くろちゃん通信 (最終回):「くろちゃん」の本名は、青木くろず。熊本市内で保護された、元野良の黒猫です。空き地で餓死寸前だったところを保護された経緯から「これからは苦労知らず(=くろず)だよ」との祈りを込めて、名付けました。通称「くろちゃん」。
私たちが阿蘇へ移住してきたのが2012年の1月、くろちゃんはその3カ月後くらいに我が家へ来たので、ほぼ同時に阿蘇で暮らしはじめたような記憶があります。水害も大地震も、一緒に乗り越えてきました。知らない土地で不安に思っていた私たちの心のよりどころのような、頼もしい仲間……人間と猫の関係を越えた、家族というか、戦友のような存在なのです。
※我が家へ来たばかり、子猫だった「くろちゃん」。
それまで私たちは猫を飼ったことがなく、猫がこれほど情緒豊かで愛情深く、頭が賢いとは思っていなかったので、ただ「かわいそうな猫を面倒見てあげよう」くらいのつもりで飼いはじめました。それが一緒に暮らしていくうち、くろちゃんへの精神的依存度は日増しに高くなり、今やくろちゃん無しでは日々の暮らしは成立しないくらいの存在になりました。
くろちゃんは、たぶん他の猫よりも思慮深い猫…飼い主の欲目かもしれませんが…そんな気がしています。それでも、猫は猫なので、本能に忠実なところは隠しようがなく、とりわけ誰よりも食欲が旺盛な黒猫でした。おそらくその幼児体験から「食べないと死ぬ」と身をもって学習しているようで、食事は与えられただけ全部食べてしまうし、食べすぎたら吐くというライフスタイルですから、私たちが常に食事量をコントロールし、余計なものを食べさせないよう健康管理してきました。
それが今年の4月の後半、急に食べる量が少なくなり、口のまわりにウェットフードをつけてあげればなめて食べる程度にまで食欲が落ちてしまいました。5月に入ってからは水は飲むけれど、食事は一切拒絶。クスリを飲ませても吐き出すくらい、かたくなな絶食状態になりました。唯一、買ってきたカツオのお刺身だけはよく食べました。でも、それも長くは続かず、結局は断食状態に。
くろちゃんは自分の体力を意図的に落としているようにも見え、水を飲みに部屋から出てくるだけで、あとはおとなしく座っているだけの日が続きました。それが5月14日朝、にわかに自分の部屋から出てきて、それまで日課にしていた窓際の日向ぼっこ、働く園主を窓越しに観察して、お昼のチャイムに合わせてにゃーにゃー鳴いて、やはり餌は食べないものの、しばらく座っていなかったくろちゃん専用椅子の上にも腰掛け、私のひざの上にも乗り「もしかしたら体調が戻りはじめたんじゃ?」と期待させるほど、いつも通りに振る舞って、その日は眠りにつきました。
5月15日。昨日とはうって変わって、静かなくろちゃん。ゆっくりと呼吸するだけで、ほとんど身体を動かすことはなく、まばたきもせず、泰然としていました。午後、園主がくろちゃんの頭に手を充てて労っていたら、微かな力を振り絞っておでこを手のひらに「スキスキ」と押し付けたそうです。「苦しかったら頑張らなくていいんだよ」と声をかけ、私たちは近くに座りながら時折くろちゃんのほうへ目を向けると、こちらを見ているようで瞳がキラキラ光っていました。
くろちゃんが寂しくないように、夜はくろちゃんの前に布団を敷いて看病していましたが、もしかしたら今夜が峠かもしれないと思った私は軽く仮眠をとっておくことにしました。そして園主も椅子から立ち上がり、私たちを見ているくろちゃんに「またあとでね」と声をかけると何かを不審に感じて、体にさわると死後硬直をしていました。くろちゃんは、会話している私たちを見つめながら、苦しみもがくこともなく静かに旅立っていました。くろちゃん、いままで本当にありがとう。
いままで「くろちゃん通信」を楽しみにアクセスいただいていた方々、これまでくろちゃんを可愛がっていただき、誠にありがとうございました。