チャイコフスキー イオランタ
木曜の夜から3泊で我が先祖のふるさとである諏訪の温泉につかってきた。
諏訪に、といえば、明日9月26日はジョージ・ガーシュインの誕生日である。
私はガキの頃にラプソディ・イン・ブルース・リーの映画を観た世代である。
おかげで、現在、ヌンチャクも何着も重ね着を愉しむことはできない
「体脂肪遊戯」体質を形成してしまってるのである。そのため、
冬は平気で裸になってダブダブの肉体をカンフー摩擦することができる。
いっぽう、ブルースの女王様、といえば、たいしたたまげりだ。
♪マゾぉぅを、あ、蹴ぇ~ればぁ~~~~~~~、
血の痕がぁ見えるぅ~~~~~~~♪
こういう「プレイ」はへたすると、あわや、大惨事ということにになりかねない。
よいこの女王様がたが、けっしてアブないまねはしないことを願うばかりである。
ときに、去る9月22日はアーヴィング・バーリン翁が101歳で死んだ日である。
また、今年の9月22日には、白い帽子でデビューしたメジロラモーヌ号が死んだ。
さて、アーヴィング・バーリンといえば「ホワイト・クリスマス」であるが、
指をパッチン・パッチンと鳴らす訓練に使われる「ホワイト・バンド」ではない。
売り上げ金が「ほっとけない貧しい民に恵まれてる」と信じ込まれてるとしたら、
自宅マンションから飛び降りて果てた故ポール牧師匠も浮かばれまい。
貧しい民を救いたい、ほっとけない、というのが本心なら、取る手は、
自分と貧しい民と身柄を入れ替わってやるか、自分の全財産を恵むか、
のどちらかしかないはずである。そうしないでて、能書きだけたれてるのが、
立派な行為とはこれまたステキである。枠外へのトホホ・シュートを無駄に打ったり、
周りへの批判はしてもすぐに相手チームにボールを奪われる自分には触れない、
チームの和を乱すだけの鼻つまみ者には相応しい「運動」かもしれない。
♪アァ~~ィ’ム・スクリィ~ミング・オヴァ・ワァ~~ィト・バァ~~ンド♪
そんなことより、映画「ホワイト・クリスマス」といえば、
ロウズメリ・クルーニー、ダニー・ケイ、そして、
「ホワイト」というタイトルには似つかわしくないビング・黒スビーである。
ともあれ、♪トゥ・ヒア・スレイベルズ・イン・ダ・スノウ♪
ソリのベルもリンと鳴るアーヴィング・伯林なのである。
昭和天皇が1月7日に崩御した1989年、
ベルリンの壁がハンマーで掻き削られる1箇月半前、
黒枠2枠のゾロメであり、ともに葦毛であるホーリックス号(南半球馬)と
オグリキャップ号(鞍上南井騎手)が、
「終焉した昭和という時代に世界よ弔意を表せ」とばかりに、
ジャパンカップを2分22秒2のタイムで勝ち負けする2箇月前、
ワンちゃんなら101匹であるが、
アーヴィング・バーリン翁は101歳で死んだのである。
いっぽう、明日9月26日は「輪」で知られるメビウスの命日である。
数学の「トポロジー」という分野に功績をあげたヒトらしい。ところで、
「topo(トポ)」とは数学では「位相」という意味に使われてるらしいが、
ギリシア語に起源をもつ「場所」という意味の語幹だそうである。
「トッポい」という古語は、「そこらへんにイソウでいないくらいかっこいい」
という意味の韓国語トッポイダである。他方、
マールコ・ポーロの「トポ見聞録」は、宋とその周辺のいろんな「場所」
についての記述である。また、
伊語で「topo(トーポ)」とは「ネズミ」のことである。
チャイコフスキーはネズミを毛嫌いしてたようである。
いわゆる「くるみ割り人形」では、1幕で、
ネズミ軍とパン・デピス軍との戦闘、ついで、
ネズミ軍とくるみ割り人形率いるおもちゃ軍の戦闘が繰り広げられる。
「pain d’epices(パン・デピス)」とは、
直訳すれば「スパイスをまぶしたパン」であるが、
「蜂蜜入りライ麦ケーキ」なのだそうである。ちなみに、
哺乳類の肉を食う欧州では、スパイスが貴重であり高価であった。
いわゆるコロンブスも香辛料を求めて印度カレーを目指したのである。
仏語で「epices(エピス)」、英語で「spice(スパイス)」、
独語で「Gewurz(ゲヴュルツ)/Wurze(ヴュルツェ)」。
独語は「Wurzel(ヴュルツェル)」という「根」が語源であろうし、
「Wurst(ヴルスト)」も同源の双生児なのであろう。いっぽう、
七福神中、日本由来の神のエピスさまなら、航海と漁業の神さまなので、
魚肉入りソーセージをぶらさげてるところである。
ともあれ、中世においては、民事訴訟において勝訴した側が裁判官に
「epices(エピス)」を「献納」するのが「慣わし」だったそうである。
「くるみ割り人形とネズミの王」の「原作者」であるE.T.A.ホフマンも、
「家畜人ヤプー」の沼正三も、その正体は「上級裁判官」なのである。
クラーラの父ズィルバーハオス氏もニュルンベルグの「上級裁判官」、
スペンサー・トレイスィーである。とまぁ、話がわき道にそれてしまったので、
ネズミの本線にtraceして戻ることにする。
バレエ「カス(破壊器)・ヌワゼット(ハシバミ)」、
1幕でのネズ公との戦闘おいて劣勢にたたされた総大将のくるみ割り人形に、
