今、シノプを書いているんですが、
最近気づいたことがあるのです。
私も若い頃から企画書を書かされることが多く、
また映画のシナリオを請け負ったこともあります。
正直仕事が来た時は天にも昇る気持ちですが、
やがて嫌になります。
それはなぜかというと、シナリオというものが、
自分の意見では書けないからです。
自分の裁量で書くことができないのです。
つねに、監督やプロデューサ―が居て、
お客さんがクライアントというよりも、
この人たちが、ライターにとってクライアントだからです。
なので、脚本家の意向はほぼ反映することが
できないのです。
例えば、ここに一人のライターがいるとして、
この人が自分で考え、自分で100%の答えを出して、
書いたとします。
それを持って行ったとたん、やいのやいのと批判が
飛んでくるのです。
まるで文句を言わなければ損とでもいうくらい・・・。
そして、あーだこーだと難癖をつけられ、挙句の果ては
人格否定までされます。
そうして書き直しを命ぜられ、
直して持っていくと、また批判・・・。
これが延々と続きます。
最後にはライター自身も嫌になり、
私、才能ないのかも・・・と
自信をなくしてしまうのです。
こうやって途中でやめていくライターは多いのではないでしょうか。
もったいないですね。
私はこれは映画界の悪しき伝統だと思います。
叩けばいいものができるという勘違いです。
(昔の体育会系のノリ。現場のノリです)
もうそんな時代は終わったのになあ~・・・。
なんか映画界自体が前時代的な遺物になっているな、
と思います。
まあ、ご多聞にもれず、今私もその渦中にいます。
私が考えたものは、正直1稿でベストです。
大体なんでも1稿が素晴らしいのです。
浮かんだアイディアそのものの勢いがありますからね。
けれど、あーだこーだと難癖をつけられます。
そうしていくうちに、つまんないものになってしまうのです。
私はそれで自信を失い、自分には才能がないのだと
長い間苦しんできました。
でもそうじゃなかったんだなと最近思い直しています。
なぜつまんないものになるかと言うと、
口を出す人が多すぎるからです。
ライターに任しときゃいいのになあと思います。
そして、理想の物は、それぞれの人の中に、
その人の頭の中にしかないということに、
遅ればせながら、ようやく気づいたのです。
だから難癖つけられても、それはその人の問題でしか
ないということなのです。
だから、ライターは自信を失うことなんてないのです。
だって、誰も他人の頭の中なんて覗けないんですもの。
他人の頭の中にしかないイメージをどうやって形にするかです。
正直、無理です。
無理難題です。
なので、ライターの仕事は、あーだ、こーだ言う人たちの
意見を聞いて、それを繋げて一つにまとめることだなあ・・・と
最近考えています。
私のクライアントは、映画を観に来る観客ではなくて、
あくまで監督やプロデューサーなのだと。
その中で自分の色が出せればいいけれど、無理なら、
無理強いはしないこと。
それが職業作家ということなんだろうな~・・・
と思いました。
そう思うと、なんだか気が楽になりました。
私も今度のシノプでプロデューサーがめちゃ文句を
言っていると言われ、次回の打ち合わせで、
へこまされるのだろうな・・・とユーツだったのですが、
他人のイメージなんて私にはわかるはずはないのだと、
割り切ろうと思いました。
それを汲み取れる才能は自分にはないのだと。
占い師でもあるまいし・・・(^^;)
だから、はいはいと聞いて彼らが言ったことを
つなげていこうと思いました。
まあ、つながればですけど・・・。
それでも文句を言わるのだったら、
もう降りようと心を決めたのでした。
まあ、そんな感じです。
☆それでは今日もよい1日を。
最近気づいたことがあるのです。
私も若い頃から企画書を書かされることが多く、
また映画のシナリオを請け負ったこともあります。
正直仕事が来た時は天にも昇る気持ちですが、
やがて嫌になります。
それはなぜかというと、シナリオというものが、
自分の意見では書けないからです。
自分の裁量で書くことができないのです。
つねに、監督やプロデューサ―が居て、
お客さんがクライアントというよりも、
この人たちが、ライターにとってクライアントだからです。
なので、脚本家の意向はほぼ反映することが
できないのです。
例えば、ここに一人のライターがいるとして、
この人が自分で考え、自分で100%の答えを出して、
書いたとします。
それを持って行ったとたん、やいのやいのと批判が
飛んでくるのです。
まるで文句を言わなければ損とでもいうくらい・・・。
そして、あーだこーだと難癖をつけられ、挙句の果ては
人格否定までされます。
そうして書き直しを命ぜられ、
直して持っていくと、また批判・・・。
これが延々と続きます。
最後にはライター自身も嫌になり、
私、才能ないのかも・・・と
自信をなくしてしまうのです。
こうやって途中でやめていくライターは多いのではないでしょうか。
もったいないですね。
私はこれは映画界の悪しき伝統だと思います。
叩けばいいものができるという勘違いです。
(昔の体育会系のノリ。現場のノリです)
もうそんな時代は終わったのになあ~・・・。
なんか映画界自体が前時代的な遺物になっているな、
と思います。
まあ、ご多聞にもれず、今私もその渦中にいます。
私が考えたものは、正直1稿でベストです。
大体なんでも1稿が素晴らしいのです。
浮かんだアイディアそのものの勢いがありますからね。
けれど、あーだこーだと難癖をつけられます。
そうしていくうちに、つまんないものになってしまうのです。
私はそれで自信を失い、自分には才能がないのだと
長い間苦しんできました。
でもそうじゃなかったんだなと最近思い直しています。
なぜつまんないものになるかと言うと、
口を出す人が多すぎるからです。
ライターに任しときゃいいのになあと思います。
そして、理想の物は、それぞれの人の中に、
その人の頭の中にしかないということに、
遅ればせながら、ようやく気づいたのです。
だから難癖つけられても、それはその人の問題でしか
ないということなのです。
だから、ライターは自信を失うことなんてないのです。
だって、誰も他人の頭の中なんて覗けないんですもの。
他人の頭の中にしかないイメージをどうやって形にするかです。
正直、無理です。
無理難題です。
なので、ライターの仕事は、あーだ、こーだ言う人たちの
意見を聞いて、それを繋げて一つにまとめることだなあ・・・と
最近考えています。
私のクライアントは、映画を観に来る観客ではなくて、
あくまで監督やプロデューサーなのだと。
その中で自分の色が出せればいいけれど、無理なら、
無理強いはしないこと。
それが職業作家ということなんだろうな~・・・
と思いました。
そう思うと、なんだか気が楽になりました。
私も今度のシノプでプロデューサーがめちゃ文句を
言っていると言われ、次回の打ち合わせで、
へこまされるのだろうな・・・とユーツだったのですが、
他人のイメージなんて私にはわかるはずはないのだと、
割り切ろうと思いました。
それを汲み取れる才能は自分にはないのだと。
占い師でもあるまいし・・・(^^;)
だから、はいはいと聞いて彼らが言ったことを
つなげていこうと思いました。
まあ、つながればですけど・・・。
それでも文句を言わるのだったら、
もう降りようと心を決めたのでした。
まあ、そんな感じです。
☆それでは今日もよい1日を。