明日は天保暦に従えば夏の土用の丑の日であり、
もうすぐ現行暦の7月も終わってしまうが、
7月といえばジューリオ・チェーザレ(ラテン語でユリウス・カエサル)である。
英語で3月をMarchと言う。これは
ローマ神話の軍神Marsが由来だという。
古代ローマは軍国家である。
1年は3月から始まってた。
軍では行軍がおこなわれるので
「3月」→「行進」となったわけである。
"Alea jacta est!(アーレア・ヤクタ・エスト!)"
「他種暦間の差異は投げられた(拙訳※)」
カエサルは(当時の暦で)「7」月生まれ、とされた。
本当の日にちは判らないらしい。が、ともあれ、
7月だったのは確からしい。ところで、
カエサルが投げたサイコロがどんな形だったかは知らないが、
反対同士の面の数を足すと「7」になる正六面体のサイコロは、
古代ローマで普及した。ちなみに、ラテン語のalea=サイコロはイタリア語の
……アーレアれ、こんなんなっちゃった……という、
「冒険」「偶然性」を表す名詞に受け継がれた。
カエサルの姪の子でカエサルの養子だった
オッタヴィアーノ(オクタヴィアヌス=8を表す)が
初代皇帝となり、国はローマ帝国となった。後世、
オットー1世が戴冠して神聖ローマ帝国へと引き継がれることになる。
大空位時代を経て、神聖ローマ皇帝は、
「7」人の選帝侯同士の互選で決められるようになる。
選帝侯には「裁判権」を含む自治権が認められてた。ちなみに、
欧州では日本の最高裁にあたる司法裁判の上級所を
破毀院(Court de Cassation/Corte di Cassazione)
という。それはともかくも、
神聖ローマ皇帝位はやがて氷河鉄道スイス出身のハプスブルク家の
世襲となって、オーストリアがイタリアの一部も支配した。
Kassationは、ヨーセフ・ハイドン、ミヒャエル・ハイドン、
カール・フォン・ディッタースドルフ、アントーニオ・サリエーリ、
レーオポルト・モーツァルト、ヴォルフガング・モーツァルト、
のようにハプスブルグ家(ヴィーン)と関係があり、かつ、
互いに交流があった作曲家に固有の、しかも、
比較的短期間にしか用いられなかった"音楽ジャンル"である。
これはまた「おもちゃのスィンフォニーア」とも関係があり、
「行進曲」に始まり、メヌエット、アッレーグロ、
メヌエット、アレグレット、メヌエット、プレスト、
という「7」楽章で構成されるものである。
おもちゃは軍隊のオモチャであり、
オモチャを入れておく蓋つきの箱をcassaという。
英語のcase(ケイス)である。ラテン語の
cassus(空っぽの)が語源である。カラ→殻から
くるみの殻という意味にもなり、それは割るから
casser(カセ=割る)というフランス語の動詞にもなった。
割る→ぶち壊す→破毀する、
下級裁判所の判決を破毀するから破毀院、なのである。
上記の"上級音楽家"たちが、"下級音楽家"が作った"代物"を
"上から目線的手直"をして回しあいっこして、
「俺たちが手を加えりゃ、この程度にはなるのにね、ド素人が」
みたいに皮肉ったものが、格差スィオンなのである。冗談である。
格差といえば、
いまでもgoogleで"チャイコフスキー"と検索すれば
音楽之友社の「作曲家別名曲解説ライブラリー」の記事を
そっくりそのまま自分の文章として載せてた
(ことが閉鎖した理由かもしれない)
ウェブサイトのタイトルが上位に表示される。そのサイトでは、
<未だにロシア暦は現在の暦と12日の差があると誤って
