67年前、
バレエ「白鳥の湖」全幕が我が国では初めて上演された。
昭和21年8月9日金曜17時、帝劇で開演した。
この公演は25日日曜までの17日間行われる予定だったが、
好評のために5日間延長され、30日金曜まで続けられたという。
先月25日に93歳で死んだ島田廣がその相方服部智恵子女史とともに発案し、
東勇作、貝谷八百子女史などに話を持ちかけ、
蘆原英了のつてで舞台美術にその叔父藤田嗣治を頼み、
小牧正英を引き込み、東宝をスポンサーにつけ、終戦後わずか1年、
シーズンオフで空いてた帝劇での公演を可能にした。とはいえ、
群舞などには早慶上智の演劇部の学生というバレエのバの字も知らない
ドシロウトをエキストラに頼まなければならなかった。その中のひとりに、
当時慶大生だったフランキー堺がいたらしい。
この公演(に使われた音楽および踊り)が
ライジンガー・ベーギチェフ・ピョートル版(原典版)だったのか、
プティパ・イワノフ・モデスト版(蘇演版)だったのかは、
当時生まれてもなく、ワイノーネンと天野アキの違いもあやふやな
拙脳なる私には知る由もない。が、
昭和21年当時の日本には、いずれにしても、
「白鳥の湖」全曲のフルスコアはなかったらしい。
戦中に上海に渡って上海バレエ・リュス(上海ロシア・バレエ団)に入ってた
小牧正英が、同団で使われてた全曲のpf譜を日本に引き揚げるときに
持ち帰ったものを指揮の山田一雄がオケ用に編曲した、
ということである。おそらく、
カシキンのpf編曲譜だったのだろう。とすると、
曲としてはライジンガー・ベーギチェフ・ピョートル版(原典版)だった、
ということかもしれない。
ともあれ、
オデット姫(男爵令嬢オディールとの二役)と王子ジークフリートは、
貝谷八百子女史と島田廣、
松尾明美女史と東勇作、
というダブル・キャスト。
ロートバルト男爵(オディールの父)は、小牧正英。
王妃(ジークフリートの母)は、服部智恵子。
という主たる配役は、
現在の日本のバレエ界の隆盛の礎となった人物ばかりである。
今週月曜の5日に松尾明美女史が93歳で死んで、
主役級のメンバーはすべて故人となった。いっぽう、
ソリスト級で参加した松山樹子女史(清水哲太郎の母)は
90歳で健在である。また、92歳の
谷桃子女史はこの「白鳥の湖」の公演には参加してない。
公演は帝劇だったが、レッスンやリハーサルなどは、
現在の世田谷区松原2丁目、北沢税務署近くの
戦災を逃れた貝谷女史が運営してた
貝谷バレエ団(現・貝谷芸術専門学校)の稽古場で行われた。
現在そこには、
「貝谷八百子先生記念碑 バレエ白鳥の湖発祥之地」
という記念碑が建てられてる。
尋常小学校5年まで大牟田で育った貝谷八百子女史は、
大富豪令嬢だった。
父親の貝谷真孜は三井三池炭坑の社員から衆議院議員にまで、また、
深田村岩屋銅山の所有者として大富豪にまでなった人物である。
八百子女史は真孜が44歳のときに生まれた末っ子だった。
父親が昭和7年の衆議院議員選挙に立候補して当選し、
東京に事務所を構えることになったので、
八百子女史も東京に居を移した。それから5年あまり、
真孜が虫垂炎をこじらせて60歳で死んだときには、
八百子女史はまだ16歳だった。
自分が成人してなお父親が健在だったら、
娘がダンサーになることなどけっして許さなかったはずだと、
八百子女史は後年述懐してる。当時は、
いわゆる中流家庭でさえ、女子が人前で踊るなどという
職業に就くことは普通はなかった。
そのたった50年ほど前の、ドガが描いてた踊り子らは
実態はお妾さん・娼婦だったのである。
富豪で政治家の父の意外に早かった死と遺産が、
八百子女史の職業ダンサーへの道を可能にしたのである。
私がガキの頃でさえ、バレエに携わる人は少なかった。
チケットなどは団員がノルマを課せられ(一人20枚とか)、
多くを"買い上げ"ることができた者にいい役が回ったりもした。
現在、日本でこれほどバレエが一般に認知され、
教室に通う人口が増えたのは、この
「白鳥の湖」全幕日本初演に関わった人々と、
その中の一人の息子と相方となり、
ヴァルナで金賞を得ることになる森下洋子女史の功績である。
チャイコフスキーが1876年までに作曲したバレエ「白鳥の湖」は、
その死後に弟が台本を書き換えて
プティパといわゆるイワノフが新振り付けしたものが
現在は一般に「白鳥の湖」として認識されてる。だから、
オデットが白鳥の姿に"変えられた"のは
悪魔ロットバルトによるものであり、
ジークフリート王子がロットバルトと"戦った"りもしてしまう。
二人が死なずにめでたく結ばれるという
ハッピーエンドにもされたりしてる。
チャイコフスキー至上主義の私にとって、その死後に
別人が切り刻んだり改竄したりしたものに、
