先日、上野から浅草に向かったとき、
少しだけ道を逸れて、昔、知り合いが住んでた
松が谷の秋葉神社に立ち寄った。そのすぐそばには、
入谷南公園がある。昭和38年、そこで遊んでた
4歳児が小平義雄(処刑済)に誘拐・殺害されるという、
いわゆる吉展ちゃん事件があった。小平といえば、
東京都の小平霊園で「樹林墓地」なるものを作って、
入墓者を7月から公募するというニュースを数日前にやってた。
そこでは共同墓地にズダのまま投げ入れられたモーツァルトの
モツレクが聞こえてくるとも思えないし、
「林檎殺人事件」を郷ひろみがソロで歌う声が聞こえてくる、
というサーヴィスもないだろうが、
つねに「シェケナ・ベイビー!」「ロックンロウル!」という
お経が聞こえてきそうな墓所である。
いっぽう、
府中市の霊園「府中ふれあいパーク」では、
"シングル女性向け"の共同墓地がすでに
予約満員状態らしい。どちらも
数百柱しか収容能力はないらしい。
墓所不足解消策というよりは話題づくりという感が強い。
半世紀近く前に、
指揮=Otto Gerdes(オットー・ゲルデス、1920-1989)、
管弦楽=ミュンヒェン国立歌劇場管弦楽団(バイアーン国立歌劇場管弦楽団)、
合唱=同合唱団、
タチヤーナ=Evelyn Lear(エヴリン・リア、1926-)、
オーリガ=Brigitte Fassbaender(ブリギッテ・ファスベンダー、1939-)、
リェーンスキー=Fritz Wunderlich(フリッツ・ヴォンダリヒ、1930-1966)、
グリェーミン=Martti Talvela(マルッティ・タールヴェラ、1935ー1989)、
アニェーギン=Dietrich Fischer-Dieskau
(ディートリヒ・フィッシャー=ディースカオ、1925-2012)、
という顔ぶれの
「ドイツ語版オネーギン(抜粋)」が録音された。
この秀逸なるメンバー、オケなので、真っ当な演奏である。ただし、
オペラの根幹である言語をたがえてるという問題があるので、
やはり参考程度にしか聴くことはできない。とくに、
ロシア語という口蓋化が著しい"軟らかい"言葉の対極のような
"硬い"ドイツ語というのは、この
ロシア独特のみじめったらしい内容のオペラには
まったく相応しくない。口蓋音というのは、
ごくごく大雑把に言えば、漢語経由日本語の「拗音」のようなものである。
政敵や記者を平気で殺してきたと噂されるあの恐ろしいプーチンでさえ、
話してるのが報道されると、まるで
甘えん坊がしゃべってるのかと思うほど、
ミャーミャー・ニャーニャー・ピャーピャー・ヴィェーヴィェー・ギェーギェー・チェーチェー言ってるのが、
非ロシア語話者には滑稽に聞こえる。口蓋音は
西欧の言語ではスラヴ系に多く、子音単独でも軟音化される。反対に、
ラテン系ではフランス語の"ca""ga"、たとえばキャテドラルとかギャルソンに見られる。
英語・独語では"ch""sh"の音程度にしかなく、かつ、口蓋化も甚だしくない。
cashはキャッシュよいうよりはケッシ、gapはギャップというよりはゲップ、
ジョニーはデップである。あるいは銃を取って戦場へ行ったかもしれない。
さて、
このアルバムの演奏は言語さえ度外視すれば、いずれも
お見事である。バスのタルヴェラによって歌われる
いわゆるグレーミン公爵のアリアや、オリガのファスベンダー女史、
ファイナル・スィーンのリア女史は巧い。が、
この録音の中でもっとも凄みがあるのは、2幕第2場終いの
レンスキーとオネーギンの決闘スィーンである。
♪ドー・>シ>ラ・・>ソ>ファ・>ミ>♯レ│<ファ>ミ♪
ともあれ、
オネーギン(バリトン)が"Убит?"(ウビート?=死んだのか?)
(実質ニ短調で♪(フェルマータ附き)ド(У)│ドー(-бит?)♪)
と2音節のロシア語でつぶやくと、
フェルマータを附された休符の間を置いてやっと
レンスキーの介添え人いわゆるザレーツキー(バス)が
"Убит!(ウビート!=死んだよ!)
(♪ラー(ウ)│>ミー・ーー(-ビート!))