書かれているものが多いが、正しくは13日です>
みたいなことが最初の頁に、鬼の首を取ったような
意気揚々さで書かれてた。いうまでもなく、とんでもない
マーチがい、否、間違いである。
素人だからまあしようがないかとも思ったが、
最近また職業音楽家でもいわゆる「ロシア暦」の認識を
まったく持ってないかたがいることを知った。
ユリウス暦とグレゴリオ暦(ともに太陽暦)の差どころか、
ユリウス暦と日本の旧暦(太陰太陽暦)を混同し、
太陽暦と太陰暦の違いも知らない。島谷ひとみ女史と
深田恭子女史の声の違いを聞き分けれない
拙脳なる私にさえも驚愕の衝撃である。
暦を左右することは為政者として譲れない事柄である。
信長が閏月の挿入時期に関して口を出したことが、
朝廷からの調停役勧修寺晴豊や陰陽頭土御門久脩を通じて
朝廷に捨て置けない存在と報告され、
本能寺で消されることになる原因である。奇しくも、
ユリウス・カエサルが制定させた(から)ユリウス暦では、
大切な行事である復活祭を決める春分の時期が
ズレにズレてしまったことで、教皇グレゴリオ13世が
新暦を制定させるプロジュクトを立ち上げ、
ついに強行した年(1582年)のことだった。
カエサル(7月)やアウグストゥス(オクタヴィアヌス)でさえ、
差し挟んで9月乃至12月を2こずつズラした、
といっても月の名前だけであって、それぞれが
エクストラ・マンスを挿入して1年を14月にしたわけではない。
信長は分をわきまえない大うつけだったのである。
現在のトルコは、ギリシャとともに、もっとも遅くになって
グレゴリオ暦を採用した国のひとつである。現行暦以前は、
イスラームのヒジュラ暦を使用してた。これは太陰暦である。
太陰太陽暦の日本の旧暦のように閏月を挿入することなどなく、
季節もお天道様もへったくれもない(それゆえ太陰暦)。だから、
あの有名なラマダーンの断食儀式が毎年ズレるのである。
曇ってて新月が確認できなかったらまだ、
なんてこともあるらしい。それはともあれ、
いわゆる1875年に、オスマーン朝に統治されてた
ボスニアやヘルツェゴヴィナで、重税に対する暴動が起こった。
蜂起はブルガリアやセルビアにも飛び火し、
同じくオスマーン朝の統治下にあったとはいえ、
以前から自治権を持ってたモンテネグロと
19世紀になって自治権を与えられたセルビアは、
チャイコフスキーがバレエ「白鳥の湖」を完成し、
ピアノ曲「四季」が毎月雑誌の発売とともに
掲載発表されてた1876年の夏、
オスマーン朝に宣戦布告したのである。このとき、
セルビアが強気に出れたのは、ロシアの義勇兵と義勇金を
勘定に入れてたからである。同じく
スラヴ人で東方キリスト正教徒である、ということをアピールして、
軍事大国ロシアに頼ったのである。もともとロマノフ朝とオスマーン朝は
犬猿の仲である。国民も同じである。
ロシアでは"同胞を救え"というスロウガンで、
各地で集会が開かれた。その一環で、
まだメック夫人という金ヅルが現れる前のチャイコフスキーに委嘱されたのが、
「セルビア・ロシア行進曲(のちにスラヴ行進曲と改題)」である。
バイロイトのこけら落とし見学のあと、ユリウス暦9月25日に完成させた。
チャイコフスキーが「スラヴ行進曲」の主要主題に採ったのは、
セルビア人詩人イスィドール・チリッチの詩による民謡、
"Sunce jarko, ne sija?"
(スンチェ(太陽)・ヤールコ(明るい)、ネ(~ない)・スィーヤ(輝く)
=明るいはずの太陽よ、輝かないのか?)
