河原より夜をまぎれ来し敵兵の3人迄を抑へて刺せり
宮柊二27歳のときの歌である。
歌集「山西省」に収められている。
過酷な戦争(日中戦争)の中の出来事である。
少々説明せねば、状況がわからないだろう。
宮柊二
1912年生まれ、1986年死亡(74歳)。
商家に生まれ、分けあってエリートの道に進むことなく家業を継いだ。
歌人北原白秋に師事し、富士製鉄に勤める。
日中戦争が勃発し、1939年に招集され、中国山西省にわたる。
一兵卒として、戦争の第一線で戦う。
はじめに挙げた歌は、そういう生活の中で生まれた歌である。
宮は、薦められたのにもかかわらず、幹部候補生になることを拒否した。
理由は、次の歌から推測できる。
おそらくは知らるるなけむ一兵の生の有様をまつぶさに遂げむ
幹部でなく、最前線の一兵卒として働く道を自ら選んだのである。
次の歌も、そのような体験から生まれたものである。
……
自爆せし敵のむくろの若かるを哀れみつつは振り返りみず
胸元に銃剣受けし捕虜ふたり青深谷に姿を呑まれる
5度6度つづけざま敵弾が岩を打ちし時わが軽機関銃鳴り初む
不覚の涙落とせり隊長を担架にゆりて担ぎ上げしとき
……
戦後、宮は製鉄会社に勤めつつ、歌人として短歌結社「コスモス」を運営し、
歌を発表し続けた。
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