と同じ言葉で答える。
"убит"は"убить(ウビーチ=殺す)"という動詞の
被動形動詞過去"убитый(ウビーティィ)"の短語尾形で、
形容詞同様にその変化は主体の性別単複に因る
(単男性=убит, 単女性=убита,
単中性=убито; 複数=убиты)。
ここは一人の男性レンスキーが主体なのでубитとなる。
対して、
ドイツ語ではそれぞれ
"Tot?"..."Tot!?"(トート)という単音節なので、
アオフタクトの部分が省略されて、ただ
♪ドー(トート?)♪→♪>ミー・ーー(トート!)♪
という形に替えられてるのである。
とくに、オネーギンがツイートするときには
チャイコフスキーはアオフタクトのド(d音)にフェルマータをかけて、
オネーギンが恐るおそる躊躇いながら訊いてる心情を演出してるので、
単音節のドイツ語ではその「溜め」の妙が
台無しになってしまったことになる。とはいえ、
ダイナスティと左翼思想家が信じてやまなかった
旧ソ連がまだ存在して冷戦状態だった50年ほど前の1960年代には、
ロシア帝国時代の舞台作品は西側ではこのように扱われるのが
当たり前だのクラッカーだったのである。
少しだけ道を逸れて、昔、知り合いが住んでた
松が谷の秋葉神社に立ち寄った。そのすぐそばには、
入谷南公園がある。昭和38年、そこで遊んでた
4歳児が小平義雄(処刑済)に誘拐・殺害されるという、
いわゆる吉展ちゃん事件があった。小平といえば、
東京都の小平霊園で「樹林墓地」なるものを作って、
入墓者を7月から公募するというニュースを数日前にやってた。
そこでは共同墓地にズダのまま投げ入れられたモーツァルトの
モツレクが聞こえてくるとも思えないし、
「林檎殺人事件」を郷ひろみがソロで歌う声が聞こえてくる、
というサーヴィスもないだろうが、
つねに「シェケナ・ベイビー!」「ロックンロウル!」という
お経が聞こえてきそうな墓所である。
いっぽう、
府中市の霊園「府中ふれあいパーク」では、
"シングル女性向け"の共同墓地がすでに
予約満員状態らしい。どちらも
数百柱しか収容能力はないらしい。
墓所不足解消策というよりは話題づくりという感が強い。
半世紀近く前に、
指揮=Otto Gerdes(オットー・ゲルデス、1920-1989)、
管弦楽=ミュンヒェン国立歌劇場管弦楽団(バイアーン国立歌劇場管弦楽団)、
合唱=同合唱団、
タチヤーナ=Evelyn Lear(エヴリン・リア、1926-)、
オーリガ=Brigitte Fassbaender(ブリギッテ・ファスベンダー、1939-)、
リェーンスキー=Fritz Wunderlich(フリッツ・ヴォンダリヒ、1930-1966)、
グリェーミン=Martti Talvela(マルッティ・タールヴェラ、1935ー1989)、
アニェーギン=Dietrich Fischer-Dieskau
(ディートリヒ・フィッシャー=ディースカオ、1925-2012)、
という顔ぶれの
「ドイツ語版オネーギン(抜粋)」が録音された。
この秀逸なるメンバー、オケなので、真っ当な演奏である。ただし、
オペラの根幹である言語をたがえてるという問題があるので、
やはり参考程度にしか聴くことはできない。とくに、
ロシア語という口蓋化が著しい"軟らかい"言葉の対極のような
"硬い"ドイツ語というのは、この
ロシア独特のみじめったらしい内容のオペラには
まったく相応しくない。口蓋音というのは、
ごくごく大雑把に言えば、漢語経由日本語の「拗音」のようなものである。
政敵や記者を平気で殺してきたと噂されるあの恐ろしいプーチンでさえ、
話してるのが報道されると、まるで
甘えん坊がしゃべってるのかと思うほど、
ミャーミャー・ニャーニャー・ピャーピャー・ヴィェーヴィェー・ギェーギェー・チェーチェー言ってるのが、
非ロシア語話者には滑稽に聞こえる。口蓋音は
西欧の言語ではスラヴ系に多く、子音単独でも軟音化される。反対に、
ラテン系ではフランス語の"ca""ga"、たとえばキャテドラルとかギャルソンに見られる。
英語・独語では"ch""sh"の音程度にしかなく、かつ、口蓋化も甚だしくない。
cashはキャッシュよいうよりはケッシ、gapはギャップというよりはゲップ、
ジョニーはデップである。あるいは銃を取って戦場へ行ったかもしれない。
さて、
このアルバムの演奏は言語さえ度外視すれば、いずれも
お見事である。バスのタルヴェラによって歌われる
いわゆるグレーミン公爵のアリアや、オリガのファスベンダー女史、
ファイナル・スィーンのリア女史は巧い。が、
この録音の中でもっとも凄みがあるのは、2幕第2場終いの
レンスキーとオネーギンの決闘スィーンである。
♪ドー・>シ>ラ・・>ソ>ファ・>ミ>♯レ│<ファ>ミ♪
ともあれ、
オネーギン(バリトン)が"Убит?"(ウビート?=死んだのか?)
(実質ニ短調で♪(フェルマータ附き)ド(У)│ドー(-бит?)♪)
と2音節のロシア語でつぶやくと、
フェルマータを附された休符の間を置いてやっと
レンスキーの介添え人いわゆるザレーツキー(バス)が
"Убит!(ウビート!=死んだよ!)
(♪ラー(ウ)│>ミー・ーー(-ビート!))
と同じ言葉で答える。
"убит"は"убить(ウビーチ=殺す)"という動詞の
被動形動詞過去"убитый(ウビーティィ)"の短語尾形で、
形容詞同様にその変化は主体の性別単複に因る
(単男性=убит, 単女性=убита,
単中性=убито; 複数=убиты)。
ここは一人の男性レンスキーが主体なのでубитとなる。
対して、
ドイツ語ではそれぞれ
"Tot?"..."Tot!?"(トート)という単音節なので、
アオフタクトの部分が省略されて、ただ
♪ドー(トート?)♪→♪>ミー・ーー(トート!)♪
という形に替えられてるのである。
とくに、オネーギンがツイートするときには
チャイコフスキーはアオフタクトのド(d音)にフェルマータをかけて、
オネーギンが恐るおそる躊躇いながら訊いてる心情を演出してるので、
単音節のドイツ語ではその「溜め」の妙が
台無しになってしまったことになる。とはいえ、
ダイナスティと左翼思想家が信じてやまなかった
旧ソ連がまだ存在して冷戦状態だった50年ほど前の1960年代には、
ロシア帝国時代の舞台作品は西側ではこのように扱われるのが
当たり前だのクラッカーだったのである。
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