■パンカップ店主の昭和的こころ 「三角ベースボール」

アラカン・パンカップ店主の昭和的こころの復活記◇昭和の時代・日本の伝統を見直しませんか?!

じゃらんぽん「生前葬」

2010-04-06 08:18:15 | 三角ベースベール■昭和
 秩父(埼玉県)の下久那地区には、じゃらんぽん「生前葬」・・・別名「どんじゃらん」という奇祭があるという。秩父地区はお寺の数も多く、また信仰心が厚い。霊場もあり、春の訪れとともにこの地を訪れる人も多い。伝統的宗派は真言宗と曹洞宗のお寺が多いようだ。

 4日・5日と伯父(大沼金物店・2代目・秩父郡皆野町)さんの葬儀に参列した。まさに「儀」の世界。秩父地方の「お葬式」を体験して、あらためていろいろと思うことがあった。
 最近は、多くの人が「病院」でなくなり、葬祭業者(セレモニー会館)にお世話になって「お葬式」を行なうので、いろいろなことが「略式」なって地域に古くから伝わる「儀」の部分「風習」が省略される場合が多い。が、今回はほぼ「昔ながら」のお葬式の流儀にしたがって行なわれた。告別式まではほぼ寄居の地区と同じ。そのあと、野辺の送り、埋葬、お寺参り、十三仏(13返し)、阿弥陀仏(7返し)、光明真言(7返し)を唱え、その後忌明け「本膳」と午前中の出棺・荼毘から夕方の6時半過ぎまでの長丁場であった。
 「おくりびと」という映画が話題になったが、親族はもとより「隣組」の人々がこぞって「おくりびと」となって葬儀に取り組む姿を見て、失われつつある「日本の伝統文化」を垣間見たような気がして寄居へ帰る道すがら「これがいいのだ」とつぶやいてみた。


霜里農場視察雑感vol.2 昭和85年3月12日

2010-04-03 15:27:11 | 三角ベースベール■昭和

【霜里農場視察雑感vol.2】 「雑草とともに生きる」
■庭師クロード・モネと農家・金子美登氏■


「睡蓮」 クロード・モネ 1918年(熱海MOA美術館)生活が安定するようになったモネは43歳でジヴェルニーという村に移住します。風景画を描き続けていたモネは、花をとても愛していたのでとても広い土地に花や木を植えた美しい庭をつくりました。 それ以降のモネの作品の多くは、この庭の絵が中心です。有名な「睡蓮」もモネの庭の睡蓮が題材になっているのです。 印象派の中でも長生きだったモネは1926年86歳まで生きました。 画家としてのモネはあまりにも有名ですが、「庭師(園芸家)」としても有名なのです。当時の庭を撮影した「白黒写真」を元に本家ジヴェルニーの庭はもとより「モネの庭」としてモネを愛する人たちによって世界各地にコピーの庭が点在しています。

 モネの絵の草木や池の植物に目やると、そこは様々な光が混ざり合い、ややもすると抽象的な表現にも見えるが、そこから感じ取れるものは人間があこがれる光や花の精が満ち溢れる、救いともいえる幸福な空間である。日本庭園も愛したといわれる庭師モネの審美眼と実践、人間としての魅力があの印象派の絵となって映し出されている。かなり広い土地であったようなので管理もたいへんだったように思える。もしそこに雑草がはびこったらどうなるか。「不思議の国」に紛れ込んだアリスが雑草扱いされたように、美しい花園はパニックに陥るのだ。
 いつだったかNHKテレビでイギリスの女流ガーデナーのことを取り上げていた。彼女の雑草への取り組みは徹底していた。「雑草は花が咲いたら最後、この庭中に種を撒き散らすのよ」。だから彼女は雑草の芽を見付けたらすぐさま根から摘み取る。一日さぼったらたいへんなのだ。雑草の種は羽毛の傘を付けて遠くに飛んでいくものもあれば、飼い犬、飼い猫、野犬や小動物の毛にトゲトゲをからめて運ばれるものもある。その繁殖力はいうまでもない。
 農業も同じだろう。草(雑草)取りは田畑を耕すものとしては欠かすことのできない仕事だ。金子氏の一本一本雑草を抜き取る姿は、土を愛するから、土と語るのを楽しみとするからできる尊い姿に見える。だからできた雑草と自然に任せた天候不順による病害虫危機からの脱出。すごい。

