チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 安酒 臭い ディエス・イレ
[Dies Irae in Tchaikovsky's Violin Concerto]
チャイコフスキーの「交響曲第4番(op36)」は1877年に作曲された。いっぽう、
「ヴァイオリン協奏曲(op35)」は1878年に作曲された。いずれにしても、
"ほぼ同時期"に生みだされたものである。他に、
「オネーギン」という大作も同時期である。チャイコフスキーの脳が
励起の状態にあって「傑作」という光を放った時期である。が、
「ヴァイオリン協奏曲(op35)」が初演を想定してたアウアーによって、
「演奏不能」と拒絶されてしまったことは、比較的よく
知られてるようである。そして、
アーダリフ・ブローツキーによってヴィーンで初演された。このとき、
エドゥアルト・ハンスリックは、
"die brutale und traurige Lustigkeit
eines russischen Kirchweihfestestes"
(拙大意)ロシア正教の教会祭の露店ビールのような粗野で安っぽい抱腹絶倒茶番
と評したそうである。それはおそらく、特に、
第3楽章第2主題、
[アッレーグロ・ヴィヴァッチッスィモ(四分音符=152)、2/4拍子、2♯]の
[ポーコ・メーノ・モッソ(実質イ長調)]、
****♪【ドーッ>ソーッ|<シーーー・>ラー>ソー|
>ファーファソファ・>ミー>レー】|>ドーーー・ーーーー|ーーーー・
<(ポルタメント)<ドーッ>ソーッ|<シーーー・>ラー>ソー|
>ファーファソファ・>ミー>レー|>ドーーー・ーーーー|ーーーー♪
に感じるものがあったのだろう。その点で、
ハンスリックは音楽評論家として優れた感性を持ってたといえる。
チャイコフスキーの「交響曲第4番(op36)」は、その
「プログラム(標題)」を作曲家自身が
谷町のフォン=メック夫人にこう記してるからである。
"Третья часть не выражает
определенного ощущения.
Это капризные арабески,
неуловимые образы,
которые проносятся в воображении,
когда выпьешь немножко вина и
испытываешь первый фазис опьянения."
(拙大意)第3楽章は特定の感情を表してません。
この気まぐれなアラベスク模様は、
ワインを少々ひっかけたときに最初に現れる、
想像の世界を走り抜けるとらえどころのない心象です。
途中は省略するが、終いはこう結んでる。
"они странны, дики и несвязны."
(拙大意)それらは奇妙で、粗野で支離滅裂なものです。
そして、この交響曲の第3楽章のトリオは、
[(アッレーグロ、2/4拍子、の)メーノ・モッソ(イ長調)]
****♪【ドー>ソー|<シ(ドシラソッファッ)・>ミーッ>レーッ】|<ラー>ソー・
>ミーッ<ソーッ|>♯ファーーー・>レーッ<Nファーッ|>ミーーーッ、
<ドー>ソー|<シ(ドシラソッファッ)・>ミーッ>レーッ|<ラー>ソー・
>ミーッ<ソーッ|>ファーーー・>レー<ファー|>ミーーーッ♪
である。vn協奏曲もこちらも、
【ド>ソ<シ>ラ>ソ>ファ>ミ>レ】
というおおすじで同じ動機なのである。
さて、それはともあれ、
「ヴァイオリン協奏曲(op35)」第3楽章の主要主題は、
[アッレーグロ・ヴィヴァッチッスィモ(四分音符=152)、2/4拍子、2♯]
****♪ドーッド>シ・<ドー>ラーッ|<シー<レー・>ソー、<シ<ド|
<レ>シ<レ<ミ・<ファ>レ<ソ<ラ|<シ>ソ<ラ<シ・<ド<レ<ミ<ソ|
<ラーラ>♯ソ・<ラー>ミーッ|<ファーッファ>ミ・<ファー>♯ドー|
<レー>ラー・<シ>♯ファ<ソ<♯ソ|<ラ>♯ド<レ<ミ・<ファ>ソ>ラ<シ♪
という忙しいものである。この
[タータタ・ターター]という冒頭の律動から、
「メンデルスゾーンのコンチェルトの第3楽章とオソロイ」
と言われることが多い。そして、
「トレパークの律動である」とも。たしかに、そうである。否定はしない。が、
逆に、メンデルスゾーンはトレパックなどのつもりはないはずである。それよりも、
第1楽章の主要主題を、ビゼーの「カルメン」においてドン・ホセがカルメンに
復縁を迫る最後通牒の場面で歌われる節(短調)を長化したものであり、
対抗主題がチャイコフスキーの作品において重きをなす音型のひとつ
「ド>シ<レ>ド(ミ>レ<ファ>ミ)」
(オデットの身の上話、ニコライ・ルビンシテインを弔う三重奏、悲愴交響曲第3楽章)である、
という上に、この主題が、
****♪【ドーッド>シ・<ドー>ラーッ|<シー(<レー・)>ソー】♪
つまり、
【ド>シ<ド>ラ<シー(<レー・)>ソー】
という、この、うわべ、諧謔的にも聞こえる主題が、じつはしかし、
【Dies Irae(ディエス・イレ=怒りの日)】
であるということをこそ、重く受け止めるべきなのである。
偽装結婚に耐えきれず、保養に赴いたスイスで、
愛しいヴァイオリニストの男弟子と手にてをとりあって、
ソロパートの助言を受けつつ、共に作り上げた宝物、だった。
食糧がなくなると弟子は、
「わてが何かコーテクるさかい、先生はその間、ここを
コーチェックしつつ、ちょっと待っとってや」
と言ったかどうかは、
ネプチューン名倉潤とラッキー7故ポール牧の顔が
どちらがどちらだったかときどき判らなくなる
拙脳なる私には、推測することなど不可能である。ただ、
このコンチェルトの主楽章(2♯)の主主題と同様に、ビゼーの
「カルメン」から主楽章(2♯)の対主題を引いた
(具体的には、やはりドン・ホセのいわゆる「花の歌」)
「悲愴交響曲」との強い結びつきは感じずにはいれない。
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