けれど、すべては捉えどころのないものばかりで、
アワとなり、考えては消え、考えては消え、していく。
今朝、やっと、文章教室のブログの更新が終わった。
電話とメールのリンクが上手くいかなかったのが、
ちゃんとなった。
ふ~・・・やれやれ、だ。
とりあえず、世の中に一つ、私は〝ここにいる〟とアピールすることが出来たかな?
お金儲けもしなければ、生活もままならないことは重々承知しているのだが、
どうにも身体が動かない。
どうしようもない、無位無官の私・・・。
もし、父や母が生きていたら、
ただ飯食うなッ!とでも言われそうだ。
けれど、私は一人・・・。
昨日、息子のマンションの申し込みもしてきたから、
これから本格的に一人になる。
ようやく一人かぁ・・・。
これをどれほど望んでいた事か。
本来なら、夫と二人で暮らす筈だったのだが、
図らずも一人ぼっちになってしまった。
こんな人生、望んでいた訳ではなかったのだが・・・。
子どもを早く自立させて、夫婦水入らずの生活を楽しみたかったが、
結局、夫とはうまくいかなくなってしまった。
その原因は、弟夫婦の醜い財産争いに巻き込まれたからだが、
すべては私がそう願ったからだそう。
目に映る全てのことは、私たち一人一人がそう計画してきたことなのだから、
自分に起こることのすべての事は、自分が望んだものなのだそうだ。
ひとえに自分の成長と進化のために。
だからと言って、私たちはこれほどまでに傷ついていいものだろうか・・・?
とも思うけれど、これを乗り越えなければ、その先にある幸せや未来もないのだろう。
こういった傷つき体験は、今の地球上では仕方のないことなのかもしれない。
その禊が終わってから、ようやっと向こう側に行けるのだから。
地上の楽園と呼ばれる、
みんなが気持ちよく、愛を体言できる世界へ行けるのだから。
今の地上では、どうしても、負のオーラが存在するので、
それを払うために、そういった出来事が起きるのだろう。
それでも、私たち自身が計画してきたことなのだから、
自分が乗り越えられる程度の壁だろうし、
そこまで酷い出来事は起きないだろう。
いつも自分本位で、魂だって考えているはず。
でも、目に見えないことを信じられない私たちにとっては、
はじめての経験だらけで、あっちへぶつかり、こっちへぶつかりしながら、
訳も分からず、一歩、また一歩と進んでいくしかないのかな・・・?
大変だけれど、終わってみれば何のことはないのかもしれない。
渦中にいる時は大変でも。
弟夫婦の事を考えると、弟はおそらく身体が相当悪くなっているのだと思う。
それで堪え性がなくなったのだと。
だからと言って、彼がやったさまざまなことがすべてチャラになる訳ではないけれど。
それは自分で受けなければいけないけれど、
それでも、なんだか可哀想な奴だったなあ・・・と思う。
弟の嫁さんに関しては、これまた相当な罰が下るだろうから、
気の毒に・・・、とは思ってしまうが、これもどうしょうもない。
彼女はやり過ぎた。
ただそれだけ。
私の母にも先祖にも、彼女は恨まれている。
この間から、彼女に関して、あるメッセージが下りてきているのだが、
ここではとても書けやしない。
ただ、いつか答え合わせをする日が来るのでは?と思っている。
私が思うに、弟も弟の嫁さんも哀れだ。
もっと違う生き方もあったであろうに、
自分達さえ良ければ、他人の足を引っ張ってもいいと考えていたようだ。
姉の私を不幸に陥れても、自分達さえ独り占め出来れば、
もっと言うと、私にさえ勝っていればそれでいいと思っている。
それしか方法がなかったのか?
自分達が独り占めではなくて、
皆に分配して、皆がハッピーになる方法はなかったのか、とも思うけれど、
他人の恨みを買ってまでも独り占めした罪は重いのかも・・・。
彼らの今後が楽しみだ。
本当に人は、昔から言われているように、
因果応報というものはあるのだろうか。
そういったものはないと断言する人達もいる。
そんな事はまやかしだと。
統計的学には、因果応報にあった人はいないと。
けれど私は思うのだ。
その場で確かに酷い目に遭わなくとも、
その子孫たちに影響がないとも言えないし、
巡り巡って、いつかその人に返って来るとは
皆が経験上知っているのではないだろうか。
だからこそ、私たちは人には親切にと、子供の頃から口酸っぱく言われているのだろう。
なぜなら、人に親切にするのは、その人のためではなくて、
巡り巡って、自分がいつかは助けられるからだ。
なので、親切にするんだよと、教えられるのではないか。
要するに、人は一人では生きていけないのだ。
だからこそ助け合いが必要なのだという事だろう。
それを目の前で、思いっきり無視してくれた彼らはどうなるのだろう?
その行く末が気になるのだ。
本当の所はどうなんだろう・・・?と。
私には、今、彼らの運命が見えるのだ。
それを思うと、あなた方の人生は一体なんだったのだ?
と問いたくなる。
それで幸せなんですか?と。
それがあなた方の望んだ幸せなんですか?と。
彼らの事を思うと、ひたすら哀れに感じるが、
一方では仕方がない・・・と諦めもしている。
私は、努力はした。
進言もした。
けれど、それらをすべて無視して、自分達のいいようにしたのが、
彼らなのだから、今更何を言わんやだろう・・・。
すべてはなるようになっている。
それが彼らの選んだ道ならば、それを尊重してあげるのが、
人としての正しい道だろう。
どうぞお幸せに。
そして、自分の道を歩いて行ってください。
私から贈る言葉はそれだけです。
合掌。
☆それでは今日もよい一日を。
※本当に彼らの事を考えると、
色んな感情が湧いてきます。
私に多大なインスピレーションを与えてくれたあの二人。
きっと書いても書いても、書き足りないことでしょう。
彼らを主人公に、物語が何作でもできそうですが、
私の人生での彼らの役割は、〝悪〟と言うものを見せてくれたこと
なんだと思います。
私は、あのお嫁さんが来るまで、〝悪〟って何だろう・・・?
とよく考えていたので。
それをまさか、身内になる人が見せてくれるとは、思いもしませんでしたが・・・。
まあ、なんにせよ、よい題材を与えてくれました。
ありがとう。
感謝いたします。