チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「森の水車のコトコトcotton/米山正夫生誕100年」

2012年10月03日 17時39分32秒 | toneナリノ曲ハヨク歌曲ウ歌謡曲ダ
米山正夫(よねやま・まさお、1912-1985)といえば、
私がガキだった頃にTVでやってたCMソング
「ヤン坊マー坊、天気予報の歌」「ヤンマー・燃える男の赤いトラクター」
の作曲者として、また、
当時の歌謡曲番組で歌われてた歌の作曲者として
その名前が画面にしばしば出てきたことで、
なじみだった名前である。
「リンゴ追分」「三百六十五歩のマーチ」「花はおそかった」など。
そのいっぽうで、
小学校の音楽の教科書に載ってた
「森の水車」の作曲者でもあった。その当時、母に訊くと、
「戦後、並木路子が歌ってたけど、ナツメロが教科書に載るなんてねぇ。
戦時中にデコちゃんが歌ったときは敵性歌謡っていって
発禁になったのよ」
というようなことを、
デコちゃん(高嶺秀子女史)が好きだった母は言ってた。

なぜ発禁になったかといえば、
その理由は明らかにされてない。
1)歌詞の中に「ファミレドシドレミファ」という外国語が入ってるから。
2)Richard Eilenberg(リヒャルト・アイレンベルク、1848-1927)の
"Die Muehle im Schwarzwald(ディ・ミューレ・イム・シュヴァルツヴァルト=黒森の中の水車)"
という外国人が作曲したpf用のサロン音楽を前奏に引用したから。
というふたつの理由がおもに推測されてる。
1)緑の森のかなたから、陽気な唄が聞こえましょう。
 あれは水車の廻る音。
 耳をすまして、お聞きなさい。
 コトコト、コットン。コトコト、コットン。ファミレドシドレミファ。
 コトコト、コットン。コトコト、コットン。仕事にはげみましょう。
 コトコト、コットン。コトコト、コットン。いつの日か、
 楽しい春がやって来る。
2)♪ソーソ・ソーソ│<ソ>ミ>レ・>ド>シ>ラ│>ソーー・ー●●│
 <ソ>ミ>ド・<ド>シ>ラ│>ソーー・ー●●♪
ところが、
1)は外国語といってもイタリア語であり、
2)は1893年、チャイコフスキーが死ぬ年に
ロシアのユルゲンソンから出版されたものとはいえ、作曲者は
外国人といってもドイツ人である。
1)2)の"外国"はともに
昭和17年当時の大日本帝国の軍事同盟国である。けっして、
"敵性"ではなく、あきらかに適正である。
ドイツはまだ降伏してないし、イタリアも連合国に寝返って
戦後補償を日本に要求する前のことである。そこで、
私はこう想像する。
「コトコト、コットン。コトコト、コットン」
というフレイズが執拗に繰り返される。これは、
「コトコト、cotton」
という敵性外国語(英語)の綿を口に含んでるのである。
口利く米英だからなのである。

折りしも、
この歌謡曲が発売された昭和17年(1942年)は、
前年の封切りで第14回アカデミー賞に9部門がノミネイトされ、
脚本賞を得た"Citizen Kane(スィティズン・ケイン、いわゆる
市民ケーン)で、オースン・ウェルズの子飼いである
Joseph Cotten、ジョウセフ・カットゥン(1905-1994)、いわゆる
ジョセフ・コットンが映画デビューした。この映画は、
玄人受けした(現在でも米国の歴代映画ランキング一、ニである)が、
興行的には(つまり、一般の人々には)難解で忌避され、
ウェルズはオーソンというよりは大損した。ちなみに、
この第14回のアカデミー賞の主演女優賞には
オリヴィア・デ・ハヴィランドとジョウン・フォンテインの姉妹がそれぞれ
ノミネイトされてて、妹が勝ちとった。この、
ともに東京生まれの年子の姉妹はまた、
ガチ犬猿の仲として有名であるが、ともに
96歳、94歳で健在である。

ところで、
水車といえば、西洋では粉を挽くのに使われるが、
日本においては粉類を挽くためだけでなく
水田の灌漑用に使われたりもした。その原理は
明治になって紡績に用いられた。すなわち、
臥雲(横山)辰致(がうん・ときむね、西暦およそ1842-1900)が、
明治6年に紡績機械を発明した。いわゆる、
ガラ紡(コトコトではなくガラガラという音がしたから)である。
三河の松平地区でこの紡績がさかんになったが、明治23年に
機織機の改良した23歳の大工がいた。
豊田佐吉(とよだ・さきち、西暦およそ1867-1930)
である。昭和8年に長男の喜一郎が目をつけたのが
自動車産業だった。それがわずか50年で、
"世界のトヨタ"となったのである。ちなみに、
李氏朝鮮では"木を曲げる技術と能力がなかった"ので、
木を随意の曲率に曲げて繋ぎ合わせて輪を作れなかった。
木製の桶や樽はもちろん曲げる必要もない水車も作れなかったのである。
室町時代に朝鮮の使節らが日本の揚水式水車を見て驚き、
写生して帰ったものの、ついに製作されることはなかった。

そのかわり、
李氏朝鮮の頭脳の粋を極めた、"日本軍を撃退した"「亀船」、
という虚構で虚栄心のすきっ腹を満たすのである。さらには、
"世界初"の「測雨器」である。"世宗実録"の
「墨」の年代測定はけっしてさせないだろうが、
雨量を測る容器はなぜか青銅製"だった"らしい。とはいえ、
私がガキの頃にはすでに伝説の存在となってた
いわゆる"乞食"はゴザを敷いて空き缶を置いて物乞いをしたという。
いずれにしても、そのカンカラと大差ない代物である。
高度な科学技術などとは無縁の原理である。ともあれ、なるほど、
青銅などという腐食しやすい材質であったから、世宗時のものは
"ひとつたりとも現存してない"
わけである。秀吉の朝鮮出兵のせいでこの"高度な技術"による
"100年以上続いた"測量の歴史が閉ざされたのだそうである。
秀吉軍によって容器も資料も散逸されたというのである。それが、
なぜか18世紀に"復元"されたのである。
資料がないのになぜ"資料をもとに復活させる"ことができたのか、
また、資料がないのになぜ100年以上観測がされてたのかを
"途絶えて"から200年以上経って知りえるのか、不思議である。
"竹島に関する記述"というのもこれまた同じ。
スワップ拡充枠延長を請願しないといっても、
もともとの宗主国中国さまとのスワップもあるし、
日本とのスワップは非拡充分は残るから、
それが切れる来年またせびればいいさ。
"It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied;
better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.
And if the fool, or the pig, are of a different opinions,
it is because they only know their side of the question;
How can I Go・o・o・o on ... without Ilbon!?"
by Jeon Stuart Mill
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