チャイコフスキー 夜想曲(op.10-1) ノクターン ヘ長調
現行暦の今日5月7日は、
Пётр Ильич Чайковский
(ピョートル・イリイーチ・チィコーフスキィ、いわゆる
ピョートル・イリイッチ・チャイコフスキー、1840-1893)
の誕生日である。誕生日といえば、
イエスの誕生日が12月25日に"決定"されたのは、
西暦325年のニカイア(ニケーア)公会議で、である。
韓国の船の事故とその処理はひどいものだが、
その船のオウナーはキリスト教系の新興カルト宗教の教祖だという。
儒教精神で李王の王宮より高い建造物は禁忌だったから
都には二階屋は建てれなかった、という咄がある。が、実際には、
複階層の建物が容易に造れなかったことへのいいわけ、
という咄もあるらしい。たしかに、
そんなのからまだ5代も経ってない子孫らが
客室2階分を増設したらどうなるか……。
ニカイア公会議が開かれた地は現在のトルコの
イズニクである。紀元前4世紀にこの地を獲得した
リュシマコスが最初の妻の名を採って
ニカイアと名付けたものである。
勝利の女神のことである。
英語ではNike(ナイキ)であり、つい最近、
間近になったサッカー・ワールド・カップ開催に先駆けて
マーキュリアル・スーパー・フライ開発を発表した
シューズ・メイカーもその名が由来である。
中国ではナイキの工場でストが起こったことから、
中国からの撤退をCEOがにおわせたらしい。
それはともかくも、
ヘレニズム時代の都市ニケーアは
広く交易を行って栄えてた。
その出先都市のひとつが現在のフランスの
Nice(ニース)である。その地名も
ニケーアが由来である。
ニースといえば、
1871年の暮、31歳のチャイコフスキーは、
当時の愛弟子ヴラヂーミル・シローフスキー
(シローフスキー兄弟の弟のほう)を引き連れて、
西欧に遊山に出かけた。もちろん、
この伯爵家の弟子のカネで。そして、
ニースに滞在した。このときに作曲して
シローフスキーに献呈したのが、
「2つの小品、作品10」の第1曲、
"Nocturne(ノクテュルヌ=夜想曲)"である。
[Andante cantabile、2/4拍子、1♭(ヘ長調)]
(A-B-A-B)という構成である。
この曲については、9年前に、
「ヤーコプ・ゲルショヴィッツと我修院達也」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/9c001dabd710aacab8d57c8361e4eeef )
ですでにふれたので、そちらも参照されたい。
チャイコフスキーのピアノ曲の中でも
とくに好きな作品なので、また採りあげた。
(楽譜作成ソフトのSibelius Firstで作った同曲を
https://soundcloud.com/kamomenoiwao01/tchaikovsky-nocturneop10-1
にアップしました)
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