【散花結実】
 春ともなれば、花の庭作りやオープンガーデンにいそしむ人、家庭菜園など、花を愛する人たちの心はいつもやさしく明るい。植物はいにしえより一粒の種から発芽し葉を茂らせ、茎の頂点に花を咲かせ雌雄合体して実を結ぶ。結実とともに花びらを落とし種の保存の原理原則に従って一粒の種から何百粒もの種を宿す。神は土を利用して食物を得ることを人間に許してくれた。人間が万有の長たるがゆえに神が与えてくれた仕組(しぐ)みなのだ。
 

【天地機有り】
 金子氏の霜里農場は小川町を流れる槻川の畔の里山近くにある。春。「これからの季節が楽しみだ。」里山の陽のあたる北側斜面に片栗の花が咲きほこるという。 しかし戦後、この地でもかつては金肥(きんぴ・かねごえ)・・・工場で作られた化学肥料のこと─農民はコレを使うために多額のお金を払ってきた・・・や農薬・除草剤が使われていたことでしょう。金肥を使っていたら、儲けなんぞあるわけがなかったのである。それどころか、農薬散布により自らの健康を損ねた人も数多くいるはずだ。EM農法を開発した琉球大学名誉教授の比嘉教授も自らの農業体験の中で語っている。

【今度の研修で質問】
 せっかくの機会なので、農場視察の前の1時間ほどの金子氏の講演のあと2点質問をしてみた。
1.金子さんにとって「土」とはなんですか。
2.有機肥料をも使わない自然農法についてお聞かせください。
 土を知り尽くした金子氏はまさに有機農法の「プロフェッショナル」。私のような農作物の一消費者がいろいろお聞きするのはなんとも恥ずかしいが、私のようなものが金子さんの作ったものを少しでもいただくことが土への金子さんへの恩返しなのではないか、「本(もと・元)」につながることではないのかという強い思いがあって質問させていただきました。質問内容・回答の内容がどうのこうのというのではなく、金子さんと「いき」をつなげたかったのであります。

金子氏の有機農法とは発想がやや異なるが、岡田茂吉氏の自然農法をより現代的にアレンジしたMOAの【自然農法ガイドライン】営農の手引き(pdfファイル)が参考になる。・・・パンカップ店主の三角ベースボール「昭和的こころ」

◆今日の心がけ◆
自分の家の庭や家庭菜園に雑草を見つけたら、一本でも抜きとってあげましょう!?
※世界のHONDAの寄居工場早期操業開始祈願。ぜひわが町寄居に住んでください。

霜里農場視察雑感vol.1昭和85年3月12日

2010-04-03 15:15:46 | 三角ベースベール■昭和
【霜里農場視察雑感vol.1】 「うちの土にあった種(タネ)を探す」
霜里農場主 金子美登(かねこ よしのり)氏は言っていた。 霜里農場主 金子 美登(よしのり)氏

「種は近在の五里四方でとれ」と昔から言い伝えられてきた。「皆さんが家庭菜園のためにホームセンターなどで買って来る種はほとんどが輸入品。アメリカなどから商社が輸入しているものですよ。」もちろんすべてがそうではないにしても、遺伝子組み換え、ポストハーベスト(輸出時の防腐剤・農薬散布)は当たり前だのクラッカー(古い!)。中には特定の除草剤に耐性のある種も作り出されているのは皆さんご承知の通り・・・コレも遺伝子組み換え野菜・穀類。先日あるホームセンターで種の袋を「裏返してみたら」原産国表示のないものまであった。日本で小袋に詰め替えれば「日本製」になるっていうことですか?「毒入餃子」以来、スーパーの店頭で商品の裏側を見る人が増えたと聞きます。が、これからは「種の袋」も裏返してみる人が増えるかもしれない。