である。1844年生まれのチリッチは奇しくも、
1893年、チャイコフスキーと同じ年に死ぬ。
チャイコフスキー「スラヴ行進曲」
[Moderato in modo di Marcia funebre、4/4拍子、5♭(変ロ短調)]
(モデラート・イン・モード・ディ・マルチャ・フーネブレ=モデラート、葬送行進曲のように)
ティンパニのトレモロとチェロ+オクターヴ下のコントラバスの主音の伴奏に乗って、
ファゴット2管+ヴィオーラの完全ユニゾンがこの歌を歌う。
***♪【ミー・ーー、・・>♯レー・>ド>シ│>ラー・ーー・・ーー】、・<シ<ド│
<ミ、●・【ミー・・>♯レー、・>ド>シ、│>ラー・ーー・・ーー・ーー】♪
短調の第4音を上方変位させた「東方音階」によるものである。今から
30年ほど前に、日本の歌謡曲で「異邦人」というものがあった。
久保田早紀女史が作詞作曲して弾き語りで宣教した歌謡曲である。
この曲のイントロ・チュウトロのアレンジでは、慶大卒のインテリ歌謡曲編曲者
萩田光雄は「異邦感」を出すためか、この「音階」を打ち出してた。
この民謡は、チャイコフスキーのことを妬んでたことで有名な
リームスキー=コールサコフがまだきちんと作曲法を学んでなかった若き日に
"作曲"した「セルビア幻想曲」でも用いられてた。ちなみに、
同曲が雑誌「アントラクト」で匿名の酷評されたとき、チャイコフスキーだけが
雑誌「クロニクル」誌上で擁護し、我が国の芸術の最高の誇りになる」
とまで"予言"した。
リームスキー=コールサコフ「セルビア幻想曲」
[Andantino(4分音符=66)、4/4拍子、2♯(ロ短調)]
***♪【ミー・ーー、・・>♯レー・>ド>シ、│<レー・>ド>シ、・・>ラー・ー】●・●●♪
いわゆるモスクワよりもさらに"東方"な地域の音階である。だからか、
このセルビアというバルカン半島のスラヴ人という白人の国の民謡から、
あのツェーザリ・キュイーは、妬ましかったチャイコフスキーが死んだ
1893年に三番煎じながら、この節をそのまま使った、
「オリエンタル」(vn曲「万華鏡」op.50の第9曲)を"作曲"した。
[Allegretto(付点4分音符=69)、6/8拍子、2♭(ト短調)]
****♪【ミーーーミー>・♯レー>ドー>シー│<ド>シ>ラーーー・ーー】<シ<ド│
<【ミーー<ファ>ミー・>♯レー>ド<♯レ>ド>シ│<ド>シ>ラーーー・ーー】♪
「力強い5人組」の中の二人のものは、ともに、
チャイコフスキーのものに比べたら足下にもおよばない拙いものである。が、
それはともあれ、チャイコフスキー自身、この「セルビア民謡」を用いたのは、
1876年に作曲された「スラヴ行進曲」が初めてではない。
同年4月に完成されたバレエ「白鳥の湖」(第2幕)第11曲の途中、
イ短調の属和音で人間姿の少女オデットが登場し、
「うら若い娘は王子に言う=なぜ私を虐めるの? ドSですか?」
という場面で使われてるのである。
[Moderaro、4/4拍子、無調号]
***♪ラー・ーー・・>ソー・ー>ファ│>ミー・ーー・・ーー、・【ミー、│
>♯レー・>ドー・・>シー・>ラー】、│<レー・ーー・・ーー、・レー、│
>♯ドー・>ラー・・>ソー・>♯ファー、│<(N)ドー・ーー・・ーー、・ドー、│
>シー・<レー・・>♯ドー・>シー、│<♯ドー・ーー・・ーー・ーー♪
fのイ短調からディミヌエンドさせつつpのロ短調に転じさせながら、
独奏オーボエに哀切感たっぷりに吹かせるくだりである。たしかに、
「実の母方の祖父が昼は白鳥に姿を変えてくれて、
正体は魔女である継母からの危害から守ってくれてる」
というような命を狙われてる身の上のオデットにとって、
「本来は明るく照らしてくれるはずの太陽が輝かない」日々であることは、
まぎれもない。否、サニー非ず。たとえ、
ほんの一時ではっても、ズィークフリート王子と相思相愛になり、
真の愛を体験できたのである。それだけでいいではないか。
他に何が要るだろう。まぁ、いずれにしても
「白鳥の湖」の中のオデットはじつに
可憐だー、とは言えるのである。が、そんな純粋なオデットとは
私は少し違って、玉川カルテットふうに言えば、
♪金も要らなきゃ、おんなも要らぬ。わたしゃもすこし毛がほしい♪
のである。
もうすぐ現行暦の7月も終わってしまうが、
7月といえばジューリオ・チェーザレ(ラテン語でユリウス・カエサル)である。
英語で3月をMarchと言う。これは
ローマ神話の軍神Marsが由来だという。
古代ローマは軍国家である。
1年は3月から始まってた。
軍では行軍がおこなわれるので
「3月」→「行進」となったわけである。
"Alea jacta est!(アーレア・ヤクタ・エスト!)"
