サラ・ミシェル・ゲラーといえば、ちょっと前にはスプーンどころか皿を曲げる
オカルト少女スターとして「ババババ・バフィー/恋する十字架」に出てたのであるが、
ハリウッド版「呪怨」では、ババババ・オバさんくさくなってたのである。
年月の流れるのは速いものである。と、私はすぐに昔を懐かしむクセがある。
絹の六尺褌を常時締めてるほどのカイコ趣味だからしかたがない。さて、
懐メロ女声デュエットといえばなんといってもベッツィ&クリス。
フォウク・ソングの大家加藤和彦大先生の「白い色は恋人の色」である。
♪ソソー<ラ>ソー>ミー|>レレレ……
ホエア・ハヴ・オール・ダ・フラウアズ・ゴウン♪
そんな時代からはロング・タイムがパッスィングなのである。サビは、
♪フゥ~ルさとぉ~のあのぉ~ひとのぉ~~~……♪
swaneeは白鳥とはまったく関係ない(由来はsan joanらしい)が、
ディ・オウルド・フォウクス・アット・ホウム感タップリである。が、
いっぽうで、井上順が歌うと、やや滑稽になるのである。
♪おっ、スっ、ワっ、ニーぃ、なりましたっ♪
ちなみに、「なつかしい白百合は恋人の色」なのだそうである。
フランス王歌とまではいかないまでも、
花祭が地名由来のフローラダ州の州歌に匹敵するほどの歌である。ときに、
その米国でやってるアニメ「ハイ・ハイ・パフィー」なる番組。いったいぜんたい
誰カートゥーン思ったら、亜美・由美両女史の「ふくれっツラ組」であった。
かの北海道スター大泉洋も共演してたテレ朝の「パパパパ・パフィー」が懐かしい。
さて、デュエットといえば、
私はカラオケでオネエチャンと歌うのが好きなエロオヤジである。
これからの時期、私が注文する飲み物はビール、そして、アイスクリームである。
もう、6月。「ビールフロート」の季節がやってきたのである。
あれほど旨く、そして体によくなさそうな飲料はないのである。が、やめられぬ。
私はキリスト者ではないから、「7つの大罪」の一「大食」など無関係なのである。
ときに、1880年の6月、カーメンカのダヴィードフ家にもうすぐな夏の滞在をしてた
チャイコフスキーは、同家の長女(つまり、チャイコフスキーにとっては6月なのに姪)
のために、「6つの二重唱曲(op.46)」を書いた。菊川怜嬢向けにだったら、
「火曜サスペンス劇場六月の花嫁2005『四重奏』」
というのを書いてたかもしれない。それはともかくも、6曲のうち、第2曲、
「スコットランドのバラード」だけがソプラノとバリトン向けであり、その他は、
ソプラノとメッゾソプラノ用である。母娘が歌うように、また、1曲だけは、
オヤジとあるいはオジサンとデュエット、というもくろみであろう。
この、当時18歳のタチヤーナは、のちに母親の心配の種となり、
やがては母子ともに悲惨な末路へ向かうことになるのである。
娘は精神に異常をきたしながらも私生児を産んで薬中、1887年に25歳で死に、
母はその心労でやはり薬中、肝臓をこわして1891年に49歳で死ぬのである。
それらはさておき、「6つの二重唱曲」の第4曲
「好きでたまらなかった気持ちは失せて」(詩:アレクセイ・トルストイ)である。
アッレーグロ・アジタート、C、4♭。
♪○ラ<ド<ミ>♯レ<ミ>ド>ラ○>ド<ミ<ラ>♯ソ<ラ>ミ>ド♪
に始まるpfの前奏5小節を受けて、まず、ソプラノが歌う。
「ミヌーラ・ストラースチ、イ、プィル・イヨー・トレヴォージヌィィ・
ウジェー・ニ・ムーチト・ミェールツァ・マイェヴォー」
(好きですきでたまらなかった感情は消えてしまったわ。
だから、その不安ばっかりの気持ちで苦しむことはもうないの)
♪○○ミー>♯レー<ミー|>ラーーー○○○ラ|
<♭シーー<レ<ファーー>♯ソ|<ラーーー・ーーーー|
○○ラー<シー<♯ドー|<レー<ファー<ラーーー|
ーーラー>♯ソー<ラー|>ミーーー・ーーーー♪
ヘ短は、はじめの2小節のみで、そこから
「(主音『ヘ』を根に置いたままの)ナーポリ6」で変ロ短に転じる。
これを、メッゾソプラノがソックリ返すのである。そのあと、
「ノ、ラズリュービチ・チビャー・ムニェ・ニヴァズモージナ!」
(でも、あなたを嫌いになるなんて、ぜったいにできないの!)