■地域の土壌にあった良い「種」を探す。この一粒のタネに植物、野菜、米が実を結ぶためのすべての設計図が書き込まれている■
金子氏の貴重な一言でした。

 先日、朝の農家向けラジオ番組で「日本の固有種」のタネをインターネットのネットワークで探しているというあるNOP法人の主催者の方の話しに興味を持った。貴重なそして日本人として陰ながら協力したい事柄でもありました。個々のわれわれ消費者がそうした作物に目をむけ、食することが日本の食を少しずつ変えていく。
■パンカップ店主の三角ベースボール
 「昭和と日本の伝統文化を守る」


【過去のブログ】サケのように田舎に戻ろう

2010-04-03 15:01:53 | 三角ベースベール■昭和
■パンカップ店主の昭和的こころ■
「三角ベースボール」2010-03-11(p_-)
◇今年の目標◇
日本の伝統文化の「復活」「継承」を心がけたいと思います。

 前回は「食」の問題からの切り口でしたが、今月は身近な伝統文化に目を向けてみました。お祭のお囃子を今年は100%マスターするのが目標です。地域の青年部時代は一生懸命後継者の育成に力を入れていましたが、自分の子供が成人してお祭などの地域行事に眼を向けなくなるとなんとなく気がたるんでしまって、気がついたら「アラカン世代」でございます。再出発。子供たちに混ざってやり直しをしたいと思っています。

 さて同級生のなかには、希望退職をして早くもフリーな人生を送っているものもいますし、先日は「ハローワーク」に再就職してしまったよ!という同級生もいました。地域でズ~ット生活していると自分の歳さえも忘れることがありますが、こうして年々、特にその家の長男さんだと、故郷に戻ってくるものもいるのには、少しだけ「安心」を感じます。NHKで「無縁社会・日本」という特集をやっていましたが、私の住む地域はまだまだ東京に近いせいもあってか「無縁」とまではいっていないようですが、別問題として、もし駅前のスーパーが撤退したら、高齢者は日々の食品をコンビニに買いに行くことになってしまうのでしょうか?商店街は知らずしらずにシャッターが閉めっぱなしの店舗が増えるばかりです。もちろん人通りもありません。地方へ行けばいくほどこの傾向は顕著です。

 どこかで誰かが儲けすぎると地方は地域ごと崩壊します。その日がもう間近かのような気がしてなりません。


◆今日の心がけ◆アラカンはいなかへ!サケのように戻ろう!?
※世界のHONDAの寄居工場早期操業開始祈願。ぜひわが町寄居に住んでください。


なぜ「三角ベースボール」なのか?

2010-04-03 14:28:09 | 三角ベースベール■昭和
あらためてパンカップ店主の「昭和」を振り返る。

■今年は昭和85年(大正99年・平成22年・2010年)ですね。
店主がものごころ付いたのが昭和30年代です。時はまさに高度成長時代の始まり時で、かといって総じてみな「貧乏」でした。東京オリンピックが昭和39年でしたから、昭和の時代を知らない人もなんとなく想像できるでしょう。 当然テレビは「白黒」で色の付いたテレビは電気屋さんに行かないとみることは出来なかった。われわれ一般庶民は魚眼レンズのようなものをテレビの画面にくっつけて、カラーテレビの色付画面を「想像」しながら見ていた。我が家でもテレビが来たとき(!?)は床の間においてあった。昼間見た神宮球場での「早慶戦」をみて自分の進学進路の目標を決めてしまった。俺は「早稲田大学」に行くのだ!!!と。