ネットオークションに出せばその手のオタクに高価で売れる履物を
敵の大将ネズ王に投げつけて加勢。ネズ王もそのシュミだったのか、
クラーラの履物の底の臭いを嗅いでるうちに、
クラクラクラァ~ラ恍惚として戦意喪失してしまうのである。
一気に形勢を逆転させた小早川クラーラである。そして、
2幕ではくるみ割り人形がその礼に、
クラーラを家に招待してもてなすのである。が、
家といってもコンフィチュランブールという
「砂糖漬けの菓子(ジャム)」の国である。
くるみ割り人形の正体は、じつはその国の王子だったのである。
ドラジェの精とコクリュシュ(またはオルジャ)王子が
クラーラとくるみ割り王子を迎えるのであるが、
彼ら王族間の関係は詳らかにはされてない。ちなみに、
「ドラジェ」とはアーモンドに砂糖をまぶした菓子である。
イタリア語で「コンフェット」である。映画「ゴッドファーザー」で、
ヴィート・コッレオーネの3男マイケル・パチーノが、
父を撃った相手を殺して父の祖国のシチリアに高飛びして
ほとぼりをさましてたときに、地元の娘といい仲になって結婚したとき、
その披露宴で客に配ってたものである。仏語で「ドラジェ」は、
伊語で「コンフェット」である。つまり、
アマンドを卵の殻に見たて、それを割って食べることによって、
雛の誕生、子孫繁栄の象徴としてるのである。この
「コンフェット」が日本で「別の砂糖菓子」である
「コンペイトウ」と未だに混ペイ同されてるのである。いずれにしても、
「confi(e)t」という語幹は、「砂糖まぶし」を意味する。
「コンフィチュ」ランブール国の「ドラジェの精」は、
「砂糖菓子の国」の「砂糖まぶしの精」である。いっぽう、
「オルジャ」とは「アーモンド・シロップ」のことである。また、
「コクリュシュ」とは、→コクリューシ→コクリューコ→黒龍江→
アムール川→川の鯉→愛の渡し→キューピッド、ではもちろんないが、
ここでは「百日咳」でも「101匹ワンちゃん」でもない。
百日咳に罹ったときに被せられる「頭巾」が、卵の殻の形に、
果実の殻に例えられてるのである。「コクリュシュ」のスペルは、
「coqueluche」である。「coque」は、
「卵の殻」「果実の殻」である。また、「luche」が
「louche」の母音変化だとすれば「頭」である。
だとすれば、「コクリュシュ王子」と「くるみ割り人形」王子は、
「くるみ(じつは、それより小さいハシバミ)の殻」と、
それを割る「器具」という、ふたつでひと組の関係である。
双子かもしれない。あるいは、
「首から上を被われた王子の頭巾(殻)を割って、
目が見えるようにする」という行為は、
「盲目のイョランド姫の目が見えるようになる手術を受ける気にさせる」
ということと同値である。つまり、
「くるみ割り人形」と「ヴォーデモン伯爵フェッリ2世」は、
同一人物なのである。ともあれ、
コンフィチュランブール国に赤い靴履かずとも連れられてった少女クラーラの
宮殿までの水先案内役は、「ムーア人」である。いっぽう、
イョランドの視力獲得手術を施したのも「ムーア人」である。
オペラ「イヨランタ」も、バレエ「くるみ割り人形」も、
ともに「ムーア人」が主人公の「少女」を「幸福な方向」に導いてる、
のである。ここで、「ムーア人」とは、
キリスト教世界に関わりを持つイスラム教徒のことであり、
一般的には肌の色は白人に比べて黒い。が、
十字架を主の化身とするキリスト教においては、黒ス・黒イツ・黒ワが、
ギターのモーリス(黒い肌の人maurusから派生)においては、黒澤楽器が、
大いなる関わりを持つのである。あまり人気がなかった
「ローゼンクロイツ」号が3着した神戸新聞杯だったことであるが、
彫刻の森美術館のヘンリー・ムーアのブロンズ像も、黒くテカってるのである。
ちなみに、マウリツィオ(モーリスの伊語形)・ポリーニとは、
ムスリムのポリネシア人という意味、かどうかは知らない。ともあれ、
これらの「ムーア人」は「東方3マギ」とも関連があるはずである。さて、
主人公クラーラは、ホフマンの原作やデューマの訳本で人形の名として
附けられてたクレールをプティパが改名したものらしい。
原作での少女の名はマリー。つまり、マーリアである。
アヴェのマリアが聖母の名なのかマグダラのマリアかは知らないが、
とにかく、キリストに関係ある女性の名である。いっぽう、
イョラーンタという名は、フランス人なら普通イョランドであるが、
イタリア人ならヴィオレッタである。つまり、violaという花の名が
女性名になった例である。このヴィオラであるが、
キリスト昇天後に「十字架」の陰にひっそりと咲いた花である。
そのヴァイオレット色は母の悲しみの色とされ、
聖母マリアに捧げられる聖なる花とされたそうである。
藤色花、は「つる」る糸は、侘び人の、涙さとう玉の、緒とぞなりける(壬生忠岑)
壬生とは皇子の養育部門である。キリストを養育したのは聖母マリアである。
いっぽう、キリストの倅の養育をしたのはいったい誰だったのであろう。
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