私のつれづれ日記

日々のどーでもいいことを呟いていきます。

別に

2021年11月30日 | 日々つつがなし
父の意思など関係ないんだ。

私は私で生きていきます。

私の感情を大事にします。




☆それでは今日も良い一日を。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私、全てが分かった!

2021年11月27日 | 日々つつがなし
この世に生きる全ての目的は、

和を持って尊す

なんだ。

この世で一番大切な事は、
他の人々と仲良く、和を持って生きること。

これ以外にないのだ、
と思った。


その他のお金を稼ぐことや
有名になること
異性にモテる事、
他の人より抜きん出ること、
など、
どうでもいいことで、

一番大切な事は、
周りの人と仲良くすること、
そうして調和して生きること、

それに他ならないのだ。


もちろん、これは、悪しき思いとまで同調すると言うことではない。

他人の人生を尊重すること。
そして、自分の人生をも尊重すると言うことだ。

自分の人生を大切にすると、自ずと他人の悪しき思いとなど同調しなくでいいと分かるだろう。



今、私の目の前には一本の道が見えている。

それはどこまでも真っ直ぐに伸びている。

私はそれを、歩めばいいのだ。

私の道を歩いていけば…。
一歩、また一歩と。


ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。


全てのものに感謝します。

お父さん、お母さん、ありがとう。
お二人の子供で良かったよ。
私たち子どもを愛してくれて、
大切に育ててくれてありがとう。


ありがとう。
ありがとう。
あなた方の大いなる愛に感謝いたします。




☆それでは今日も良い一日を。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3回目は無しよ

2021年11月26日 | 日々つつがなし
今日、仕事部屋にしているジョイフルへ行く道すがら、ふと思ったのは、

弟夫婦と私は、過去世で2回も出会って、私は彼らに殺されたと言うのに、

そして、今回が3回目の邂逅だったと言うのに、彼らは私を助けなかったのだ。

本当ならば、彼らは殺した相手である私に対して、今世で償いをしなければならなかった筈だけど、
しかもわざわざ身内として設定までしてきたのにも関わらず…だ。

そればかりか、さまざまな嫌がらせをして、私を排除しようとしたのだ。

そのことで、ついに、地獄へ行くことになってしまった。

つまり、3回目は無しよと言うことだ。

3回目は最後のチャンスなので、過去の2回の失敗を通じて、今度こそは殺した相手を助けたり、親切にしなければならなかったのだが、彼らにはそれが出来なかった。

やはり、前回、前々回と同じように、私に対して、貶めるような事を言ったり、陰に日向に私の悪口を吹聴しまくって、私の立場を悪くしたのだ。

だからもう、3回目は無くて、そのまま地獄行きとなってしまったのだろう。

そう思った。


もちろん、弟と父との間の「面倒をみる」という約束もあったが、私と彼らとの間の償いもあったのだ。

けれど、彼らはそのどちらの約束も果たさなかった。

これが最後のチャンスだったのに、彼らはそれを活かす事が出来なかったのだ。

父との約束、私への償い、そのどれもが約束を反故したので、罪が二倍の大きさになってしまった。

残念な事だ。

でも、それでいいのだと思った。

縁を切ることは出来ないだろうが、関係性を切ることは出来るだろう。

なので、私はもう弟夫婦の事は気にせずに、私は私で、彼らに被った心の傷を一刻も早く癒し、前を向いて歩いて行くようにしていきたいと思います。


そうなります。そうなりました。
ありがとうございました。



☆それでは今日も良い一日を。


つまりは、人と人との間には、3回以上はないと言うこと。
3回目で出来なかったら、ペナルティを貰って、また一からやり直しなのだ。

だから、弟夫婦はまた地獄へ行き、一から修行をさせられることになったのだ。

これは本当に大変な事だ。

けれどまあ、仕方がない。
これが一番の近道だからだ。

いくら嫌でも、最初っからやり直さなければ始まらないから。

これも全ては彼らの為、彼らへの大いなる愛の証だと思います。
神や先祖の。

そんな事を考えました。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父が亡くなった後

2021年11月25日 | 日々つつがなし
急に、バキバキバキバキと、今まで固かった首肩背中が音を立てて動きはじめました。

お葬式で来ていて、隣に寝ていた妹が、

いやあ、怖い!

と言うほど音が辺りに響きました。

今までも肩が鳴りましたが、もう止まらないくらいバキバキと筋肉が鳴り始めました。

緊張が解けたんでしょうね。
一気に私の身体は弛んでいきました。

今も当時ほどではないですが、鳴り響き、首肩が楽になってきています。

何故、緊張していたかと言うと、
私は父に認められていませんでした。

父は私がしっかりしているとは言うものの、定職につかずプラプラしていると言って嫌がっていました。

ムンならんヤツじゃと。

物にならない娘だと。

私が賞をもらって本が出て、新聞に載った時だけは喜んでくれましたが、それから何年も次回作の出なかった時は、また私の事を

ムンならんヤツじゃ

と言っていました。


最後に言われたのは、

お前は作家、作家と言っているが、食っていけるのか?
本当はわしの年金を狙っているんじゃないか?