▼さて、上のイメージは当時の町内【武町(たけちょう)】のホームグラウンドの放光院という浄土宗のお寺の境内にある一本の松の木です。実はコレが「三角ベースボール」の一塁ベースだったのです。「しゅんちゃん、一塁ベースを廻って二塁へ・・・」この瞬間、この松の木に手を回し、2塁ベースへと駆け込むのです。そんなわけでこの松の木の皮は無残(?)にも削げ落ちているのです。昭和っ子の遊びのモニュメントとして平成の今にたっている松の木がとても切なくまた、なつかしく思えます。

あらためて日本の伝統文化を・・・

2010-04-02 19:46:04 | 三角ベースベール■昭和

(p_-)2010年◇日本の伝統文化の「復活」「継承」を心がけたいと思います。
 戦後、日本は目覚しい経済発展をとげました。その恩恵は計り知れないものがありますが、一方で失われたものも少なくありません。
その一つが日本の伝統文化です。たとえば「食」の問題です。
「食」。たとえば醤油はもともと丸大豆と小麦、食塩のみを原料とし、時間をかけてじっくりと醸造されてきましたが、現在は様々な食品添加物を使って製造した安価な醤油が多く出回り、幅を利かせています。昔ながらの醤油づくりはだんだんとすたれ、もろみを仕込む大きな杉樽を作ったり維持していく職人の「手わざ」技術の継承なども難しくなっています。
 しかし、自然エネルギーを最大限に利用することで、長い年月をかけて磨き上げられてきた伝統技術は、完成度の高い環境保全型のECO技術ともいえます。温暖化対策など地球環境に配慮したECO技術開発があらゆる分野で模索されていますが、わたしたちが忘れかけている伝統文化をまず見直し、守り受け継いでいくことが、これからますます求められているように思います。経済優先主義の風潮に流されることなく、「伝統を守る」ということに、一つでもいいから目覚め、購入・実践していくと日本の食の問題も底辺から少しずつ変わっていくと思います。
 日本の農業に携わるかたがたも大変です。日本人が野菜や穀物の本当の味を忘れていくのは、スーパーなど大型量販店の規格主義による大量生産と大量廃棄にあると最近になってやっとマスコミなども取り上げるようになりました。農薬や肥料を全く使わない自然農法や有機農産物を積極的に購入・使用して、さらに伝統製法を重んじることで、たとえ規模は小さくとも志と個性のある生産者やメーカーから提供していただいた「いいもの」を消費しひろめていけば、やがては日本の農地も蘇り自給率がアップし、「食」をはじめとした日本の伝統文化を守り、さらに日本の農業や風土、環境を守って未来世代に責任を持ってきっと受け継ぐことになると確信いたします。「モノ」売りの私たちも食生活が基本です。日本の伝統文化の復活・蘇生を私たち日本人一人ひとり、底辺から変革していきましょう。

(p_-)昨年暮れは通販、コンビニ、百貨店、スーパーなどのおせち料理の宅配がスゴかったようです。12月30日、実店舗のほうでもおせちの通販を多少やっていましたがクロネコヤマトのドライバーから、連絡が入り「今日は配達・集荷が遅れるかもしれない」なぜなら、私の町の市街地約1,200世帯のうちクロネコさんだけで240個のおせち料理の宅配があるので・・・、ということでした。昔は、おせち料理といえば自家製のなます、煮豆、たづくり、数の子などなど、刺身などを除けばほとんど手作りでしたが、いまどきは完全既製品「おせち」が幅を効かせてているようです。冷凍ですでにお重風の容器に入れられてくるので自然解凍で食卓へ。便利ですが、食品パックの裏を返せばかなりの添加物。残れば廃棄。これでいいのか日本人と外国人からいわれる日がやがて来るでしょう。

◆今日の心がけ◆限りある「食物資源」を見直しましょう。

※世界のHONDAの寄居工場早期操業開始祈願。ぜひわが町寄居に住んでください。
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