チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「『モンマルトルの誓い』と『きよしこの夜』/フランツ・クサーヴァー・グルーバー没後150年」

2013年06月07日 16時11分40秒 | toneナリノ曲ハヨク歌曲ウ歌謡曲ダ

きよしこの夜 グルーバー没後150年


本日、2013年6月7日は、季節外れ極まりないのだが、
ドイツ語圏では"Stille Nacht, heilige Nacht(シュティレ・ナハト、ハイリゲ・ナハト)"、
英語圏では"Silent Night(, holy night)"、我が国では
「きよしこの夜」と称されてるクリスマス・キャロルの作曲者、
Franz Xaver Gruber(フランツ・クサーヴァー・グルーバー、1787-1863)が没して
150年の日にあたる。このFranz Xaverという名は、
モーツァルトの弟子で「レクィエム」を補筆したジュースマイアーや、
モーツァルトの4男などの名でもある。それらはみな、
我が国にキリスト教を伝えたことで知られる
Frantzisko Xabierkoa(フランツィスコ・シャビエルコア、1506?ー1552)
いわゆるFrancisco Xabier(フランシスコ・ザビエル)の名にちなんでる。
ザビエルとは新たな城という意味である。同人は、
現在のスペイン、バスクにあったナバラ王国の貴族の家に生まれた。
現在もその生家である城はサビエルというよりは立派にソビエルという。
土地柄、ベレー帽を愛用してたかどうかは、
壇蜜女史と泉ピン子女史の顔の区別が瞬時にはつかない
拙脳なる私には判らない。また、ヘアスタイルを
トンスラにしてたかどうかは不確かだが、布教成績が上がらない日本から
トンズラしたことははっきりしてる。
<1549(以後良く)広まるキリスト教>
という中学の社会科の日本史の年を覚える語呂合わせがあるが、
事実はまったく違ってて、どんなに頑張っても
日本でキリスト教はまったく広まらなかった。戦国期の日本では、
修道よりも衆道のほうが盛んだったのである(※)。後世、
英国の奴隷貿易拠点リヴァプールの下層階級出の
"サー・ポール"もこう歌ってる。
♪Hey Shudo, don't let me down♪
現在の日本におけるイエズス会の総本山は上智大学である。
聖イグナチオ教会という名はロヨラにちなんでる。また、
神奈川県の大船には、神学校というよりは進学校で知られる
栄光学園がある。それでも、現在でさえ
日本ではカトリックのみならずプロテスタントなどあらゆる宗派を足しても
キリスト教徒は総人口の1パーセント以下しかいないのである。ちなみに、
中国は10パーセント、韓国は30パーセントがキリスト教信者である。

ともあれ、
ザビエルはイエズス会発起人メンバーのひとりとして、
カトリックによる世界制覇の尖兵としてアジアにやってきたのである。
そのイエズス会は、1534年8月15日、
パリ大学に学ぶザビエルと同じくバスクの貴族出身の年長者ロヨラを含む
7人の同志がモンマルトル中腹のサン・ドニ聖堂で、
生涯を神に捧げる誓いを立てたことに始まる。
いわゆる「モンマルトルの誓い」である。ちなみに、
Montmartre(モンマルトル)とは、
Mont des Martyrs(モン・デ・マルチル=殉教者らの丘)
が転訛した地名である。
ザビエルは日本での布教成績の不振を挽回するために
明での布教に転進したものの、
まもなく広東あたりで病死する。が、
ザビエルがすごいのは死んでからで、その遺体が
偶然に腐敗しなかった。
フランシスコというよりは腐乱シソコなった、という感じである。それが、
宗教に寄りかかるような者には"霊的"なものを感じさせたのである。
ザビエルの名は一気に信者らの間で広まり崇められるようになった。
そしてついには、
スペインとハプスブルク家つながりでイエズス会の力が浸透したオーストリアでは、
Franz Xaverという名を附けるのが流行りとなったのである。
ザビエルもその栄誉にクサーバーの陰から感謝してることだろう。ちなみに、
このザビエルのフランシスコという名はまた、
裕福な商人の倅に生まれて放蕩三昧だったが改心して
銭儲けなど世俗的なことはアッシジには関わりのないことでござんすと
清貧を信条とする修道士生活を送った聖フランチェスコにちなむものである。
今般のコンクラーヴェで第266代に選出されたフランシスコ(1世)は、
イエズス会出身として初の教皇である。

♪ソーー<ラ>ソー・>ミーーーーー│<ソーー<ラ>ソー・>ミーーーーー│
<レーーーレー・>シーーーーー│<ドーーードー・>ソーーーーー│
<ラーーーラー・<ドーー>シ>ラー│>ソーー<ラ>ソー・>ミーーーーー│
<ラーーーラー・<ドーー>シ>ラー│>ソーー<ラ>ソー・>ミーーーーー│
<レーーーレー・<ファーー>レ>シー│<ドーーーー・<ミーーーーー│
>ドー>ソー>ミー・<ソーー>ファ>レー│>ドーーー・ーーーー●●♪

グルーバーはこの歌を6/8拍子、ニ長調で、
オルガンではなくギター伴奏附きとして書いたという。
神と子と聖霊な3拍子としてスキャンしたほうが自然なのだが……ともかくも、
主要三和音だけの質素な作りなのでじつに歌いやすい。
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