コール・ポーター没後50年 So in Love
今期の米大リーグ(MLB)アメリカン・リーグのリーグ・チャンピオンシップ決定戦は、
カンザススィティ・ロイアルズとボーティモー・オウリオウルズとの対戦となった
(ワイルドカードあがりのロイアルズが現在王手をかけてるが)。
ボルティモアといえばベイブ・ルースの出身地である。
私はウィーヴァー監督時代のO'sファンだった。
メモーリアル・ステイディアムが懐かしい。それはともあれ、"ボルチモア"は
1948年にNY・ブロードウェイで初演されたミューズィカル、
"Kiss me, Kate(キス・ミー、ケイト)"の"舞台"となった町でもある。
本日は、このミューズィカルの音楽を担当したポピュラー・ソング・ライターの
Cole Porter(コウル・ポーター、1891-1964)
の没後50年にあたる日である。
ポーターはインディアナ州の裕福な家に生まれた。とくに、
母の実家はとてつもない金持ちだった。その家の
一人息子として、母方の祖父から大きな期待をかけられた。だから、
マサチューセッツの名門私立校へ入れられ、イェイル大に進学した。そして、
弁護士となるべく、ハーヴァードのロー・スクールに進んだが、
性分にあわずにすぐに中退した。
音楽の才能があったので、その道に進みたかったのである。が、
当初はことごとくウケず、興行や上演はポシャった。
その傷心を癒すために、金持ちのボンボンなので、パリで暮らした。
そこで知り合ったのが、やはり米国上流階級出の、
結婚歴のある年上の女性、リンダ・リーだった。
そこらへんのことは、ポーターの半生を描いた2004年の映画、
"De-Lovely(ディ・ラヴリー、邦題=五線譜のラブレター)"
の序盤に描かれてる。原題は、
de-(外に引き出す)という接頭辞からなる
delightful、delicious、delectable、deluxe、
といった形容詞を並べた歌詞に語呂合わせとして
de-lovelyという造語を加えた歌である。
この映画は作品としては(とくに構成が)駄作だが、
リンダ役のアシュリー・ジャッド女史はじつに"de-lovely"だった。
ポーターはゲイだったが、リンダは特別な存在だった。
結婚し、リンダの"内助の功"でポーターはポップス作曲家として成功し、
名声を勝ち得た。ポーターの(男への)浮気が原因で、
夫婦仲は危うくなった。が、結局は
リンダはポーターを許す。ウォルドルフ・アストリアの一室で
ポーターがリンダを傍らにピアノを弾き語るスィーンで映画は閉じられる。
同ホテルは実際にリンダが死んだ場所である。
こうした二人の関係は、
「キス・ミー、ケイト」の中の歌、
"So in Love(ソウ・イン・ラヴ)"(作詞作曲=ポーター)の
歌詞そのものである。この歌詞は
女性が一人称として書かれてる。つまり、
ポーターがリンダの立場で描いてるのである。
万感胸に迫る錯綜した愛情を感傷に浸って表現した、
ポーター一世一代のポップス・ソングである。
(以下に、音源をもとに私が耳で聴いた歌詞を
文字に起こしたものを連ねてみる。
簡易な単語ばかりなので、拙カタカナ読みは省略する)
"Strange dear, but true dear,
When I'm close to you, dear,
The stars fill the sky,
So in love with you am I.
Even without you,
My arms fold about you,
You know darling why,
So in love with you am I.
In love with the night mysterious,
The night when you first were there,
In love with my joy delirious,
When I knew that you could care,
So taunt me, and hurt me,
Deceive me, desert me,
I'm yours, till I die,
So in love with you, my love am I"
(以下、拙大意)
ねえあなた、不思議だけど、本当なのよ。
あなたのそばにいると、
空一面に星が満ちてくるの。
あなたに夢中なの、私。
あなたがそばにいないときでも、
あなたの背に手をまわしてハグしているの。
どうしてだか判るでしょ、あなた?
それだけあなたのとりこになってしまってるっていうことなのよ。
あの神秘的な夜に恋におちたの、
あなたが初めて私の目の前に現れた夜のことよ。
恋に落ちて無我夢中にときめいてたわ、
あなたももしかして私に好意をよせてくれるんじゃないかって思ったから。
だからたとえ冷たい言葉を浴びせられても、心を傷つけられても、
裏切られても、去っていかれても、
私は死ぬまであなたの意のまま。
あなたに夢中なの、大切なあなたに、私は。
(*)助動詞could=canの過去形。可能性の推量。~することがあるかもしれない。
動詞care=関心を持つ。好意を寄せる。
形容詞delirious(ダリリアス)=錯乱した、無我夢中の。
動詞taunt(トーント)=冷ややかな言葉を浴びせる。
上戸彩女史と潮田玲子女史の声を百発百中には
聞き分けれない拙脳なる私の耳で聴いた歌詞を
文字にしたので、原作とは違ってる箇所が
多々あるかもしれない。また、
この「キス・ミー、ケイト」というミューズィカルは、
沙翁の"The Taming of the Shrew(ダ・テイミング・オヴ・ダ・シュリュー
=じゃじゃ馬ならし)"を下敷きにしたものである。つまり、
カテリーナが、
"Asses are made to bear, and so are you."
(アスィーズ・アー・メイド・トゥ・ベア、アンド・ソウ・アー・ユー。)
「(拙大意)ロバは荷物を運ぶようにできてるのよ、あなたもだけど」
と言えば、ペトルーキオが、
"Women are made to bear, and so are you."
(ウィミン・アー・メイド・トゥ・ベア、アンド・ソウ・アー・ユー。)
「(拙大意)女は子を産むようにできてるんだよ、おまえもな」
(動詞bearの「子を産む」という意味から派生した
「荷を背負う(て運ぶ)」という意味を対比させた
ダジャレ・セリフがあるくらいなドタバタ・コメディなので、
そのタイトル(女性を調教する、馴致する、飼い慣らす)も含めて、
現在の"男女同権""男女共同参画社会"派の連中からは
女性蔑視と目の敵にされそうな内容の舞台なのである。ちなみに、
劇中、イタリア女のカテリーナという名を英語のキャサリンのニックネイム形
Kate(ケイト)と呼んでるのだが、ポーターの母の名も
キャサリン(ニックネイムはケイト)だった。
ついでに言えば、
シェイクスピアの原作の「じゃじゃ馬ならし」の中で、
ペトルーキオがケイトに対して、
"Kiss me, Kate"
というセリフを言う場面が、
2幕1場、5幕1場、5幕2場(幕切れ近く)、と
3度ある。ここから、
ミューズィカルはタイトルを採ったのである。
が、ともあれ、
"So in Love"は、
腹話術の人形、あるいは、デン助のメイクをした大宮敏充、
とコウル・ポーターの顔を瞬時には判別できないこともある
拙脳なる私には、上記、原作と絡めたミューズィカルでの
リリーとグレアムとの心情の機微は推し量れないが、それでも、
歌詞だけでも聴いてて涙があふれてしまう傑作である。のちに、
日本の玉置浩二がこの曲に感化されて、
「ワインレッドの心」
を今以上に抱いてしまった。
♪ミ<ファファ>ミ│ミ<シシ>ラ……ソ>ファ>ミ>レレ♪
踊ろう赤い靴ぅ~♪ミ<ファファ>ミ│ミ<ドド>シシー♪……ではない。
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