■パンカップ店主の昭和的こころ 「三角ベースボール」

アラカン・パンカップ店主の昭和的こころの復活記◇昭和の時代・日本の伝統を見直しませんか?!

特別企画【佐々紅華展】 略年譜/大正昭和の偉大な作曲家(寄居・埼玉)

2012-05-04 14:59:42 | 再発見 佐々紅華の会
佐々紅華(さっさ こうか) 略年譜

1886年(明治19年)7月15日、東京根岸に生まれる。
1907年(明治40年)   蔵前高等工業学校(現在の東工大)工業図案科卒業。
1910年(明治43年)   日本蓄音機商会に入社。レコードポスターなどの製作に携わる。

   

▽右の2点は、右から明治44年のポスター(通称・花見カレンダー)
デザインは当時日蓄の図案室に在籍した佐々紅華(1866‐1961)。佐々は後にお伽歌劇や浅草オペラの脚本・作曲・演出等に携わり、さらに「君恋し」「浪花小唄」「祇園小唄」等のヒットメーカーとしても活躍した。
(右から2番目)ニッポノホンのもうひとつのキャラクター「大仏」デザインは「花見カレンダ ー」と同じ佐々紅華。蓄音器から流れる調べに思わず身を乗り出す鎌倉の大仏は、レーベルのワシと並んでニッポノホンの重要なキャラクターである。ビクターのニッパーにヒントを得たといわれる。※『日蓄(コロムビア)三十年史』より転載。
▽いずれも佐々紅華の洒落っ気、あか抜けたセンスを感じることが出来る。

1913年(大正2年)   東京蓄音機商会入社。
          「お伽歌劇」の作曲、「目無し達磨」「茶目子の一日」「毬ちゃんの絵本」など。
1917年(大正6年)10月 浅草六区で「東京歌劇座」を旗揚げ。
          自身の手によるミュージカル「カフェーの夜」を公演。
         「浅草オペラ」の嚆矢(こうし・・・はしり)となる。

1921年(大正10年)7月 奈良県生駒山に「歌劇技芸学校」を設立。
           和製オペラを上演(「アーティストライフ」「入鹿物語」)する。
1923年(大正12年)9月 関東大震災
1927年(昭和2年)  日本ビクターに入社。
         「君恋し」「祇園小唄」「浪花小唄」「唐人お吉の唄」などヒット曲を出す。

1930年(昭和5年)  日本コロンビアに入社。
         新民謡、映画音楽、舞踊小唄を数多く作曲。
  
1931年(昭和6年)  埼玉県寄居町玉淀に居を構え、虚羽亭(京亭)と名付ける。
1932年(昭和7年)  「玉淀音頭」を作曲。
作詞は当時寄居駅に務めていた十九歳の金子貳次(かねこたかつぐ/金子虹かねこにじ)昭和7年懸賞当選作であった。おなじ金子虹の作詞で作曲したのが「寄居小唄」である。

1961年(昭和36年)1月18日74歳で逝く。この年の暮れ、リバイバル曲「君恋し」(唄・フランク永井)が第三回レコード大賞を受賞する。

 ※資料提供:清島利典(きよしまとしすけ・演出家) 


【再発見 佐々紅華の会】
大正から昭和に活躍した 寄居町・埼玉ゆかりの作曲家・建築家・デザイナー
 
     佐々紅華

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
池波正太郎と京亭 (しんちゃん)
2012-05-05 11:06:25
寄居図書館に、池波正太郎が「京亭」の印象を記した文章を収めた文庫本、「よい匂いのする一夜」があります。
ぜひご一読を。
13日を楽しみにしています。
返信する
情報ありがとう (くんちゃん)
2012-05-05 12:11:03
池波正太郎の件、承知。
13日着物でいかがですか?
返信する

コメントを投稿