チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「あぁ~んがあぁんが、驚~いた!/ヒョウセツ家たちに愛された江間章子女史生誕100年」

2013年03月13日 00時14分37秒 | 倒錯の世界(嗜好の微調節と微ヒョウセツ
一昨日の3月11日は、各方面で
偽善的な言葉を見聞きすることができた。
一日も早い被災地の復興を願う、などというのなら、
現在の自分の仕事や家庭や財産を捨てて被災地に赴け。それから、
「民のために祈る」というのは天皇陛下がなさることである。
そこらへんの輩が犠牲者・被災者のかたがたを思って
気安く祈るものではない。不遜である。一般人がすべきは、
実際に手を貸すか、金を出すか、である。
日本政府主催の「東日本大震災2周年追悼式」を
台湾の名を加えたといってボイコットする非礼を示した
"国家"があったらしい。
手違いで欠席などという見え透いた嘘で
得意技の無礼をおはたらきになった"国家"もあった。
性根の腐りきっってるのに未成熟な近隣"国家"どもなことである。
本日、2013年3月13日は、
作詞家江間章子(1913-2005)女史の
生誕100年にあたる日である。えま・しょうこ、略して
えましょう、である。誰も略さないけど。ちなみに、
命日が誕生日の前日である。
ヒョウセツの大家によって曲づけをされた
"愛唱歌"の作詞者として同女史は知られてる。なぜか、
そんな"作曲家"が"曲"を附けたくなる詞のようである。が、
いば昇と蓬莱軒の味の違いも判らない
拙脳なる私にはその理由を説ける由もない。ともあれ、
「同女史のもっともポピュラーなうた」の

♪●ミ・ミ<ファ・・<ソー・>ファ>ミ│>レレ・レ<ミ・・<ファー・ーー♪

は、モーツァルトの「トルコ行進曲附き」とも呼ばれる
pfソナタ(イ長調、k.331)のいわゆる第1楽章の主題、
とくに第4変奏、

♪●ミ<ファ・<ソ>ファ>ミ│●>レ<ミ・<ファ>ミ>レ♪
(チェンバロふうにしたものを、TwitSoundにアップしておきました。
http://twitsound.jp/musics/tsl0wu0BC )

に、「同女史の2番めに有名なうた」の

♪●●ソー<・ドー<レー│<ミーー・ミーミー│
<ソーーー・>ミー>ドー│>ラーーー・ーーーー♪

は、唱歌「茶摘み」

♪●●ソー<・ドー<レー│<ミーーミ・ミーミー│
<ソーーソ・ソー>ミー│>レー>ドー・<レーーー♪

に由ってるのである。後者はまた、
前者大先生の「著名なうた」である、

♪ソーー<ド・ドーード│<レー●●・●●●●│
<ミーーミ・ミーミー│<ソーーソ・>ミーー>ミ│
>レーーレ・レー>ドー│<レー●●・●●●●♪

が事実はヒョウセツよりも奇なりになってしまってる。

この2つに次ぐ江間章子女史の
3つめに一般的な"うた"もご他聞にもれず、

♪●●ミー・ミー>レー│>ドーード・ドードー│
●●>シー・シー<ドー│<レーーレ・レー●●♪

というように、
♪あ~~あぁ~ぁ、やんなっちゃった♪
と牧伸二がウクレレを手にしてボヤくほど、

"Tahuwahuwai(Hawaiian War Chant)"
♪●ミ・ー>レ・・>ドド・ド>ソ│
<ドド・ド<レ・・<ミミ・ミー♪

というハワイ原産の歌にインスパイアされてしまってる。
これの元歌は、
"Kaua i ka huahuai(カーウア・イ・カ・フアフアイ)"
「(拙大意)お前と俺は水しぶきの中、
涼しい水しぶきの中で二人はきつく抱き合う。
パライ・シダの葉を濡らすほど深い息遣いで」
というような内容の"ラヴ・ソング"である。
米国に滅ぼされたハワイ王国最後の王
Lili'uokalani(リリウオカラニ)女王の弟
Leleio(長音)hoku(レレイオーホク)2世の作、
である。ちなみに、もっと有名な
「アロハ・オエ」は女王の作である。

タイトルのハワイ語「カーウア・イ・カ・フアフアイ」は、
♪カーウア・イ・カ・フアフアイ、さ~かな~やさん♪
という日本の童謡ではない。
・ka(長音)ua(カーウア=私たち(二人))
・i(イ=~に)
・ka(カ=定冠詞)
・Huahuai(フアフアイ=水しぶき、スプラッシュ
……オトナの意味もあり……シ×吹き)
であるが、ka(短音)uaは
「戦争」という意味なので、
米国人の誰かがこの歌を
ハワイアン戦争の歌にとっかえたらしい。ちなみに、
私の個人的オヤジギャグ的見解であるが、原歌は、
頭の2語Kaua i(カーウア・イ)とka wai(カ=定冠詞・ワイ=水)とが
語呂合わせになってるのである。

ともあれ、
オツムのかよわい者が"作曲"などという
高等頭脳を要する営みを身の程知らずにしようとすると、
記憶に残ってる既存の名作がいつしか
"自作"としてアウトプットされてしまいがちである。
ヒトが感動する調性音楽はすでに出尽くしてしまってるので、
なにか新しい"楽曲"を作る、などというのは、
ありえないことなのである。もっぱら、
既成の音楽を焼きなおして、
音楽のオの字も解らない大衆を煙に巻いて
銭を儲けるのみである。ポップスであるからして、
パクリタバイが原則である。
あ゛ぁ~~あぁ~、やんなっちゃった。
あ゛ぁ~んがあ゛ぁんが、おどろ~いた。


追記=この記事の投稿から1か月半後の4月29日に、
牧伸二は丸子橋から多摩川に飛び込み自殺した。
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