ほとんど興味がない。残念なことに、
チャイコフスキーが作曲したバレエ「白鳥の湖」は
当初に意図された形での資料が残されてないので、
再現することが不可能である。ただ、
導入曲を含めて30曲から成る全曲の総譜が
(おそらく)元の形のまま残されてるのが
まだしも救いである。
「白鳥の湖」という物語は
キリスト教の新旧対立、
単純には、カトリックのフランス対プロテスタントのドイツ、
という形に象徴されてるものであり、
その諍いの結果としての悲劇を描いたものである。が、
ジークフリートとオデットが死んでも、すぐにまた
湖には若い白鳥らが姿を現して泳いでる、
という終わりかたである。これは、
教皇派のモンターギュ家(ロミオ)と皇帝派のキャピュレット家(ジュリエット)
と置き換えたヴェローナの話とも通じてる。
カトリックの神父の浅知恵で二人が死んだあと、
対立してた両家は和解するらしい。
どれほど戦争や悲劇があろうと、生き残った者らが
綿々と命を繋いでくだけなのである。
チャイコフスキーが自作にそうした題材を多く採りあげ
(破棄したウンヂーナも眠れる森の美女もイヨランタも)、また、
ロ短調(h-moll=hell)からロ長調(H-dur=heaven)へという
ヴェクトルを用いてることなどにも、
充分留意しなければばらない。
チャイコフスキーは「白鳥の湖」において、
三位一体(正三角形)や十字架などに象徴される
キリスト教的な安定・美を意識させるために、
「左右対称」を配した。が、
キリスト教的価値観への不信と停滞からの脱却を
その対称性崩壊で暗示してみせた。
「白鳥湖のシンメトリ(予備素材追加)」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/ab1fc816ebf26ef4badcc34e02760e06 )
「バレエ音楽『白鳥湖』予備資料/移調楽器」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/7bbfb1687822b2297e1e4f1c91c67786 )
「白鳥の湖/森前半vs川内後半のおフ・クロウさん」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/ecbb461f4db7fbc79ea191ca1e6d19cb )
「チャイコフスキー『白鳥の湖』における『対称性の破れ』」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/29892e985540a2315fc908693ef9fdcf )
などを参照されたい。
19世紀後半に興った西洋絵画の革命は、
"非対称性"の大胆な構図である日本の版画絵に
衝撃を受けたことに始まる。
唯一の神が天井にいて世界を対称に創造した、
という絶対的価値観神話が崩壊したのである。
いろんな神様がいたっていいじゃないか。
それぞれに神がいるのが当然じゃないか。
物事は相対的に起こり、また理解される。
時間や空間は絶対的なものではなく相対的なのである。
たとえ光速度が不変で絶対的なものだとしても、それは
光速を変数ではなく定数と理解したただの方便なのである。
ともあれ、
なぜ多くの人は「幸福」「平和」を求めるのだろう。
生命が、子孫が、繋がってさえいけば、
個人は不幸だろうが、
世界のどこかの地域が騒乱状態だっていいのではないか。
実際、簡単な理屈で、
誰かが幸せならその他が不幸にならざるをえず、
誰かが富めばその他が貧するのは当然である。
もっとも悪いのは、
すべての人・国が平和・幸福であれなどという
偽善こそなのである。
「白鳥の湖」も、
ジークフリートとオデットが死ぬことによって
ジークフリートの家は血が途絶えるが、だからといって
国土がなくなるわけでもなく、
領民全員が殉じてしまうわけでもない。
オデットの生家のほうも継母の血統は続くかもしれないが、
だからといって、それが未来永劫栄える保証はない。
ジークフリートやオデットが死んでも、
生き残った者がまた日々の営みに戻るだけなのである。
富士の高嶺に降る雪も、
京都先斗町に降る雪も、
雪に変わりがあるじゃなし。
溶けて流れりゃ、皆同じ。
地球もやがてはなくなる。
(「白鳥の湖」第1幕終曲(#09)と
第2幕の最初と終いで使われる#10(=#14)を続けて
チャイコフスキーのオーケストレイションをほぼそのまま再現してみました
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/tchaikovsky-swan-lake-09-and )
バレエ「白鳥の湖」全幕が我が国では初めて上演された。
