竹内まりあ女史はKO義塾大卒のインテリ歌謡曲歌手であるが、
三十路過ぎのマギー・フィッツジェラルド嬢は、
不思議なKO技術を身につけたボクサーである。
ボクシングにしろ何にしろ、スポーツ・勝負の世界では、
相手の意表をつくことが勝つための極意である。また、
孫子曰く「損シて得取れ」、ということもある。義母の計略にひっかかった
フリをして毒リンゴを口にするのも、それらの教えの実践である。
イーストウッドが映画を初めて観たのは7歳の頃、
ディズニー映画「白雪姫」(1937年)だそうである。
私が子どもの頃にTVで観た映画でいちばん印象に残ってるのは、
ナンセンス・ギャグ映画「底抜け西部へ行く」(1956年)である。
いまでも、私はジェリー・ルイスのナンセンス・コメディ好きである。ともあれ、
「ザ・シークレット・サービス」(1993年)は、
大統領を警護する男を描いた映画であったが、
南軍総司令官リーのヴァージニアでの降伏のたった数日後の夜、
警護官がひとりもつかずに観劇してるときに、
易々と(as easy as pie投げ)背後から撃たれて消されたのが、
190cmを越える大男「リンカーン」である。
じつは、警護官はたったひとりだけいたのだが、
開演するとすぐに劇場を抜け出し、近くの酒場に直行。
そして、そこには暗殺者ジョン・ウィルクス・ブースがいたのである。また、
北軍総司令官ユリ徹シリーズ・グラントが夫妻で同席するはずであったが、
ドタキャンしたのである。
夫人が行状が尋常ならざるリンカーン夫人との同席を
イヤがったために欠席したのだ、ということになってる。が、
それもリンカーン抹殺包囲網の一環だったのであろう。
単細胞のブースは鉄砲玉として利用されたにすぎない。
「スィク(こんなんやで)、センペル(いっつも)、
ティラニス(専横者(の最期)っちゅうんは)!」
南北戦争の素地のひとつはカンザス・ネブラスカ法制定にある。
それでミズーリ協定がコケにされたために、南北対立が深まったのである。
さて、「ネブラスカ」州「リンカーン」市生まれ、といえば、
ヒラリー・スワンク女史である。
「(邦題)ビヴァリーヒルズ青春白書」での子持ちバツイチ役でも
際立ってたのであるが、あのドラマはクビになったのだそうである。
飄々としたノリユキ・パット・モリタのミヤギ老人シリーズもの、
「(邦題)ベスト・キッド」の「4」でも光ってた。
最初のオスカーを取った「ボーイズ・ドント・クライ」、
宇津井健もどきなアル・パチーノを相手にした「インソムニア」、
などもよかったが、私は「マリー・アントワネットの首飾り」の
ジャンヌ役のような「時代劇」のヅラかぶり役も好きである。が、
おそらく同女史がもっとも本領を発揮するのは、
「そこらへんにいる」現代女性を演じるときだと思う。
「ミリオン・ダラー・ベイビー」でのヒラリー・スワンクの
「ベスト・パフォーマンス」だと私が思ったのは、やっと
トレイナーを引き受けてくれたイーストウッドに握手を求めるときの
「手の差し出しかた」である。ここで、私の涙腺は最大に刺激された。
こんな魅力的な女優は、古今東西皆無である。
ときに、「ミリオン・ダラー・ベイビー」は、身長190cm台の
イーストウッドが製作・監督・主演・音楽をマルチ担当した。
この映画でのイーストウッドの役名は、
セザール・オーギュスト・「フランキー」である。キャラは、
LAでショボいボクシング・ジムを経営してる男というものである。
この映画が製作された2004年、くしくも、
クリストファー・リーヴが死亡した。
マギーはフランキーをシンジて死を望んだのであるが、
リーヴ氏は最後まで生きることを選択した。ヒトの生命の尊厳とは、
生であれ死であれ、それぞれの意思を尊重することに他ならない。
というのが「オモテ」である。では、「ウラ」はといえば……レッズ、ではない。
ネブラスカ生まれの元大統領ジェラルド・フォードが主催するスキー大会は、
リストファー・リーヴのために「ミリオン・ダラー」もの基金を集めた、のである。
いっぽう、耶蘇教原理主義者で英国王室とも縁戚であるブッシュ大統領は、
脊椎を再生したいリーヴにとっては喉から手がでるほど
すがるりたい藁だった幹細胞研究開発費を抑えてたのである。
マギーの実家からの帰り、マギーが幼い頃に亡き父に連れてってもらってたという
「アイラ’ズ・ロウドサイド・ダイナー」というショボい店で、
マギーにススメられたレモンパイを口にしながらフランキーはつぶやく。
「うまい。こんなうまいものを食べながらなら、俺は死んでもいい」
「モ・クシュラ」マギーの望みどおり、
そのライフラインを絶って姿をくらましてたフランキーは、
ラストシーン、その店のカウンター席に観客に斜めに背を向けて座ってる。それは、
フランキーもその店を出てすぐに死ぬであろう、という暗喩である。
オモテ向き、「ミリオン・ダラー・ベイビー」は、尊厳死・介錯・殉死問題を包含した、
男女を入れ替えた現代版「モンパルナスの灯」なのである。そして、
「青」熊とレモンパイの「黄」が補色対比されてるのである。
青熊に「ゴウ・アヘッド。メイク・マイ・デイ」と恫喝しないところが、
監督イーストウッドのダーティー・ハリーからの成長である。いっぽうで、
ウラは、マギーが戦った最後の2試合の相手は、英国、そして独国である。
バートレット大統領のスタッフ、サム・シーボーン義兄貴は、このさい、無関係である。