「他種暦間の差異は投げられた(拙訳※)」
カエサルは(当時の暦で)「7」月生まれ、とされた。
本当の日にちは判らないらしい。が、ともあれ、
7月だったのは確からしい。ところで、
カエサルが投げたサイコロがどんな形だったかは知らないが、
反対同士の面の数を足すと「7」になる正六面体のサイコロは、
古代ローマで普及した。ちなみに、ラテン語のalea=サイコロはイタリア語の
……アーレアれ、こんなんなっちゃった……という、
「冒険」「偶然性」を表す名詞に受け継がれた。
カエサルの姪の子でカエサルの養子だった
オッタヴィアーノ(オクタヴィアヌス=8を表す)が
初代皇帝となり、国はローマ帝国となった。後世、
オットー1世が戴冠して神聖ローマ帝国へと引き継がれることになる。
大空位時代を経て、神聖ローマ皇帝は、
「7」人の選帝侯同士の互選で決められるようになる。
選帝侯には「裁判権」を含む自治権が認められてた。ちなみに、
欧州では日本の最高裁にあたる司法裁判の上級所を
破毀院(Court de Cassation/Corte di Cassazione)
という。それはともかくも、
神聖ローマ皇帝位はやがて氷河鉄道スイス出身のハプスブルク家の
世襲となって、オーストリアがイタリアの一部も支配した。
Kassationは、ヨーセフ・ハイドン、ミヒャエル・ハイドン、
カール・フォン・ディッタースドルフ、アントーニオ・サリエーリ、
レーオポルト・モーツァルト、ヴォルフガング・モーツァルト、
のようにハプスブルグ家(ヴィーン)と関係があり、かつ、
互いに交流があった作曲家に固有の、しかも、
比較的短期間にしか用いられなかった"音楽ジャンル"である。
これはまた「おもちゃのスィンフォニーア」とも関係があり、
「行進曲」に始まり、メヌエット、アッレーグロ、
メヌエット、アレグレット、メヌエット、プレスト、
という「7」楽章で構成されるものである。
おもちゃは軍隊のオモチャであり、
オモチャを入れておく蓋つきの箱をcassaという。
英語のcase(ケイス)である。ラテン語の
cassus(空っぽの)が語源である。カラ→殻から
くるみの殻という意味にもなり、それは割るから
casser(カセ=割る)というフランス語の動詞にもなった。
割る→ぶち壊す→破毀する、
下級裁判所の判決を破毀するから破毀院、なのである。
上記の"上級音楽家"たちが、"下級音楽家"が作った"代物"を
"上から目線的手直"をして回しあいっこして、
「俺たちが手を加えりゃ、この程度にはなるのにね、ド素人が」
みたいに皮肉ったものが、格差スィオンなのである。冗談である。
格差といえば、
いまでもgoogleで"チャイコフスキー"と検索すれば
音楽之友社の「作曲家別名曲解説ライブラリー」の記事を
そっくりそのまま自分の文章として載せてた
(ことが閉鎖した理由かもしれない)
ウェブサイトのタイトルが上位に表示される。そのサイトでは、
<未だにロシア暦は現在の暦と12日の差があると誤って
書かれているものが多いが、正しくは13日です>
みたいなことが最初の頁に、鬼の首を取ったような
意気揚々さで書かれてた。いうまでもなく、とんでもない