でした。

悲しかったな…。
惨めでした。

私は父に認めて貰いたかったけど、父は私の事を認めてはくれませんでした。

父はきちんと定職に就いて、お金を貰えることが何より大切だと思っていましたから。

せめて私が男の子だったら、私はまだ認めて貰えたかも。

父は私がよく男だったら…と嘆いていましたものね。

でも私は女で、女で何が悪いと思っていました。

女だったからこそ、私は作家になれたのだし、今の自由な生活も手に入れられたのだと思います。

家族を養わなければならない男だったら、私は作家になど到底なれなかったでしょう。生活に追われて。

そう思うと、女で良かったなぁとつくづく思います。

私を終生認めなかった父が亡くなって、私の身体はホッとしたんでしょうね。

急にバキバキと大きな音を立てて、ほぐれていきました。

身体はなんて正直なんでしょうね、そう思います。父が生きている間は緊張を解けなかったのでしょう。

それと同時に、私は自由だー!
と思いました。

なんと伸び伸びとした解放感。

私はそんな思いを満喫していました。

今朝も固かった首の筋肉がまた一つ大きな音を立てて剥がれていきました。

はぁ〜、ようやく父からの呪縛も解けそうです。

良かった、良かった。

私は父が大好きでしたし、信頼もしていましたが、それでも根深く男の子になれなかった自分や、父の自慢の娘になれなかった事を後悔し、自分を責めていたのだと思います。

そんな父が亡くなって、私は心底ホッとしました。

私は女。
女で生きていく。

女である事を、もう誰にも非難されません。

父からの解放ー。

今はそんな自由を楽しんでいます。



☆それでは今日も良い一日を。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ようやく

2021年11月24日 | 日々つつがなし
弟と縁が切れたような気がします。

色々と確執があったけれど、
もう彼らとの関係は無くなったのだと、

そう思いました。

縁が切れたと言っても、
別にどうもなりません。

それだけの事です。

相手は相手で幸せに生きて欲しいと思います。

鹿児島で、祖母の墓参りをしたら、
父が一番手前におりました。

にこにこ笑っていました。
その側に母がいて、
後ろに祖母がいました。

その父が笑いながら、弟たちが落ちていくのを見ているのです。

それは馬鹿にして笑っているのではありません。

それでいいのだと言うことです。

弟たちはその選択をしました。
だから、その気持ちを尊重するという事です。

それがたとえ、地獄へ落ちる選択だったとしても、弟がそれを選ぶのなら、それでいいと言うのです。

今回父と弟を通して感じた事は、
人間にとって何が一番大事なことかと言う事です。

人間にとって、一番大切な事は、

自立すること

だと思いました。


自分の足で歩いていくこと、
誰にも頼らずに。

精神的にも
肉体的にも
経済的にも


我々人間にとって一番大切な事は、
自立だと、思いました。

父は生前、弟に自立する事をさせずに、
自分の子飼いのように守ってきました。

それは弟の能力では、生きていけないと感じていたからでしょう。

自分のコネで就職させたり、金銭的にも困らないように援助してきました。

駐車場を買ったり、家賃収入をあげたりしていました。

それがアダとなったのです。

本当は突き放すのも、大きな愛だったのです。

スポイルする事だけが愛ではなかった。

その辺りを履き違えていました。

結局、弟は五十を過ぎても甘ちゃんで、一人では何も決められない、判断出来ないという情けない大人になってしまいました。

そして、意見する者にも、牙を剥くように。

素直な性格だったのに、今では相手の財産ばかりを狙うようになりました。

まるで、遺産相続ビジネスです。

働くのが嫌いで、遺産が入るなら、それを当てにして生きていこう、という風になっていったのです。

それは全て父の甘やかしが原因でした。

遅ればせながら、父もそれに気づいたようで、

お父さん、それでいいの?
と私は何度も聞いたのですが、
やはり父は笑いながら、

うん

とだけ、言うのです。

父は弟達が地獄へ落ちても、人間としての気持ちに目覚めたくれたらそれでいいと思っているようです。

ちなみに地獄はそんなに恐ろしいところではありません。

私たちが思う地獄は、私たちの想念が見せているだけの幻想です。

実際は痛くも痒くもないのです。
けれどそれに囚われているからそう感じるだけであって…。

なんちゃら地獄などで散々苦しんで、ようやく目が覚めた時に、これは幻だったのだと気がつくのです。

気がついたら、地獄は消えます。


全ては私たちの罪悪感が見せている映像だからです。

なので、弟達はそこで修行をする事になりました。


まあ、あくまで私のイメージの中でのお話ですが。

そうして私とのご縁も切れました。

前世での関わりも感謝して手放しました。

ありがとうございます。

もうこれで、私の方も心置きなくあの世へ逝けます。

ありがとう
ありがとう

〇〇君(弟の名前)

前世では私を死に至らしめてくれました。
また、別の世では私の苦しみを軽減するために自ら手を汚してくれた事もありましたね。

感謝しております。

今回の事は、誰もあなたを責めてはいませんよ。

どうぞ安心してください。

けれど、そういうことになったので、
その結果は受け取らないと…。

大丈夫。

また、修行が終われば帰って来れますからね。


それではいってらっしゃい。


南無三宝南無三宝。



☆それでは今日も良い一日を。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする