秩父郡小鹿野町の小鹿野路地STが今度の日曜日*6/6に開催されます。
【ろじスタSTは、路地をテーマにしたワークショップ事業。】
さて、パンカップ店主おおたにの住む町◇寄居◇も小鹿野に引けをとらぬくらい路地の多い町です。残念ながら、市街地通りの空き店舗の駐車場化や舗装、家の建替えなどで今まであった小さな路地がいつの間にか消えていたり、あらたに出来た駐車場広場に「吸収?」されたり、ふさがれたりして、店主が子供の頃に遊んだり、かくれんぼで隠れたり、逃げ惑った「路地」はまるで消しゴムで消されたかのようになくなっているのも現実です。
上のイメージ「寛永通宝」は、10年前に実店舗の東側に僅かに残った土の部分に植栽をしようということで土を掘り返していたときに出てきたもの。別に遺跡でもないので、「江戸時代の人」の「落し物」と判断させていただきました。通りの北側には放光院という浄土宗のお寺さんがあるし、数百メートル南に行けば荒川。この路地を行き来していた江戸時代の人の落し物でしょうね。路地文化は堆積層のように歴史という厚み深みもあるんですね。
路地とはいえ、寄居はもともと扇状地で水路も多かった。水路が側溝板で塞がれて今は路地になっている場所も数多いはずです。実店舗も、もともと古くから建物のあった場所を建て替えて今のお店があるのですが、西側は水路、東側は民地だが日本料理の「喜楽」と私どもの店舗との境が路地となっています。昔から寄居は荒川を利用した水運もあり、荒物・薪炭などの集積地であったと聞いています。・・・川の博物館に行くとよくわかる・・・田舎の商都では、物を運ぶ道具といえば「大八車」。この大八車の車幅が約3尺(90cm)・車台の大きさが8尺(約2.4m)だから、コレが通り抜けできたり、角を曲がることの出来るのが「路地」かもしれないし、コレ以下の人のみの通り道をを路地といっていたのかもしれないし、店主には良くわからないです。あとで調べよう。
街中(まちなか)で、境界の測量や「地境(じざかい)の査定・地境争い」などで、長老のお年寄りからよく口にされるのが、「昔はこの路地は大八車が通れたんだがなぁ」の一言。現在、まちづくり課のお役人が立ち会うと、寄居町の場合1.8m確保しないといけないようです。基準がない場合は、古い建物の土台が基準となる見たいですよ。昔そんなことを経験したことがあります。
町境から測量してくると、家1~2軒は図面から消えちゃうらしいよ。