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朝の一分間小説・・・結末は?
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もう一本観てきたのが、この映画、「ウイッチ」です。
これが本当の魔女映画…。アニヤ・テイラー=ジョイ主演『ウィッチ』予告編
この映画、さてさて評価が分かれるところだとおもいます。
こういう映画にありがちな結論は、どこにもないからです。
結末を知りたい方には、物足りないかも。
だって、結論が出ないから・・・。
よく分からないから・・・。
私の観点から言えば、
この映画は、煮詰まった集団の中には、
スケープゴートが必要なんだな、と。
集団はその集団を保つために、
いじめられっ子を作るんだなと、
そういう風に感じられました。
「シャイニング」という映画がありましたが、
あれと似ていますね。
閉じ込められた空間に住む集団内で、
殺人事件が起きてしまうという。
お互いに不信感を持っているので、
誰かのせいにしなければ
気が済まないですよね。
それが例え偶然起きた不幸な出来事でも。
そういう点では、人間というのは、
すべての事に意味見出さないと
収まりつかない生き物なのかもしれないと思いますね。
何だかわからないけれど、
そうなった・・・
とか、
それは分からないから、
しばらく置いておこう・・・
なんていう結論が許せないというか・・・、
そんな気かしました。
という訳で、
ちょっと嫌な気持ちになる映画ですが、
「これぞ真実!(人間の)」と思われる方には、おすすめです。
けれど、「嫌、違う、やっぱり人間って崇高なものさ」
と、思われる方には、おすすめ出来ない映画です。
一つ気になったのは、
プロテスタントのあまりに厳しい戒律を守る姿勢?
懺悔とかと、
文化大革命の時に中国で行われた、告解?が
とても似ているなあ・・・と思ったことです。
どちらも自分を罪人だと断罪し、
その罪を神の前で、もしくは人々の前で告白しなければ
ならないのです。
それが・・・なんだか私には、気持ち悪いというか、
宗教とか思想とかで縛られると、
人は幸せにはなれないなあとは思った事です。
人は頭の中のことまで、
他人に言う必要はないんですよね。
それは自分と神との一対一の対話であって、
何も罪人と決めつけることではないのです。
それに、
神様って、もっと優しい人だと思うんですよね。
それをあんな風に怒れる神、裁きの神にして、
人々を恐怖で支配しようとするのは、
ちょっと怖いなあ・・・と思ってしまいました。
中国共産党も、神の存在は認めていませんが、
共産党という思想自体がすでに神という存在に
なっている感じですよね。
自分の言うことに従わなければ、罰を与えると。
「一党独裁」という言葉がすでに、
もうゆるぎない〝神〟という感じですが。。。
まあ、対岸の火事とせず、我々も「神」の聖名において行われることや、
危険な思想には気をつけなければいけないなあと思いました。
(けれど、日本はラッキーだったんだと思いますね。
今となっては。
もしこれが戦後共産主義の国になっていたら・・・
今頃、どれほど不自由だったか・・・
と改めて思い知らされます。
「十年」の事もあり・・・
これを享受するだけではなく、やはり守ったり、
そうでない国を支援することも大切かも?と思った次第です)
☆それでは今日もよい一日を。