8月11日というのは、清朝初代皇帝アイシンギョロ・ヌルハチの命日(1626年)
なのだそうである。ヌルハチは建州女真の一部族の長の家に生まれたそうである。
祖父ギオチャンガと父タクシを明と同族ニカンワイランの策謀で殺されて、
にわかにヌルハチの人生が変わった。もう、撃って出るしか道はなくなってしまった。
これは天命である、一族の未来を父が自分に託シたのである、と感じたのである。
やがて、満州女真族全体を統一したヌルハチは大ハーン→皇帝に即位、
先祖の「金」にならって「後金」と称したのが「大清国」の始まりだそうである。
ちなみに、「アイシン」とは満州語で「金(gold)」のことらしい。
それまで漢人の明朝に虐げられつづけ、ついに我慢の限界に達したヌルハチは
明に対して「7大恨」を突きつけ、対明宣戦布告をするに到るのである。
怒った明は大軍を派遣。が、ヌルハチはサルフの戦いで明の大軍を撃破、
遼陽に都を築き、数年後には瀋陽に遷都。
ただし、寧遼城攻めには手こずり、一説によると、
ヌルハチ自身、大砲で応戦されたときの負傷がもとで死んだ、とか。
もっとも、滅びかかってる明の中国へこの女真族が乗り込む、
というのは時間の問題だったのである。
2代めを嗣いだホンタイジの時代にモンゴルのチャハル部を平定し、
李氏朝鮮を服属させ、国号を「大清国」と改め、
対明工作には情報戦をしかけてまんまと成功させたそうである。
そして、いよいよ、明の混乱に乗じて、
3代めの幼帝のとき、「大清国」は北京に入城するのである。
そして、約300年、満州女真が中国を治めることになるのである。
ところで、女真族を統一したとき、ヌルハチが最後に平定したのがエホナラである。
その首長ブヤングが従わずに抵抗して死んだとき、
「たとえ我が海西女真のエホナラ族にたった一人の女子しか生き残らなかったとしても、
その娘が貴様ら建州女真一族を滅ぼすであろう」という予言を言い残したらしい。
それから2百数十年後、下級官吏の家に利発な玉蘭(ユィラン)という名の娘が生まれる。
幼くして五経を諳んじ、機に敏であったという。後宮にあがり、
第9代皇帝咸豊帝にみそめられ男子を産むのである。この娘こそ、
のちの西太后である。そして、エホナラ族の出であった。
咸豊帝が崩御し、西太后が産んだ皇子載淳が第10代皇帝に即位するのであるが、
いわゆる「垂簾政治」が始まる。当初は皇后の東太后と「ツートップ」体制であったが、
♪ねぇ、同治帝ぇ~~~、すごくすごく、好きなぁ~~~ことぉ~~~~~♪
西太后の実子である同治帝は東太后になついてて、実母をけむたがったのだそうである。
やがて、同治帝は梅毒で死に、西太后は実妹の倅を跡継ぎにすえる。
第11代光緒帝である。いつのまにか東太后は「消え」てしまう。
が、この皇帝も西太后に逆らうようになり、臣下を巻き込んだ政争となったが、
ふたりとも同時に死の床につくはめになったのだそうである。
ジョン・アダムズとその政敵トマス・ジェファースンのように、同日に息をひきとった。
ただし、光緒帝が死んだという知らせを聞くまでは絶対に死なないと言ったとおり、
西太后は「あと」に死んだのである。
「少しでも私を不愉快にした者には、その8百倍の苦しみを与えてやる」
と言い放ってた人物だけのことはある。善悪は別にして、根性が違うのである。
気弱な性格の男を父に持つ溥儀を後継者に据えてから、西太后は死んだ。
この西太后が清朝を滅ぼした、のだそうである。が、はたしてそうであろうか。
それから11年後の8月11日、米国では鉄鋼王アンドルー・カーネギーが死んだ。
「ダ・ファースト・マン・ゲッツ・ディ・オイスター、セカンド・マン・ゲッツ・ダ・シェル」
(拙大意:一番乗りは牡蠣を食って育ち、二番煎じは蛎殻の石灰を肥やしに成長する)
という言葉を残した。9月11日、
郵政民営化反対自民党議員らはどのような言葉を残すであろう。ときに、
妊娠すると、胎児に栄養を与えなければならないので、妊婦は食欲旺盛になるそうである。
お腹が空いてんグ~。日本橋蛎殻町からほど近い八重洲のおけい寿司には、
第12代皇帝の同母弟故愛新覚羅溥傑(夫人は嵯峨浩)の独特の書体の書が飾ってある。
「よく、お付きのかたがこの前の路地に車を停めて待ってられました」
フリートリヒ2世のポツダムの宮殿は「サン・ススィ(心配の種なし=極楽とんぼ)」、
であったが、溥傑殿の胃袋は「サン・スシ(鮨ネタなし)」ではだめだったようである。
なのだそうである。ヌルハチは建州女真の一部族の長の家に生まれたそうである。
祖父ギオチャンガと父タクシを明と同族ニカンワイランの策謀で殺されて、
にわかにヌルハチの人生が変わった。もう、撃って出るしか道はなくなってしまった。
これは天命である、一族の未来を父が自分に託シたのである、と感じたのである。
