チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「花火師アチャコは存在せず」

2005年08月02日 17時22分19秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
韓国のKBSで放送してる「オールドミス・ダイアリー」とかいうTVドラマで、
共働き夫婦が留守中に子がスープをひっくり返して火傷し、あずかってたはずの
姑に対して嫁が「きちんと面倒をみてなかった」とビンタする場面を放送したところ、
「国民の倫理意識と健全な情緒を破壊するもの」として大騒ぎになってるそうである。
たしかに反道徳的行為であり、放送してはいけない内容である。が、それはともかく、
これを報じた日本の産経新聞の一文が強烈にスットボケてて笑ってしまった。
「親に手を振り上げるなどということはまだまだ許されない社会だけに、
それをテレビでやってみせたということで非難はいっそう強い」
だと。それではあたかも、「まだまだ」ではあるけれど、
社会が成熟さえすれば「許されるようになる」みたいではないか。が、
これを書いた記者の「拙い文章力」はじつは確信犯なのかもしれない。なにせ、
韓国ではドラマの最高視聴率は未だに50パーセントとかいう高い数字だそうである。
若者にかぎらず、国民の娯楽が多様化して20パーセント取れればスゲェ、みたいな
我が国とは大違いである。それだけに、価値観がバラケてない国家では、
TVのようなマスメディの影響力は絶大なのである。昨日ふれた中国TVドラマにしても、
最高視聴率51.3パーセントなのだそうである。ところで、
そのドラマの中で、康煕帝の皇太子の立太子のセレモニーに、
「ロシア、日本、属国朝鮮」の使者が朝貢にやってくるシーンがある。
まったくのデタラメである。もう、無茶苦茶でござりますがなぁ~~。
徳川幕府は大清国に使いなど出してないのである。鎖国してるのである。
使者は日本に帰ってきたら死罪、死者にならなくてはならぬ。
が、そういう50パーセントも越す視聴率のドラマを通じて、
「誤った歴史認識」を生み出させる意図があるのかもしれない。
そして、李氏朝鮮のことはさかんに「属国」と言うのである。
鄭成功の孫が支配する台湾の武将に、「清に抵抗し、康煕を懲らしめ、
台湾を放棄させなければ、朝鮮のように属国にされる」と言わせたりするのである。
李氏朝鮮が清の属国であったことは相違ないが、事大外交でしか
生きていけなかった国に対して「属国」とことさら繰り返す冷酷さを感じる。いっぽう、
日本に対しては「南京30万人大虐殺」という数字の虚言に後ろめたさを感じてか、
周培公という「漢人」を三藩の乱時の王輔臣鎮圧の大功労者に仕立て上げ
(史実は「満人」図海の手柄)、こう言わしてる。
「大砲のようなもので城を落とせたとしても、
町を巻き添えにしたのでは、平涼城下30万の民は家を失い苦しむこととなる。
我々は勝って功成り名を遂げても、朝廷の監察官はその戦術を許さない。
歴史も我々を許さない。いつか、我々が民を虐殺したと讒言する者が出る。
その頃には平和が戻り、人々は戦いの理由を忘れ、
30万人を虐殺したことだけを覚えてる。
そのときには皇帝も我々を犠牲にせざるをえない。
図海殿、我々は今日いい思いをしても、いつか不測の禍が降りかかる」
ときに、女真族の清といえば「八旗軍」で知られる。いっぽう、我が国で
天武天皇が制定したのは「八色の姓(やくさのかばね)」、
真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連・稲置、である。7位の「連」は、
「むらじ」である。さて、
今秋10月29日(土曜)に、京都の御室仁和寺(にんなじ)の宸殿を舞台にした
ギター侍女村治佳織嬢のリサイタル斬りを、ダイナーズクラブが催すそうである。
ライトアップされた御殿で行われるそうである。さらに、演奏会後には、
同嬢を囲む茶話会もあるそうである。竹を割ったような人柄でいながら、その反面、
一途な情熱を感じさせる魅力にあふれる同嬢を間近に見れるかもしれないのである。
現地集合・現地解散、という遠足のような同会に参加したかったのであるが、拙者、
当日は波田陽区の独演会をききにいく予定があったかもしれないので、残念! ときに、
遠足、といえば「先生、バナナはオヤツに入るんですか?」というお決まりの質問がある。
こういうのを我々エ~セ~教育委員会は「遠足反応」と呼んでるのである。
アルカリ金属やアルカリ土類金属の塩を強く熱すると、その炎に色がついて見える。
黄色いナトリウム、薄紫のカリウム、橙のカルシウム、深紅のストロンチウム、緑の銅、
など、熱せられたときに熱を帯~ビタル電子がその励起状態からこんどは
元の基底状態に戻るとき、エネルギーが放出されるのである。
それがそれぞれの金属固有の波長の光として見えるのである。
これが花火の色の謎をとく鍵や、ということだそうである。もちろん、
♪基底ぇ~基底ぇ~基底ぇ~基底ぇ~、サンタ・モォ~ニカァ~~~♪
というLAあたりの海岸で打ち上がるスターマインのような舶来ものより、
カリウム・アブドゥル・ジャバーが出す紫陽花色の隅田の花火、のほうが小粋である。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「イョラーンタ#4/景と王... | トップ | 「イョ#4/景と王のアリオ... »

コメントを投稿

語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ」カテゴリの最新記事