チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「まくれよ切れろよは競馬のときにいう言葉/受験と神頼みのカンケい」

2010年02月16日 00時58分52秒 | 語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ
現在のJRA競馬は、いわゆる「モンキー乗り」という騎乗スタイルである。
鐙を短くして、爪先だけをひっかけて、膝を締めて尻を上げ、
ほとんど前傾姿勢で乗る体勢である。これが、
猿が木の上に乗っかってる姿に似てるから、
そのように呼称されてるのだそうである。これだと、
馬に騎手の体重がかかりにくいという。
駆ける場所が平地で比較的固ければ、この乗りかたが
馬をもっとも速く走らせることができるらしい。いっぽう、
乗るほうにとって危険極まりないのは想像に難くない。
私は乗馬クラブで馬に乗ったことはあるが、とても
モンキー乗りなどできない。それはともあれ、
障害競走となると、条件が違ってくる。だから、
平地競走よりも鐙を長めにして騎乗する。とくに、
障害物を飛越するときには前傾姿勢などとらない。
時代劇などで馬に乗ってる場面があるが、それらは、
キャンターはおろかギャロップまで
だいたい背筋を伸ばしてのる、いわゆる
「天神乗り」である。

日曜の「パネルクイズ アタック25」の
海外旅行獲得クイズの「或る人物」は、
「菅原道真」だった。夫婦大会だったようだが、
女房のぼうが答えた。
「すがわら・みちざね!」
児玉清は
「正解!」
と叫んだ。が、
「菅原」は帝から与えられた「姓(かばね)」である。
「姓(かばね)」は「~の」と称する
慣行(カンコウ)である。だから、
「すがわらのみちざね」
でなければ本来は不正解である。それはともあれ、
菅原道真は大宰権帥に左遷されたまま、当地で死ぬ。
亡骸を牛車で葬送してると急に牛が止まり、
その場に臥して動かなくなってしまった。すると、
「これは菅公のみこころだ」
というようなことを道真の門弟が言いだした。そして、
青山でもないのにその場に道真を葬った。そこが
現在の太宰府天満宮の本殿だということである。
まぁ、これは道真が丑年生まれだったから、
そのような噺をあとから作ったのだろう。が、
「たまたま」道真の死後に京で疫病が流行り、
日照りが続き、讒言で道真を陥れた時平が死に、
その讒言を受け入れて道真を左遷させた醍醐帝の
第2皇子、第1皇子が薨去し、さらには
清涼殿に落雷があって死傷者が出てしまった。そして、
その4箇月後には醍醐天皇も崩御してしまう。
この落雷事件の音量の大きさから、
道真の怨霊によるものと思われ、
「雷神」と結びつけられる。方位で、
雷神の寅の隣は丑である。かくして、
道真への「天神信仰」が始まった。
「道真の祟りじゃぁ!」
と恐れをなした朝廷は道真の「罪]を赦し、
贈位までした。が、
時すでに遅し。覆水は盆に還らず。

「菅原道真」が「パネルクイズ アタック25」の
最終問題の答えとして放送されたその日、
JRAの京都競馬第4レイスの「障害競走」で、
単勝1.5倍という超1番人気馬は、
生垣障害の着地で躓いてしまう。鞍上の白浜騎手は
振り落とされる寸前までになってしまった。が、
なんとか持ちこたえて体勢を立て直す。その間も、
馬は転ばず走ってた。とはいっても、
馬が躓いて急激に沈んだはずみで左の
鐙が外れてしまってた。鐙とともに鞍がずれてしまったため、
白浜騎手は右の足も鐙から外して、
馬の上で背筋を伸ばして跨るしかなかった。
これがいわゆる「天神乗り」である。
同馬はあと数個の障害もクリアして、
2位でゴウルする。スタンドからは、
普段の意味とはまた違う拍手が巻き起こった。
鐙がはずれたまま
高低(コウテイ)差がある障害を越え、しかも2着になったからである。
その名はスプリングカエサル(申)号。
同馬は騎手を落とさず、騎手は同馬から落ちず、
天神乗りで2着した。
「モンキー(申)乗り」と「天神乗り」は対照的な乗りかた、
ともいえる。いっぽう、
干支で「申」と「寅(雷神)」は対極に位置する。
苦しい時の神頼み。
受験生にとって道真公=天神様は
「学問の神様」というだけでなく、
本当に「落ちない」神様なのである。ちなみに、
競馬はダイスきでも才は投げられなくてももともとない、
無学で低学歴な私には学問の神様は無縁である。
スプリングカエサル号からの単勝馬券もタンシオも、
すべて灰燼に帰したことである。
受験生の親御さん、今からでも遅くない。次走の
スプリングカエサル号の単勝馬券を
カウことである。が、競馬法で
「未成年者は勝馬投票券を購入し又は譲り受けてはならない」
と定められてるので、注意されたい。
天神様はカエサルとともに偉大なり。
「東風吹かば、思いおこせよ。湯島梅。あるじなしとて、
 春のシーザー」
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ジョルノ・ディ・サン・馬... | トップ | 「チャイコフスキーのpf曲『... »

コメントを投稿

語彙の歴史観・ロック、ゴウゴウ」カテゴリの最新記事