やがて、満州女真族全体を統一したヌルハチは大ハーン→皇帝に即位、
先祖の「金」にならって「後金」と称したのが「大清国」の始まりだそうである。
ちなみに、「アイシン」とは満州語で「金(gold)」のことらしい。
それまで漢人の明朝に虐げられつづけ、ついに我慢の限界に達したヌルハチは
明に対して「7大恨」を突きつけ、対明宣戦布告をするに到るのである。
怒った明は大軍を派遣。が、ヌルハチはサルフの戦いで明の大軍を撃破、
遼陽に都を築き、数年後には瀋陽に遷都。
ただし、寧遼城攻めには手こずり、一説によると、
ヌルハチ自身、大砲で応戦されたときの負傷がもとで死んだ、とか。
もっとも、滅びかかってる明の中国へこの女真族が乗り込む、
というのは時間の問題だったのである。
2代めを嗣いだホンタイジの時代にモンゴルのチャハル部を平定し、
李氏朝鮮を服属させ、国号を「大清国」と改め、
対明工作には情報戦をしかけてまんまと成功させたそうである。
そして、いよいよ、明の混乱に乗じて、
3代めの幼帝のとき、「大清国」は北京に入城するのである。
そして、約300年、満州女真が中国を治めることになるのである。
ところで、女真族を統一したとき、ヌルハチが最後に平定したのがエホナラである。
その首長ブヤングが従わずに抵抗して死んだとき、
「たとえ我が海西女真のエホナラ族にたった一人の女子しか生き残らなかったとしても、
その娘が貴様ら建州女真一族を滅ぼすであろう」という予言を言い残したらしい。
それから2百数十年後、下級官吏の家に利発な玉蘭(ユィラン)という名の娘が生まれる。
幼くして五経を諳んじ、機に敏であったという。後宮にあがり、
第9代皇帝咸豊帝にみそめられ男子を産むのである。この娘こそ、
のちの西太后である。そして、エホナラ族の出であった。
咸豊帝が崩御し、西太后が産んだ皇子載淳が第10代皇帝に即位するのであるが、
いわゆる「垂簾政治」が始まる。当初は皇后の東太后と「ツートップ」体制であったが、
♪ねぇ、同治帝ぇ~~~、すごくすごく、好きなぁ~~~ことぉ~~~~~♪
西太后の実子である同治帝は東太后になついてて、実母をけむたがったのだそうである。
やがて、同治帝は梅毒で死に、西太后は実妹の倅を跡継ぎにすえる。
第11代光緒帝である。いつのまにか東太后は「消え」てしまう。
が、この皇帝も西太后に逆らうようになり、臣下を巻き込んだ政争となったが、
ふたりとも同時に死の床につくはめになったのだそうである。
ジョン・アダムズとその政敵トマス・ジェファースンのように、同日に息をひきとった。
ただし、光緒帝が死んだという知らせを聞くまでは絶対に死なないと言ったとおり、
西太后は「あと」に死んだのである。
「少しでも私を不愉快にした者には、その8百倍の苦しみを与えてやる」
と言い放ってた人物だけのことはある。善悪は別にして、根性が違うのである。
気弱な性格の男を父に持つ溥儀を後継者に据えてから、西太后は死んだ。
この西太后が清朝を滅ぼした、のだそうである。が、はたしてそうであろうか。
それから11年後の8月11日、米国では鉄鋼王アンドルー・カーネギーが死んだ。
「ダ・ファースト・マン・ゲッツ・ディ・オイスター、セカンド・マン・ゲッツ・ダ・シェル」
(拙大意:一番乗りは牡蠣を食って育ち、二番煎じは蛎殻の石灰を肥やしに成長する)
という言葉を残した。9月11日、
郵政民営化反対自民党議員らはどのような言葉を残すであろう。ときに、
妊娠すると、胎児に栄養を与えなければならないので、妊婦は食欲旺盛になるそうである。
お腹が空いてんグ~。日本橋蛎殻町からほど近い八重洲のおけい寿司には、
第12代皇帝の同母弟故愛新覚羅溥傑(夫人は嵯峨浩)の独特の書体の書が飾ってある。
「よく、お付きのかたがこの前の路地に車を停めて待ってられました」
フリートリヒ2世のポツダムの宮殿は「サン・ススィ(心配の種なし=極楽とんぼ)」、
であったが、溥傑殿の胃袋は「サン・スシ(鮨ネタなし)」ではだめだったようである。
人口比で漢人に対して100分の1にも満たない民族が300年も支配するのですから、
彼らの力は並大抵ではありませんね。建国当時はその独自の軍組織が、
力をハッキしたらしいですね。ちなみに、麻布にある現在の在日中国大使館はかつて
日本が太祖(対ソ)の基点にしようとした満州(帝)国の在日大使館だったところです。
そこからほど近い麻布十番商店街祭(神輿などは出ずに露店だけですが)が、
今年もこの金土日の三日間、盛大に行われました。
iinaは朱子学の中国について、話をひろげましたが、映画でも観た「西太后」まですすめられたのですね。
悪い面ばかりでなく、国を西洋から守るためおずかながら清を延命させた評もあります。
実は、映画は前-後編のTV放映をビデオで録ったものの、ラスト近くでテープが終わっていて、いまだに気になっているiinaでした。