今日、
図書館主催の
読み聞かせ会の
ボランティアとして、
3回目の出席。
さて、
わたしは、
約50年間にわたって、
学校教育を受けた。
そのなかで、
ひとりだけ、
ひとりだけ、
どうしても
赦せない男がいた。
ところが、
ボランティアを終えて
家に帰り、
横になっている間に、
突然
「赦せる」
と思えたのだ。
なんでだろう?
よく考えてみると、
決定的な
ひとことが
あった。
ボランティア仲間に
初自己紹介をさせていただいたのだが、
「よろしくお願いします。」と
言ったあと、
ある職員(20~30代)が、
本気が冗談か、
「指導してあげてください」
と言った。
どうも、それである。
この強情なわたしが、
「従順(というと命令臭いので、obedience)」
と、
長い間、
学生に言い続けていた
答えとして、
身に沁みた。
それで、
その男も
赦せる自分になっていることを
感じた。
兄が早逝して、
甥、姪たちと接していたが、
まあ、教育するつもりで、
教育されていた。
彼らと同じ年のひとの
ひとことが、
こんなに沁みたのは、
なぜだろう?
で、
大切な時を
控えた私は、
ひといき
つくことができた。
好き放題にしてきた
我が人生。
これからも
好き放題に
するだろうが、
根底に、
この
”obedience”
を
中心に、
やっていくだろうな、
と
感じている。
これからも、
好き勝手にやるだろうが、
いままでとは
ちょっと、
変わるかもしれない。
reborth
の
日が来た。
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