Michel de Nostredame(ミシェル・ドゥ・ノトルダム)、いわゆるノストラダムスの
"Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus"
(レ・ヴレ・サンチュリ・エ・プロフェティ・ドゥ・メトル・ミシェル・ノストラダミュス)
「ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集」、
の1691年リヨン版に掲載されてるノストラダムスの肖像は
Daudet(ドデ)という人物による銅版画である。が、
そこに附されてる4行詩が五島勉によって
ノストラダムス自筆の詩であり、「二つの顔を持つ護符」である、
などと解説されてるらしい。が、
実際はその出典とされるセルジュ・ユタン自体が
1668年アムステルダム版の肖像画と取り違えてるのである。
とはいえ、
私はこの手の"予言"や"宗教"などはまったく関心外なので、以上はすべて、
wikiの類からの受け売りである。それによると、
五島勉の「ノストラダムスの大予言」は、オウム真理教に多大な影響を与えたらしい。
"予言"や"宗教"に洗脳されやすい者が読むものだから当然である。
さて、
私はチャイコフスキー大好き野郎である。ゆえに、
常に自分がチャイコフスキーについて知らないことがないかと、
気に掛けてる。初耳なようなタイトルや記事をネットで見つけては、
それを見て……ああ、またか……と、実際には
ウソッパチが書かれてることに一人屈折した優越感にひたるのである。
私は世の中の負け犬である。伴侶も得られず、
子も残せない。よそ様の頭の悪いガキや、
性根の腐った子供らのための「子供手当」に充当される税金を
払わされてる経済奴隷である。ドエムである。
箸もきちんと持てないアホガキどもの生活を支えてるのである。カネヅルである。
が、それでけっこうである。
他人様の幸福を指を咥えて見てるのが私の幸せ、
というチャイコフスキーの交響曲第4番の境地である。
ただ、それでも、
堂々と誤りが書かれてたり、取り違いがそのままになってるのは、
遺憾である。
今日、
「チャイコフスキー」というキーワードでググった結果、出てきたサイトに、
"Природа и любовь"
(プリローダ・イ・リュボーフィ)
「自然と愛」
(アンダーンテ、6/8拍子、変ト長調)
というチャイコフスキーが1870年、30歳のときに作曲した
ソプラノ2、アルト1、という3人のソリストと、
ソプラノ2、アルト1、という3声部の合唱と、
ピアノのための曲に関して書かれたサイトが検索された。
こんな非ポピュラーな曲を採り上げるとは
なんて奇特なかたなんだろうと思ってそのサイトを開くと、
この曲の成り立ちを解説していた。そして、なぜか
肝腎のビェータ・ヴァーリズィク女史については言及がないいっぽうで、
エリザビェータ・ラヴローフスカヤ女史のことが述べられてた。そして、
イヴァーン・クラムスコーィによるラヴローフスカヤ女史の肖像画と、
1871年3月16日(現行暦3月28日)の初演を聴きに来てた
イヴァーン・トゥルギェーニフ(いわゆるツルゲーネフ)の写真なるものが
掲載されてた。
私は驚愕した。
冗談ではない。
この"ツルゲーネフ"、monocle(モノクル=片眼鏡)を左眼窩にはめ込んで、
髪を真ん中からやや左の位置から分けてるのである。がしかし、
本物のツルゲーネフは(額の右側の上から髪を分けるいわゆる)
右分けを生涯ずっと通した男なのである。結論をいえば、
このサイトの運営者によって"ツルゲーネフの写真"として掲載されてるものは、
「アルルの女」の原作者であるフランス人作家
Alphonse Daudetの顔写真なのである。ちなみに、
たとえば"Turgenev"という西欧表記でグーグルの画像検索をしても、
このドーデの写真は検索されない。
が、
"Тургенев"で画像検索をすると、
このドーデの写真がひとつだけ、検索されるのである。そこで、
それをクリックしてみると、