昭和21年8月9日金曜17時、帝劇で開演した。
この公演は25日日曜までの17日間行われる予定だったが、
好評のために5日間延長され、30日金曜まで続けられたという。
先月25日に93歳で死んだ島田廣がその相方服部智恵子女史とともに発案し、
東勇作、貝谷八百子女史などに話を持ちかけ、
蘆原英了のつてで舞台美術にその叔父藤田嗣治を頼み、
小牧正英を引き込み、東宝をスポンサーにつけ、終戦後わずか1年、
シーズンオフで空いてた帝劇での公演を可能にした。とはいえ、
群舞などには早慶上智の演劇部の学生というバレエのバの字も知らない
ドシロウトをエキストラに頼まなければならなかった。その中のひとりに、
当時慶大生だったフランキー堺がいたらしい。
この公演(に使われた音楽および踊り)が
ライジンガー・ベーギチェフ・ピョートル版(原典版)だったのか、
プティパ・イワノフ・モデスト版(蘇演版)だったのかは、
当時生まれてもなく、ワイノーネンと天野アキの違いもあやふやな
拙脳なる私には知る由もない。が、
昭和21年当時の日本には、いずれにしても、
「白鳥の湖」全曲のフルスコアはなかったらしい。
戦中に上海に渡って上海バレエ・リュス(上海ロシア・バレエ団)に入ってた
小牧正英が、同団で使われてた全曲のpf譜を日本に引き揚げるときに
持ち帰ったものを指揮の山田一雄がオケ用に編曲した、
ということである。おそらく、
カシキンのpf編曲譜だったのだろう。とすると、
曲としてはライジンガー・ベーギチェフ・ピョートル版(原典版)だった、
ということかもしれない。
ともあれ、
オデット姫(男爵令嬢オディールとの二役)と王子ジークフリートは、
貝谷八百子女史と島田廣、
松尾明美女史と東勇作、
というダブル・キャスト。
ロートバルト男爵(オディールの父)は、小牧正英。
王妃(ジークフリートの母)は、服部智恵子。
という主たる配役は、
現在の日本のバレエ界の隆盛の礎となった人物ばかりである。
今週月曜の5日に松尾明美女史が93歳で死んで、
主役級のメンバーはすべて故人となった。いっぽう、
ソリスト級で参加した松山樹子女史(清水哲太郎の母)は
90歳で健在である。また、92歳の
谷桃子女史はこの「白鳥の湖」の公演には参加してない。
公演は帝劇だったが、レッスンやリハーサルなどは、
現在の世田谷区松原2丁目、北沢税務署近くの
戦災を逃れた貝谷女史が運営してた
貝谷バレエ団(現・貝谷芸術専門学校)の稽古場で行われた。
現在そこには、
「貝谷八百子先生記念碑 バレエ白鳥の湖発祥之地」
という記念碑が建てられてる。
尋常小学校5年まで大牟田で育った貝谷八百子女史は、
大富豪令嬢だった。
父親の貝谷真孜は三井三池炭坑の社員から衆議院議員にまで、また、
深田村岩屋銅山の所有者として大富豪にまでなった人物である。
八百子女史は真孜が44歳のときに生まれた末っ子だった。
父親が昭和7年の衆議院議員選挙に立候補して当選し、
東京に事務所を構えることになったので、
八百子女史も東京に居を移した。それから5年あまり、
真孜が虫垂炎をこじらせて60歳で死んだときには、
八百子女史はまだ16歳だった。
自分が成人してなお父親が健在だったら、
娘がダンサーになることなどけっして許さなかったはずだと、
八百子女史は後年述懐してる。当時は、
いわゆる中流家庭でさえ、女子が人前で踊るなどという
職業に就くことは普通はなかった。
そのたった50年ほど前の、ドガが描いてた踊り子らは
実態はお妾さん・娼婦だったのである。
富豪で政治家の父の意外に早かった死と遺産が、
八百子女史の職業ダンサーへの道を可能にしたのである。
私がガキの頃でさえ、バレエに携わる人は少なかった。
チケットなどは団員がノルマを課せられ(一人20枚とか)、
多くを"買い上げ"ることができた者にいい役が回ったりもした。
現在、日本でこれほどバレエが一般に認知され、
教室に通う人口が増えたのは、この
「白鳥の湖」全幕日本初演に関わった人々と、
その中の一人の息子と相方となり、
ヴァルナで金賞を得ることになる森下洋子女史の功績である。
チャイコフスキーが1876年までに作曲したバレエ「白鳥の湖」は、
その死後に弟が台本を書き換えて
プティパといわゆるイワノフが新振り付けしたものが
現在は一般に「白鳥の湖」として認識されてる。だから、
オデットが白鳥の姿に"変えられた"のは
悪魔ロットバルトによるものであり、
ジークフリート王子がロットバルトと"戦った"りもしてしまう。
二人が死なずにめでたく結ばれるという
ハッピーエンドにもされたりしてる。
チャイコフスキー至上主義の私にとって、その死後に
別人が切り刻んだり改竄したりしたものに、
ほとんど興味がない。残念なことに、