マーチがい、否、間違いである。
素人だからまあしようがないかとも思ったが、
最近また職業音楽家でもいわゆる「ロシア暦」の認識を
まったく持ってないかたがいることを知った。
ユリウス暦とグレゴリオ暦(ともに太陽暦)の差どころか、
ユリウス暦と日本の旧暦(太陰太陽暦)を混同し、
太陽暦と太陰暦の違いも知らない。島谷ひとみ女史と
深田恭子女史の声の違いを聞き分けれない
拙脳なる私にさえも驚愕の衝撃である。
暦を左右することは為政者として譲れない事柄である。
信長が閏月の挿入時期に関して口を出したことが、
朝廷からの調停役勧修寺晴豊や陰陽頭土御門久脩を通じて
朝廷に捨て置けない存在と報告され、
本能寺で消されることになる原因である。奇しくも、
ユリウス・カエサルが制定させた(から)ユリウス暦では、
大切な行事である復活祭を決める春分の時期が
ズレにズレてしまったことで、教皇グレゴリオ13世が
新暦を制定させるプロジュクトを立ち上げ、
ついに強行した年(1582年)のことだった。
カエサル(7月)やアウグストゥス(オクタヴィアヌス)でさえ、
差し挟んで9月乃至12月を2こずつズラした、
といっても月の名前だけであって、それぞれが
エクストラ・マンスを挿入して1年を14月にしたわけではない。
信長は分をわきまえない大うつけだったのである。
現在のトルコは、ギリシャとともに、もっとも遅くになって
グレゴリオ暦を採用した国のひとつである。現行暦以前は、
イスラームのヒジュラ暦を使用してた。これは太陰暦である。
太陰太陽暦の日本の旧暦のように閏月を挿入することなどなく、
季節もお天道様もへったくれもない(それゆえ太陰暦)。だから、
あの有名なラマダーンの断食儀式が毎年ズレるのである。
曇ってて新月が確認できなかったらまだ、
なんてこともあるらしい。それはともあれ、
いわゆる1875年に、オスマーン朝に統治されてた
ボスニアやヘルツェゴヴィナで、重税に対する暴動が起こった。
蜂起はブルガリアやセルビアにも飛び火し、
同じくオスマーン朝の統治下にあったとはいえ、
以前から自治権を持ってたモンテネグロと
19世紀になって自治権を与えられたセルビアは、
チャイコフスキーがバレエ「白鳥の湖」を完成し、
ピアノ曲「四季」が毎月雑誌の発売とともに
掲載発表されてた1876年の夏、
オスマーン朝に宣戦布告したのである。このとき、
セルビアが強気に出れたのは、ロシアの義勇兵と義勇金を
勘定に入れてたからである。同じく
スラヴ人で東方キリスト正教徒である、ということをアピールして、
軍事大国ロシアに頼ったのである。もともとロマノフ朝とオスマーン朝は
犬猿の仲である。国民も同じである。
ロシアでは"同胞を救え"というスロウガンで、
各地で集会が開かれた。その一環で、
まだメック夫人という金ヅルが現れる前のチャイコフスキーに委嘱されたのが、
「セルビア・ロシア行進曲(のちにスラヴ行進曲と改題)」である。
バイロイトのこけら落とし見学のあと、ユリウス暦9月25日に完成させた。
チャイコフスキーが「スラヴ行進曲」の主要主題に採ったのは、
セルビア人詩人イスィドール・チリッチの詩による民謡、
"Sunce jarko, ne sija?"
