六本木ヒルズの森アーツ・ギャラリーでこの
4月から6月に開催されてた
「ボストン美術館展」(現在は京都で開催されてるかも)に、
ヴァン・ダイクの真作であると比較的近年判定が下った
「チャールズ1世の娘メアリ王女」
が展示されてた。初めて観た。
何とも言い難い色彩だった。が、
父王によく似てた。
英国ふうな名でいうとアンソニーであるヴァン・ダイクは、
フランドルのアントウェルペン(アントワープ)で生まれた。
ルーベンスの工房で修業しイタリアで研鑽した。自身、
けっこうなイケメンだったが、肖像画家になった。
1632年からは英国に渡ってチャールズ1世の宮廷画家となった。
チャールズ1世はアンリ4世の娘であるアンリエット・マリーを正妻にした。
当時、英国の植民地だった米国の
Marylandの地名の由来となった妃である。ともあれ、
チャールズはカトリックの妃を娶ったことで、諸侯らの反感をかう。
クロムウェルらのピュアリタン革命で斬首された。ちなみに、
Puritan(ピュアリタン)とは英国のプロテスタントの一派である。
Putain(ピュタン)だと、ビッチと罵ったことになって
ピッチでズィダンに頭突きをくらうことになる。冗談はともかく、
そのPuritanらの中でも、
チャールズ1世の父でタバコ嫌いでも知られるジェイムズ1世の
弾圧から逃れて米国に渡ったのが、あの有名な
1620年のメイ・フラワー号のピルグリム・ファーダーズである。
英国国王家はこのスチュワート朝がアン女王で途絶えると、
スチュワート朝の血を引くドイツ・ハノーファー家のゲオルクが
ジョージ1世としてハノーファー朝(のちのウィンザーと改名)となるが、
あのダイアナ元妃もまぎれもなくチャールズ1世の子孫である。そして、
ダイアナ元妃のスペンサー家のほうが現英国王室よりも"濃い"のである。
現在、パリのルーヴル美術館が所蔵してて、フランス語で
"Portrait du roi a la Chasse
(ポルトレ・デュ・ルワ・ア・ラ・シャス=狩場の王の肖像)"と題されてる、
「英国国王チャールズ1世の肖像」は、1635年(国王35歳)に
描かれた。英国と関わりがあったデュ・バリー伯爵夫人が
所有してたのがルーヴルに渡ったのである。
画面向かって左に左を向いてる国王と空、
画面右の馬丁と小姓と馬と木々、という対比な構図である。
国王は左足をやや前に出し、上半身を左にひねって正面を向いてる。
たいした絵ではないものの、しかし、気になる絵である。
国王チャールズの表情、というか、その目線が
ヒトの心をとらえるのである。
ヴァン・ダイクは1641年の12月にロンドンで死ぬ。42歳。
チャールズ1世が48歳でホワイトホール宮殿のバンケティングハウス前で
公開斬首されたのはその7年1箇月後の1649年1月だった。
4月から6月に開催されてた
「ボストン美術館展」(現在は京都で開催されてるかも)に、
ヴァン・ダイクの真作であると比較的近年判定が下った
「チャールズ1世の娘メアリ王女」
が展示されてた。初めて観た。
何とも言い難い色彩だった。が、
父王によく似てた。
英国ふうな名でいうとアンソニーであるヴァン・ダイクは、
フランドルのアントウェルペン(アントワープ)で生まれた。
ルーベンスの工房で修業しイタリアで研鑽した。自身、
けっこうなイケメンだったが、肖像画家になった。
1632年からは英国に渡ってチャールズ1世の宮廷画家となった。
チャールズ1世はアンリ4世の娘であるアンリエット・マリーを正妻にした。
当時、英国の植民地だった米国の
Marylandの地名の由来となった妃である。ともあれ、
チャールズはカトリックの妃を娶ったことで、諸侯らの反感をかう。
クロムウェルらのピュアリタン革命で斬首された。ちなみに、
Puritan(ピュアリタン)とは英国のプロテスタントの一派である。
Putain(ピュタン)だと、ビッチと罵ったことになって
ピッチでズィダンに頭突きをくらうことになる。冗談はともかく、
そのPuritanらの中でも、
チャールズ1世の父でタバコ嫌いでも知られるジェイムズ1世の
弾圧から逃れて米国に渡ったのが、あの有名な
1620年のメイ・フラワー号のピルグリム・ファーダーズである。
英国国王家はこのスチュワート朝がアン女王で途絶えると、
スチュワート朝の血を引くドイツ・ハノーファー家のゲオルクが
ジョージ1世としてハノーファー朝(のちのウィンザーと改名)となるが、
あのダイアナ元妃もまぎれもなくチャールズ1世の子孫である。そして、
ダイアナ元妃のスペンサー家のほうが現英国王室よりも"濃い"のである。
現在、パリのルーヴル美術館が所蔵してて、フランス語で
"Portrait du roi a la Chasse
(ポルトレ・デュ・ルワ・ア・ラ・シャス=狩場の王の肖像)"と題されてる、
「英国国王チャールズ1世の肖像」は、1635年(国王35歳)に
描かれた。英国と関わりがあったデュ・バリー伯爵夫人が
所有してたのがルーヴルに渡ったのである。
画面向かって左に左を向いてる国王と空、
画面右の馬丁と小姓と馬と木々、という対比な構図である。
国王は左足をやや前に出し、上半身を左にひねって正面を向いてる。
たいした絵ではないものの、しかし、気になる絵である。
国王チャールズの表情、というか、その目線が
ヒトの心をとらえるのである。
ヴァン・ダイクは1641年の12月にロンドンで死ぬ。42歳。
チャールズ1世が48歳でホワイトホール宮殿のバンケティングハウス前で
公開斬首されたのはその7年1箇月後の1649年1月だった。
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