チャイコフスキーが作曲したバレエ「白鳥の湖」は
当初に意図された形での資料が残されてないので、
再現することが不可能である。ただ、
導入曲を含めて30曲から成る全曲の総譜が
(おそらく)元の形のまま残されてるのが
まだしも救いである。
「白鳥の湖」という物語は
キリスト教の新旧対立、
単純には、カトリックのフランス対プロテスタントのドイツ、
という形に象徴されてるものであり、
その諍いの結果としての悲劇を描いたものである。が、
ジークフリートとオデットが死んでも、すぐにまた
湖には若い白鳥らが姿を現して泳いでる、
という終わりかたである。これは、
教皇派のモンターギュ家(ロミオ)と皇帝派のキャピュレット家(ジュリエット)
と置き換えたヴェローナの話とも通じてる。
カトリックの神父の浅知恵で二人が死んだあと、
対立してた両家は和解するらしい。
どれほど戦争や悲劇があろうと、生き残った者らが
綿々と命を繋いでくだけなのである。
チャイコフスキーが自作にそうした題材を多く採りあげ
(破棄したウンヂーナも眠れる森の美女もイヨランタも)、また、
ロ短調(h-moll=hell)からロ長調(H-dur=heaven)へという
ヴェクトルを用いてることなどにも、
充分留意しなければばらない。
チャイコフスキーは「白鳥の湖」において、
三位一体(正三角形)や十字架などに象徴される
キリスト教的な安定・美を意識させるために、
「左右対称」を配した。が、
キリスト教的価値観への不信と停滞からの脱却を
その対称性崩壊で暗示してみせた。
「白鳥湖のシンメトリ(予備素材追加)」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/ab1fc816ebf26ef4badcc34e02760e06 )
「バレエ音楽『白鳥湖』予備資料/移調楽器」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/7bbfb1687822b2297e1e4f1c91c67786 )
「白鳥の湖/森前半vs川内後半のおフ・クロウさん」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/ecbb461f4db7fbc79ea191ca1e6d19cb )
「チャイコフスキー『白鳥の湖』における『対称性の破れ』」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/29892e985540a2315fc908693ef9fdcf )
などを参照されたい。
19世紀後半に興った西洋絵画の革命は、
"非対称性"の大胆な構図である日本の版画絵に
衝撃を受けたことに始まる。
唯一の神が天井にいて世界を対称に創造した、
という絶対的価値観神話が崩壊したのである。
いろんな神様がいたっていいじゃないか。
それぞれに神がいるのが当然じゃないか。
物事は相対的に起こり、また理解される。
時間や空間は絶対的なものではなく相対的なのである。
たとえ光速度が不変で絶対的なものだとしても、それは
光速を変数ではなく定数と理解したただの方便なのである。
ともあれ、
なぜ多くの人は「幸福」「平和」を求めるのだろう。
生命が、子孫が、繋がってさえいけば、
個人は不幸だろうが、
世界のどこかの地域が騒乱状態だっていいのではないか。
実際、簡単な理屈で、
誰かが幸せならその他が不幸にならざるをえず、
誰かが富めばその他が貧するのは当然である。
もっとも悪いのは、
すべての人・国が平和・幸福であれなどという
偽善こそなのである。
「白鳥の湖」も、
ジークフリートとオデットが死ぬことによって
ジークフリートの家は血が途絶えるが、だからといって
国土がなくなるわけでもなく、
領民全員が殉じてしまうわけでもない。
オデットの生家のほうも継母の血統は続くかもしれないが、
だからといって、それが未来永劫栄える保証はない。
ジークフリートやオデットが死んでも、
生き残った者がまた日々の営みに戻るだけなのである。
富士の高嶺に降る雪も、
京都先斗町に降る雪も、
雪に変わりがあるじゃなし。
溶けて流れりゃ、皆同じ。
地球もやがてはなくなる。
(「白鳥の湖」第1幕終曲(#09)と
第2幕の最初と終いで使われる#10(=#14)を続けて
チャイコフスキーのオーケストレイションをほぼそのまま再現してみました
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/tchaikovsky-swan-lake-09-and )
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