チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「独語のチャイコフスキー(スコットランドのバラード)/F=ディースカウの死にあたって(3-1)」

2012年06月10日 20時53分44秒 | チャイコ全般(6つの目のチャイコロジー
Scottish Ballad: Edward
(Шотландская баллада: Эдвард、
シャトラーンスカヤ・バラーダ:エドヴァーリト)

今週も煎餅焼きに煩わされてた。が、
イヤでイヤでしようがなかったこの稼業から、
やっと足を洗うことができたのである。
これで手当の薄い重労働から解放される。
私がガキの頃は一般的な"サラリーマン"は
「55歳が定年」だった。そんな時代に育った私が
同じくらいの歳にリタイアできたなんて果報者である。
諸々のしがらみでしかたなく受けてたものの、
与えられたつまらない下らない題材に
煎餅焼きを施こしてかなければならないのは、
ことのほかつらい作業だった。が、
オウム真理教テロ殺人事件特別手配逃亡者で
先日とっつかまった、VXガスを大量に隠匿したという
菊池直子と日テレ「スッキリ」のリポーター中山美香女史の
顔の区別がつかない拙脳なる私はあれこれと
考える余力がないのでかえってへこたれることはなかった。

オウム真理教のテロ殺人事件高橋克也特別手配逃亡者は、
顎または後頭部に右手をすぐにやる癖があるようだ。
これはもちろん「捕まる不安」へのストレスだが、
幼児期・少年期に親の愛情を得れなかった者の特徴でもある。
自分からみて恵まれてると思われる者への憧憬・嫉妬が
抑えきれないタイプで、それが「反権力」となり、
超常的な事象に宗教的意義を被せる傾向が強まり、
自分に都合のいいモノに出会うとそれにのめり込み、あるいは、
何か覚えるとバカの一つ覚えのようにそのことばかりに労力を費やす。
カルト宗教に洗脳され、金を貢がされ、利用され、
そそのかされ、挙げ句、テロリストとなるのである。
オウム真理教を支援してた宗教学者に未だに傾倒してる
愚かなのがゴロゴロいるのだから、この高橋被疑者も
オウム支援者に匿われてるのかもしれない。

その歌声と歌唱に多くの支持者を得てた
Dietrich Fischer-Dieskau(ディートリヒ・フィッシャー=ディースカオ、1925-2012)が、
5月18日に、いわゆるバイエルン州シュタルンベルク湖畔のベルクの別荘で亡くなった。
フィッシャー=ディースカオはチャイコフスキーのロシア語のオペラや歌曲は
ほとんど歌わなかった。が、その"ドイツ語訳"は、
いわゆる「エヴゲーニー・オネーギン」を、
マタチッチの指揮下、および、ゲルテスの指揮下で、そのタイトル・ロウルを演じ、
「6つの二重唱曲(op.46)」第2曲「スコットランドのバラッド」を
ロス・アンヘレス女史とデュオした。
ゲルテス指揮下の「オネーギン」の一部と「スコットランドのバラッド」は
YouTubeにアップされてる。

チャイコフスキーの「スコットランドのバラッド」は、
1880年夏に作曲され、妹アレクサーンドラの長女タチヤーナに献呈された。詞は、
自身もバラッド詩人だった
Алексей Константинович Толстой
(アリクスィェーィ・カンスタンチーナヴィチ・タルストーィ、
いわゆるアレクセイ・トルストイ伯爵、 1817-1875)
が、Thomas Percy(トマス・パースィ、1729-1811)が編纂した
"Reliques of Ancient English Poetry
(レリクス・オヴ・エインシャント・イングリッシュ・ポウエトリ
=歴史的英国詩歌、1765)
に収められてるバラッドをロシア語化したものである。
原詩はスコットランド訛りで書かれてるので、
ネピアとエリエールとクリネックスの違いを指摘できない拙脳なる私には、
読みかたも詩の真意も解らない。ただ、
この詩は作曲家の創作心をいたく刺激するようで、
シューバートは死の前年にこのドイツ語訳に曲を附けてるし、
ブラームスも青年期にこの詩を題材としたpf曲を作り、
壮年期にはドイツ語訳の歌詞に曲を附けた。

