ。
それに対し、教育学の一派では、被教育者を一定の尺度ではかることを、極端に嫌う。
診断したとたん、その人そのものが見えなくなる、というのだ。
その人を、全的に見ることを、要求する。
しかし、今は、むかし、「教育的に」全的に見ていたことに、気づいた。
我知らず、「教育的に」、診断していたのだ。
今は、知識を取り去ったところで、考えるようになった。
難しい専門用語で考えなくてよい。
そうすると、
ありのままの「その人」が見える。
「その人」が、今までとは違って見える。
その内容は、これから、少しずつ整理していきたい。
正式な「職」から、離れていることは、意外に苦痛にならない。
やることは、たくさんある。
本も、自由に読める。
自由な活動ができる。
趣味も楽しめる。
その喜び、というのがある。
やりたいと思っていたことを、ひとつひとつ、大事に実行していきたいと思っている。