三十路過ぎのマギー・フィッツジェラルド嬢は、
不思議なKO技術を身につけたボクサーである。
ボクシングにしろ何にしろ、スポーツ・勝負の世界では、
相手の意表をつくことが勝つための極意である。また、
孫子曰く「損シて得取れ」、ということもある。義母の計略にひっかかった
フリをして毒リンゴを口にするのも、それらの教えの実践である。
イーストウッドが映画を初めて観たのは7歳の頃、
ディズニー映画「白雪姫」(1937年)だそうである。
私が子どもの頃にTVで観た映画でいちばん印象に残ってるのは、
ナンセンス・ギャグ映画「底抜け西部へ行く」(1956年)である。
いまでも、私はジェリー・ルイスのナンセンス・コメディ好きである。ともあれ、
「ザ・シークレット・サービス」(1993年)は、
大統領を警護する男を描いた映画であったが、
南軍総司令官リーのヴァージニアでの降伏のたった数日後の夜、
警護官がひとりもつかずに観劇してるときに、
易々と(as easy as pie投げ)背後から撃たれて消されたのが、
190cmを越える大男「リンカーン」である。
じつは、警護官はたったひとりだけいたのだが、
開演するとすぐに劇場を抜け出し、近くの酒場に直行。
そして、そこには暗殺者ジョン・ウィルクス・ブースがいたのである。また、
北軍総司令官ユリ徹シリーズ・グラントが夫妻で同席するはずであったが、
ドタキャンしたのである。
夫人が行状が尋常ならざるリンカーン夫人との同席を
イヤがったために欠席したのだ、ということになってる。が、
それもリンカーン抹殺包囲網の一環だったのであろう。
単細胞のブースは鉄砲玉として利用されたにすぎない。
「スィク(こんなんやで)、センペル(いっつも)、
ティラニス(専横者(の最期)っちゅうんは)!」
南北戦争の素地のひとつはカンザス・ネブラスカ法制定にある。
それでミズーリ協定がコケにされたために、南北対立が深まったのである。
さて、「ネブラスカ」州「リンカーン」市生まれ、といえば、
ヒラリー・スワンク女史である。
「(邦題)ビヴァリーヒルズ青春白書」での子持ちバツイチ役でも
際立ってたのであるが、あのドラマはクビになったのだそうである。
飄々としたノリユキ・パット・モリタのミヤギ老人シリーズもの、
「(邦題)ベスト・キッド」の「4」でも光ってた。
最初のオスカーを取った「ボーイズ・ドント・クライ」、
宇津井健もどきなアル・パチーノを相手にした「インソムニア」、
などもよかったが、私は「マリー・アントワネットの首飾り」の
ジャンヌ役のような「時代劇」のヅラかぶり役も好きである。が、
おそらく同女史がもっとも本領を発揮するのは、
「そこらへんにいる」現代女性を演じるときだと思う。
「ミリオン・ダラー・ベイビー」でのヒラリー・スワンクの
「ベスト・パフォーマンス」だと私が思ったのは、やっと
トレイナーを引き受けてくれたイーストウッドに握手を求めるときの
「手の差し出しかた」である。ここで、私の涙腺は最大に刺激された。
こんな魅力的な女優は、古今東西皆無である。
ときに、「ミリオン・ダラー・ベイビー」は、身長190cm台の
イーストウッドが製作・監督・主演・音楽をマルチ担当した。
この映画でのイーストウッドの役名は、
セザール・オーギュスト・「フランキー」である。キャラは、
LAでショボいボクシング・ジムを経営してる男というものである。
この映画が製作された2004年、くしくも、
クリストファー・リーヴが死亡した。
マギーはフランキーをシンジて死を望んだのであるが、
リーヴ氏は最後まで生きることを選択した。ヒトの生命の尊厳とは、
生であれ死であれ、それぞれの意思を尊重することに他ならない。
というのが「オモテ」である。では、「ウラ」はといえば……レッズ、ではない。
ネブラスカ生まれの元大統領ジェラルド・フォードが主催するスキー大会は、
リストファー・リーヴのために「ミリオン・ダラー」もの基金を集めた、のである。
いっぽう、耶蘇教原理主義者で英国王室とも縁戚であるブッシュ大統領は、
脊椎を再生したいリーヴにとっては喉から手がでるほど
すがるりたい藁だった幹細胞研究開発費を抑えてたのである。
マギーの実家からの帰り、マギーが幼い頃に亡き父に連れてってもらってたという
「アイラ’ズ・ロウドサイド・ダイナー」というショボい店で、
マギーにススメられたレモンパイを口にしながらフランキーはつぶやく。
「うまい。こんなうまいものを食べながらなら、俺は死んでもいい」
「モ・クシュラ」マギーの望みどおり、
そのライフラインを絶って姿をくらましてたフランキーは、
ラストシーン、その店のカウンター席に観客に斜めに背を向けて座ってる。それは、
フランキーもその店を出てすぐに死ぬであろう、という暗喩である。
オモテ向き、「ミリオン・ダラー・ベイビー」は、尊厳死・介錯・殉死問題を包含した、
男女を入れ替えた現代版「モンパルナスの灯」なのである。そして、
「青」熊とレモンパイの「黄」が補色対比されてるのである。
青熊に「ゴウ・アヘッド。メイク・マイ・デイ」と恫喝しないところが、
監督イーストウッドのダーティー・ハリーからの成長である。いっぽうで、
ウラは、マギーが戦った最後の2試合の相手は、英国、そして独国である。
バートレット大統領のスタッフ、サム・シーボーン義兄貴は、このさい、無関係である。
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