♪【○○ドー<レー<ミー|<ファーーファ・ファーーー|
ーーファー>ミー>♯レー|<ミーーー>ドーーー】♪
となるのであるが、これは、のちの歌劇「スペードの女王」1幕終いに、
ゲルマンがリーザを口説き落としたとき……
「リュブリュー・チビャー!」……にオケで高らかに奏される、
♪【○ド<レ<ミ<ファー|ーファ>ミ>レ<ミ>ド】♪
としてリサイクルされるエコ・モチーフなのである。ともあれ、
そのあとから「デュオ」が始まる。そこでは、
「上声が入れ替わる」という、「イョラーンタ」の「子守歌のおばちゃまがた」
の「先取り」がなされてるのである。が、「好き、でも、諦めた」という
アンビヴァラントな感情を「醸しだしてる」という意味では、
「悲愴交響曲」終章冒頭における「声部入れ替わり」の
「弦楽幻覚四部奏」の「先駆」というべきである。
オカルト少女スターとして「ババババ・バフィー/恋する十字架」に出てたのであるが、
ハリウッド版「呪怨」では、ババババ・オバさんくさくなってたのである。
年月の流れるのは速いものである。と、私はすぐに昔を懐かしむクセがある。
絹の六尺褌を常時締めてるほどのカイコ趣味だからしかたがない。さて、
懐メロ女声デュエットといえばなんといってもベッツィ&クリス。
フォウク・ソングの大家加藤和彦大先生の「白い色は恋人の色」である。
♪ソソー<ラ>ソー>ミー|>レレレ……
ホエア・ハヴ・オール・ダ・フラウアズ・ゴウン♪
そんな時代からはロング・タイムがパッスィングなのである。サビは、
♪フゥ~ルさとぉ~のあのぉ~ひとのぉ~~~……♪
swaneeは白鳥とはまったく関係ない(由来はsan joanらしい)が、
ディ・オウルド・フォウクス・アット・ホウム感タップリである。が、
いっぽうで、井上順が歌うと、やや滑稽になるのである。
♪おっ、スっ、ワっ、ニーぃ、なりましたっ♪
ちなみに、「なつかしい白百合は恋人の色」なのだそうである。
フランス王歌とまではいかないまでも、
花祭が地名由来のフローラダ州の州歌に匹敵するほどの歌である。ときに、
その米国でやってるアニメ「ハイ・ハイ・パフィー」なる番組。いったいぜんたい
誰カートゥーン思ったら、亜美・由美両女史の「ふくれっツラ組」であった。
かの北海道スター大泉洋も共演してたテレ朝の「パパパパ・パフィー」が懐かしい。
さて、デュエットといえば、
私はカラオケでオネエチャンと歌うのが好きなエロオヤジである。
これからの時期、私が注文する飲み物はビール、そして、アイスクリームである。
もう、6月。「ビールフロート」の季節がやってきたのである。
あれほど旨く、そして体によくなさそうな飲料はないのである。が、やめられぬ。
私はキリスト者ではないから、「7つの大罪」の一「大食」など無関係なのである。
ときに、1880年の6月、カーメンカのダヴィードフ家にもうすぐな夏の滞在をしてた
チャイコフスキーは、同家の長女(つまり、チャイコフスキーにとっては6月なのに姪)
のために、「6つの二重唱曲(op.46)」を書いた。菊川怜嬢向けにだったら、
「火曜サスペンス劇場六月の花嫁2005『四重奏』」
というのを書いてたかもしれない。それはともかくも、6曲のうち、第2曲、
「スコットランドのバラード」だけがソプラノとバリトン向けであり、その他は、
ソプラノとメッゾソプラノ用である。母娘が歌うように、また、1曲だけは、
オヤジとあるいはオジサンとデュエット、というもくろみであろう。
この、当時18歳のタチヤーナは、のちに母親の心配の種となり、
やがては母子ともに悲惨な末路へ向かうことになるのである。
娘は精神に異常をきたしながらも私生児を産んで薬中、1887年に25歳で死に、
母はその心労でやはり薬中、肝臓をこわして1891年に49歳で死ぬのである。
それらはさておき、「6つの二重唱曲」の第4曲
「好きでたまらなかった気持ちは失せて」(詩:アレクセイ・トルストイ)である。
アッレーグロ・アジタート、C、4♭。
♪○ラ<ド<ミ>♯レ<ミ>ド>ラ○>ド<ミ<ラ>♯ソ<ラ>ミ>ド♪
に始まるpfの前奏5小節を受けて、まず、ソプラノが歌う。
「ミヌーラ・ストラースチ、イ、プィル・イヨー・トレヴォージヌィィ・
ウジェー・ニ・ムーチト・ミェールツァ・マイェヴォー」
(好きですきでたまらなかった感情は消えてしまったわ。
だから、その不安ばっかりの気持ちで苦しむことはもうないの)
♪○○ミー>♯レー<ミー|>ラーーー○○○ラ|
<♭シーー<レ<ファーー>♯ソ|<ラーーー・ーーーー|
○○ラー<シー<♯ドー|<レー<ファー<ラーーー|
ーーラー>♯ソー<ラー|>ミーーー・ーーーー♪
ヘ短は、はじめの2小節のみで、そこから
「(主音『ヘ』を根に置いたままの)ナーポリ6」で変ロ短に転じる。
これを、メッゾソプラノがソックリ返すのである。そのあと、
「ノ、ラズリュービチ・チビャー・ムニェ・ニヴァズモージナ!」
(でも、あなたを嫌いになるなんて、ぜったいにできないの!)
♪【○○ドー<レー<ミー|<ファーーファ・ファーーー|
ーーファー>ミー>♯レー|<ミーーー>ドーーー】♪
となるのであるが、これは、のちの歌劇「スペードの女王」1幕終いに、
ゲルマンがリーザを口説き落としたとき……
「リュブリュー・チビャー!」……にオケで高らかに奏される、
♪【○ド<レ<ミ<ファー|ーファ>ミ>レ<ミ>ド】♪
としてリサイクルされるエコ・モチーフなのである。ともあれ、
そのあとから「デュオ」が始まる。そこでは、
「上声が入れ替わる」という、「イョラーンタ」の「子守歌のおばちゃまがた」
の「先取り」がなされてるのである。が、「好き、でも、諦めた」という
アンビヴァラントな感情を「醸しだしてる」という意味では、
「悲愴交響曲」終章冒頭における「声部入れ替わり」の
「弦楽幻覚四部奏」の「先駆」というべきである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます