現在のJRA競馬は、いわゆる「モンキー乗り」という騎乗スタイルである。
鐙を短くして、爪先だけをひっかけて、膝を締めて尻を上げ、
ほとんど前傾姿勢で乗る体勢である。これが、
猿が木の上に乗っかってる姿に似てるから、
そのように呼称されてるのだそうである。これだと、
馬に騎手の体重がかかりにくいという。
駆ける場所が平地で比較的固ければ、この乗りかたが
馬をもっとも速く走らせることができるらしい。いっぽう、
乗るほうにとって危険極まりないのは想像に難くない。
私は乗馬クラブで馬に乗ったことはあるが、とても
モンキー乗りなどできない。それはともあれ、
障害競走となると、条件が違ってくる。だから、
平地競走よりも鐙を長めにして騎乗する。とくに、
障害物を飛越するときには前傾姿勢などとらない。
時代劇などで馬に乗ってる場面があるが、それらは、
キャンターはおろかギャロップまで
だいたい背筋を伸ばしてのる、いわゆる
「天神乗り」である。
日曜の「パネルクイズ アタック25」の
海外旅行獲得クイズの「或る人物」は、
「菅原道真」だった。夫婦大会だったようだが、
女房のぼうが答えた。
「すがわら・みちざね!」
児玉清は
「正解!」
と叫んだ。が、
「菅原」は帝から与えられた「姓(かばね)」である。
「姓(かばね)」は「~の」と称する
慣行(カンコウ)である。だから、
「すがわらのみちざね」
でなければ本来は不正解である。それはともあれ、
菅原道真は大宰権帥に左遷されたまま、当地で死ぬ。
亡骸を牛車で葬送してると急に牛が止まり、
その場に臥して動かなくなってしまった。すると、
「これは菅公のみこころだ」
というようなことを道真の門弟が言いだした。そして、
青山でもないのにその場に道真を葬った。そこが
現在の太宰府天満宮の本殿だということである。
まぁ、これは道真が丑年生まれだったから、
そのような噺をあとから作ったのだろう。が、
「たまたま」道真の死後に京で疫病が流行り、
日照りが続き、讒言で道真を陥れた時平が死に、
その讒言を受け入れて道真を左遷させた醍醐帝の
第2皇子、第1皇子が薨去し、さらには
清涼殿に落雷があって死傷者が出てしまった。そして、
その4箇月後には醍醐天皇も崩御してしまう。
この落雷事件の音量の大きさから、
道真の怨霊によるものと思われ、
「雷神」と結びつけられる。方位で、
雷神の寅の隣は丑である。かくして、
道真への「天神信仰」が始まった。
「道真の祟りじゃぁ!」
と恐れをなした朝廷は道真の「罪]を赦し、
贈位までした。が、
時すでに遅し。覆水は盆に還らず。
「菅原道真」が「パネルクイズ アタック25」の
最終問題の答えとして放送されたその日、
JRAの京都競馬第4レイスの「障害競走」で、
単勝1.5倍という超1番人気馬は、
生垣障害の着地で躓いてしまう。鞍上の白浜騎手は
振り落とされる寸前までになってしまった。が、
なんとか持ちこたえて体勢を立て直す。その間も、
馬は転ばず走ってた。とはいっても、
馬が躓いて急激に沈んだはずみで左の
鐙が外れてしまってた。鐙とともに鞍がずれてしまったため、
白浜騎手は右の足も鐙から外して、
馬の上で背筋を伸ばして跨るしかなかった。
これがいわゆる「天神乗り」である。
同馬はあと数個の障害もクリアして、
2位でゴウルする。スタンドからは、
普段の意味とはまた違う拍手が巻き起こった。
鐙がはずれたまま
高低(コウテイ)差がある障害を越え、しかも2着になったからである。
その名はスプリングカエサル(申)号。
同馬は騎手を落とさず、騎手は同馬から落ちず、
天神乗りで2着した。
「モンキー(申)乗り」と「天神乗り」は対照的な乗りかた、
ともいえる。いっぽう、
干支で「申」と「寅(雷神)」は対極に位置する。
苦しい時の神頼み。
受験生にとって道真公=天神様は
「学問の神様」というだけでなく、
本当に「落ちない」神様なのである。ちなみに、
競馬はダイスきでも才は投げられなくてももともとない、
無学で低学歴な私には学問の神様は無縁である。
スプリングカエサル号からの単勝馬券もタンシオも、
すべて灰燼に帰したことである。
受験生の親御さん、今からでも遅くない。次走の
スプリングカエサル号の単勝馬券を
カウことである。が、競馬法で
「未成年者は勝馬投票券を購入し又は譲り受けてはならない」
と定められてるので、注意されたい。
天神様はカエサルとともに偉大なり。
「東風吹かば、思いおこせよ。湯島梅。あるじなしとて、
春のシーザー」
鐙を短くして、爪先だけをひっかけて、膝を締めて尻を上げ、
ほとんど前傾姿勢で乗る体勢である。これが、
猿が木の上に乗っかってる姿に似てるから、
そのように呼称されてるのだそうである。これだと、
馬に騎手の体重がかかりにくいという。
駆ける場所が平地で比較的固ければ、この乗りかたが
馬をもっとも速く走らせることができるらしい。いっぽう、
乗るほうにとって危険極まりないのは想像に難くない。
私は乗馬クラブで馬に乗ったことはあるが、とても
モンキー乗りなどできない。それはともあれ、
障害競走となると、条件が違ってくる。だから、
平地競走よりも鐙を長めにして騎乗する。とくに、
障害物を飛越するときには前傾姿勢などとらない。
時代劇などで馬に乗ってる場面があるが、それらは、
キャンターはおろかギャロップまで
だいたい背筋を伸ばしてのる、いわゆる
「天神乗り」である。
日曜の「パネルクイズ アタック25」の
海外旅行獲得クイズの「或る人物」は、
「菅原道真」だった。夫婦大会だったようだが、
女房のぼうが答えた。
「すがわら・みちざね!」
児玉清は
「正解!」
と叫んだ。が、
「菅原」は帝から与えられた「姓(かばね)」である。
「姓(かばね)」は「~の」と称する
慣行(カンコウ)である。だから、
「すがわらのみちざね」
でなければ本来は不正解である。それはともあれ、
菅原道真は大宰権帥に左遷されたまま、当地で死ぬ。
亡骸を牛車で葬送してると急に牛が止まり、
その場に臥して動かなくなってしまった。すると、
「これは菅公のみこころだ」
というようなことを道真の門弟が言いだした。そして、
青山でもないのにその場に道真を葬った。そこが
現在の太宰府天満宮の本殿だということである。
まぁ、これは道真が丑年生まれだったから、
そのような噺をあとから作ったのだろう。が、
「たまたま」道真の死後に京で疫病が流行り、
日照りが続き、讒言で道真を陥れた時平が死に、
その讒言を受け入れて道真を左遷させた醍醐帝の
第2皇子、第1皇子が薨去し、さらには
清涼殿に落雷があって死傷者が出てしまった。そして、
その4箇月後には醍醐天皇も崩御してしまう。
この落雷事件の音量の大きさから、
道真の怨霊によるものと思われ、
「雷神」と結びつけられる。方位で、
雷神の寅の隣は丑である。かくして、
道真への「天神信仰」が始まった。
「道真の祟りじゃぁ!」
と恐れをなした朝廷は道真の「罪]を赦し、
贈位までした。が、
時すでに遅し。覆水は盆に還らず。
「菅原道真」が「パネルクイズ アタック25」の
最終問題の答えとして放送されたその日、
JRAの京都競馬第4レイスの「障害競走」で、
単勝1.5倍という超1番人気馬は、
生垣障害の着地で躓いてしまう。鞍上の白浜騎手は
振り落とされる寸前までになってしまった。が、
なんとか持ちこたえて体勢を立て直す。その間も、
馬は転ばず走ってた。とはいっても、
馬が躓いて急激に沈んだはずみで左の
鐙が外れてしまってた。鐙とともに鞍がずれてしまったため、
白浜騎手は右の足も鐙から外して、
馬の上で背筋を伸ばして跨るしかなかった。
これがいわゆる「天神乗り」である。
同馬はあと数個の障害もクリアして、
2位でゴウルする。スタンドからは、
普段の意味とはまた違う拍手が巻き起こった。
鐙がはずれたまま
高低(コウテイ)差がある障害を越え、しかも2着になったからである。
その名はスプリングカエサル(申)号。
同馬は騎手を落とさず、騎手は同馬から落ちず、
天神乗りで2着した。
「モンキー(申)乗り」と「天神乗り」は対照的な乗りかた、
ともいえる。いっぽう、
干支で「申」と「寅(雷神)」は対極に位置する。
苦しい時の神頼み。
受験生にとって道真公=天神様は
「学問の神様」というだけでなく、
本当に「落ちない」神様なのである。ちなみに、
競馬はダイスきでも才は投げられなくてももともとない、
無学で低学歴な私には学問の神様は無縁である。
スプリングカエサル号からの単勝馬券もタンシオも、
すべて灰燼に帰したことである。
受験生の親御さん、今からでも遅くない。次走の
スプリングカエサル号の単勝馬券を
カウことである。が、競馬法で
「未成年者は勝馬投票券を購入し又は譲り受けてはならない」
と定められてるので、注意されたい。
天神様はカエサルとともに偉大なり。
「東風吹かば、思いおこせよ。湯島梅。あるじなしとて、
春のシーザー」
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