シューバートのリートは、
♪ミ│ミーミ・ミーミ│<ファー>レ・<ラー●│
 <シー>ミ・ミー│<ドー>ラ・ラー(フェルマータ)♪
もしくは、
♪ミ│ミーミ・ミーミ│<ファー>レ・<ラーー│
 <シー>ミー●│<ドーー>ラー♪
ブラームスのpf曲は、
♪ミー│(<ファ>)ミー・>ド<レ・・<ミー、>ラー│
 <シー・ー>ミ・・ミー、・<シー│>ミー、・>シー・・>ミー♪
デュエットは、
♪ミー│<ラー・<シー・・<ドー・>シー│>ラー・>ミー・・<ラー・ー●│
 <ミー・ーー・・>ドー・●●│<ミー・ーー・・>ドー♪
という感じである。いずれも、
「エドワード(ドイツ語ではエドヴァルト)と呼びかける箇所が
似通ってる。
バラッド(劇詩)のあらすじはこのようなものである。

「母が倅エドワードの剣に附いてる血を怪しむ。
倅はいろいろとはぐらかすが、母の追求は執拗で、
ようやくボクはオヤジを殺したと白状する。が、
母はあんたの妻子はどうするんだ、私はどうなるんだ、
と詰めより、亭主の死を悲しむようすはない。そして、
倅はついに逆ギレする。
地獄の苦しみに耐えられるのか?
あんたがオヤジを殺すように仕向けたくせに」

プランタジネット朝の王エドワード2世(1284-1327)は
スコットランドとの戦にあけくれてた。
スコットランド人にすれば憎き英国王である。
エドワード2世の后はイザベラ・オヴ・フランス(1295頃-1358)で、
初代マーチ伯爵ロジャー・モーティマー(1287-1330)がその間男だった。
この二人はエドワード2世を捕らえ、監禁した。そして、
倅エドワード3世(1312-1377)を王位に据えて専横した。
エドワード2世はやがて幽閉所で自然死したことになってるが、
それがこのバラッドの"噺"となってるのである。
エドワード2世は「肛門に焼け火箸を差し込まれて殺された」
という噺があるが、それは同人が"二刀流の使い手"だったから、
そのような醜聞……アスに熱いモノを入れられるのが大好き……を
でっち上げられたのである。

チャイコフスキーのデュエットはシューバートに倣って6/8拍子で書かれてる。
[Allegro agitato, ma non troppo、6/8拍子、無調号(イ短調)]
♪レー│<ラーー<シ>ラー・<シー>ラー<シー│<ドー>シー<ドー・<レーーー<ミー│
 >ラーーーーー・ーー●●<ミー│>ラーーーーー・ーー●●<ミー│>ラーーーーー・ーー●●♪
チャイコフスキーも「エドヴァルト」の箇所をシューバートの音型に倣ってる。
ソプラーノ(母)とバリトン(倅)が交互に歌い、リピートされてから
変ロ長調に転じる。そして、ハ短調、変ハ長調、ロ長調、嬰ハ短調、と
めまぐるしく転調して、イ短調に戻り、冒頭が再現される。そして、
[→molto meno mosso]
また、変ニ長調、ヘ短調。次いで、クロマティカルに変じて、
イ短調の旋律的短音階で歌を締め、この詩の戦慄を伝え、
[→Tempo primo]
pfの後奏で劇的に終わる。
Victoria dels Angels(ビクトリア・デルザンジェルス、1923-2005)
とのデュエットで、フィッシャー=ディースカウは卓越した歌唱を残した。が、
ドイツ語なので聴くことはほとんどない。今般、
その死にあたって久しぶりに聴いてみた次第である。
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