http://78.47.165.4/kartinki/literatura/Turgenev-1/101-Gruppa-pjati.html
というペイジが現れる。が、これは、
「ツルゲーネフの交友関係者」の写真の一枚なのである。
ドーデはエドモン・ゴンクール(ジュールの兄)、ゾラ、フローベール、
そして、在仏のツルゲーネフと交流があった。可能性として、
その「ツルゲーネフの交友関係者」の写真を
ツルゲーネフ自身の顔写真と取り違えたのである。
cf:
http://78.47.165.4/kartinki/literatura/Turgenev-1/096-Gruppa-pjati.html
で、
「ツルゲーネフ」
という日本語で画像検索をすると、
このドデの写真がひとつ検索される。そして、
それをクリックすると、この
チャイコフスキーの「自然と愛」(1870年作曲)
のサイトが現れてしまうのである。
チャイコフスキーに関心がある、チャイコフスキーのことを知ろうとしてる
無垢な若者に、直接チャイコフスキーのことではないにしろ、
ロスィア人作家ツルゲーネフとフランス人作家ドーデの顔を
誤って植え付ける、という甚だしい誤解を与えてしまう
罪深い過ちである。
だが、それでも、
なぜ数ある"Тургенев"の画像の中で、
わざわざこのDaudetの写真を選んだのか、
アントーン・チェーホフとアルフォンス・ドデの顔の区別もままならない拙脳なる私には
皆目見当もつかない。たとえば、
ツルゲーネフの作品の数々やドデの「風車小屋便り」を
小学生の頃から読んでた私には、そういった本に載せられてた
作者の顔も充分解ってるので、取り間違えようがない。
ドーデー、ドーデイ、どうでぃ! どんなもんや!
みたいなドヤ顔でこの写真を採りあげようとも思わない。
よく、車庫で車を暴走させた者が、
車のアクセルとブレーキを踏み間違えた、
などという言いわけをする。
アクセル・ペダルとブレイキング・ペダルなど
踏み違えようとしても間違えれないほど位置が違う。
それでも……一部の人は間違えるのである。
"Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus"
(レ・ヴレ・サンチュリ・エ・プロフェティ・ドゥ・メトル・ミシェル・ノストラダミュス)
「ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集」、
の1691年リヨン版に掲載されてるノストラダムスの肖像は
Daudet(ドデ)という人物による銅版画である。が、
そこに附されてる4行詩が五島勉によって
ノストラダムス自筆の詩であり、「二つの顔を持つ護符」である、
などと解説されてるらしい。が、
実際はその出典とされるセルジュ・ユタン自体が
1668年アムステルダム版の肖像画と取り違えてるのである。
とはいえ、
私はこの手の"予言"や"宗教"などはまったく関心外なので、以上はすべて、
wikiの類からの受け売りである。それによると、
五島勉の「ノストラダムスの大予言」は、オウム真理教に多大な影響を与えたらしい。
"予言"や"宗教"に洗脳されやすい者が読むものだから当然である。
さて、
私はチャイコフスキー大好き野郎である。ゆえに、
常に自分がチャイコフスキーについて知らないことがないかと、
気に掛けてる。初耳なようなタイトルや記事をネットで見つけては、
それを見て……ああ、またか……と、実際には
ウソッパチが書かれてることに一人屈折した優越感にひたるのである。
私は世の中の負け犬である。伴侶も得られず、
子も残せない。よそ様の頭の悪いガキや、
性根の腐った子供らのための「子供手当」に充当される税金を
払わされてる経済奴隷である。ドエムである。
箸もきちんと持てないアホガキどもの生活を支えてるのである。カネヅルである。
が、それでけっこうである。
他人様の幸福を指を咥えて見てるのが私の幸せ、
というチャイコフスキーの交響曲第4番の境地である。
ただ、それでも、
堂々と誤りが書かれてたり、取り違いがそのままになってるのは、
遺憾である。
今日、
「チャイコフスキー」というキーワードでググった結果、出てきたサイトに、
"Природа и любовь"
(プリローダ・イ・リュボーフィ)
「自然と愛」
(アンダーンテ、6/8拍子、変ト長調)
というチャイコフスキーが1870年、30歳のときに作曲した
ソプラノ2、アルト1、という3人のソリストと、
ソプラノ2、アルト1、という3声部の合唱と、
ピアノのための曲に関して書かれたサイトが検索された。
こんな非ポピュラーな曲を採り上げるとは
なんて奇特なかたなんだろうと思ってそのサイトを開くと、
この曲の成り立ちを解説していた。そして、なぜか
肝腎のビェータ・ヴァーリズィク女史については言及がないいっぽうで、
エリザビェータ・ラヴローフスカヤ女史のことが述べられてた。そして、
イヴァーン・クラムスコーィによるラヴローフスカヤ女史の肖像画と、
1871年3月16日(現行暦3月28日)の初演を聴きに来てた
イヴァーン・トゥルギェーニフ(いわゆるツルゲーネフ)の写真なるものが
掲載されてた。
私は驚愕した。
冗談ではない。
この"ツルゲーネフ"、monocle(モノクル=片眼鏡)を左眼窩にはめ込んで、
髪を真ん中からやや左の位置から分けてるのである。がしかし、
本物のツルゲーネフは(額の右側の上から髪を分けるいわゆる)
右分けを生涯ずっと通した男なのである。結論をいえば、
このサイトの運営者によって"ツルゲーネフの写真"として掲載されてるものは、
「アルルの女」の原作者であるフランス人作家
Alphonse Daudetの顔写真なのである。ちなみに、
たとえば"Turgenev"という西欧表記でグーグルの画像検索をしても、
このドーデの写真は検索されない。
が、
"Тургенев"で画像検索をすると、
このドーデの写真がひとつだけ、検索されるのである。そこで、
それをクリックしてみると、
http://78.47.165.4/kartinki/literatura/Turgenev-1/101-Gruppa-pjati.html
というペイジが現れる。が、これは、
「ツルゲーネフの交友関係者」の写真の一枚なのである。
ドーデはエドモン・ゴンクール(ジュールの兄)、ゾラ、フローベール、
そして、在仏のツルゲーネフと交流があった。可能性として、
その「ツルゲーネフの交友関係者」の写真を
ツルゲーネフ自身の顔写真と取り違えたのである。
cf:
http://78.47.165.4/kartinki/literatura/Turgenev-1/096-Gruppa-pjati.html
で、
「ツルゲーネフ」
という日本語で画像検索をすると、
このドデの写真がひとつ検索される。そして、
それをクリックすると、この
チャイコフスキーの「自然と愛」(1870年作曲)
のサイトが現れてしまうのである。
チャイコフスキーに関心がある、チャイコフスキーのことを知ろうとしてる
無垢な若者に、直接チャイコフスキーのことではないにしろ、
ロスィア人作家ツルゲーネフとフランス人作家ドーデの顔を
誤って植え付ける、という甚だしい誤解を与えてしまう
罪深い過ちである。
だが、それでも、
なぜ数ある"Тургенев"の画像の中で、
わざわざこのDaudetの写真を選んだのか、
アントーン・チェーホフとアルフォンス・ドデの顔の区別もままならない拙脳なる私には
皆目見当もつかない。たとえば、
ツルゲーネフの作品の数々やドデの「風車小屋便り」を
小学生の頃から読んでた私には、そういった本に載せられてた
作者の顔も充分解ってるので、取り間違えようがない。
ドーデー、ドーデイ、どうでぃ! どんなもんや!
みたいなドヤ顔でこの写真を採りあげようとも思わない。
よく、車庫で車を暴走させた者が、
車のアクセルとブレーキを踏み間違えた、
などという言いわけをする。
アクセル・ペダルとブレイキング・ペダルなど
踏み違えようとしても間違えれないほど位置が違う。
それでも……一部の人は間違えるのである。
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