(スンチェ(太陽)・ヤールコ(明るい)、ネ(~ない)・スィーヤ(輝く)
=明るいはずの太陽よ、輝かないのか?)
である。1844年生まれのチリッチは奇しくも、
1893年、チャイコフスキーと同じ年に死ぬ。
チャイコフスキー「スラヴ行進曲」
[Moderato in modo di Marcia funebre、4/4拍子、5♭(変ロ短調)]
(モデラート・イン・モード・ディ・マルチャ・フーネブレ=モデラート、葬送行進曲のように)
ティンパニのトレモロとチェロ+オクターヴ下のコントラバスの主音の伴奏に乗って、
ファゴット2管+ヴィオーラの完全ユニゾンがこの歌を歌う。
***♪【ミー・ーー、・・>♯レー・>ド>シ│>ラー・ーー・・ーー】、・<シ<ド│
<ミ、●・【ミー・・>♯レー、・>ド>シ、│>ラー・ーー・・ーー・ーー】♪
短調の第4音を上方変位させた「東方音階」によるものである。今から
30年ほど前に、日本の歌謡曲で「異邦人」というものがあった。
久保田早紀女史が作詞作曲して弾き語りで宣教した歌謡曲である。
この曲のイントロ・チュウトロのアレンジでは、慶大卒のインテリ歌謡曲編曲者
萩田光雄は「異邦感」を出すためか、この「音階」を打ち出してた。
この民謡は、チャイコフスキーのことを妬んでたことで有名な
リームスキー=コールサコフがまだきちんと作曲法を学んでなかった若き日に
"作曲"した「セルビア幻想曲」でも用いられてた。ちなみに、
同曲が雑誌「アントラクト」で匿名の酷評されたとき、チャイコフスキーだけが
雑誌「クロニクル」誌上で擁護し、我が国の芸術の最高の誇りになる」
とまで"予言"した。
リームスキー=コールサコフ「セルビア幻想曲」
[Andantino(4分音符=66)、4/4拍子、2♯(ロ短調)]
***♪【ミー・ーー、・・>♯レー・>ド>シ、│<レー・>ド>シ、・・>ラー・ー】●・●●♪
いわゆるモスクワよりもさらに"東方"な地域の音階である。だからか、
このセルビアというバルカン半島のスラヴ人という白人の国の民謡から、
あのツェーザリ・キュイーは、妬ましかったチャイコフスキーが死んだ
1893年に三番煎じながら、この節をそのまま使った、
「オリエンタル」(vn曲「万華鏡」op.50の第9曲)を"作曲"した。
[Allegretto(付点4分音符=69)、6/8拍子、2♭(ト短調)]
****♪【ミーーーミー>・♯レー>ドー>シー│<ド>シ>ラーーー・ーー】<シ<ド│
<【ミーー<ファ>ミー・>♯レー>ド<♯レ>ド>シ│<ド>シ>ラーーー・ーー】♪
「力強い5人組」の中の二人のものは、ともに、
チャイコフスキーのものに比べたら足下にもおよばない拙いものである。が、
それはともあれ、チャイコフスキー自身、この「セルビア民謡」を用いたのは、
1876年に作曲された「スラヴ行進曲」が初めてではない。
同年4月に完成されたバレエ「白鳥の湖」(第2幕)第11曲の途中、
イ短調の属和音で人間姿の少女オデットが登場し、
「うら若い娘は王子に言う=なぜ私を虐めるの? ドSですか?」
という場面で使われてるのである。
[Moderaro、4/4拍子、無調号]
***♪ラー・ーー・・>ソー・ー>ファ│>ミー・ーー・・ーー、・【ミー、│
>♯レー・>ドー・・>シー・>ラー】、│<レー・ーー・・ーー、・レー、│
>♯ドー・>ラー・・>ソー・>♯ファー、│<(N)ドー・ーー・・ーー、・ドー、│
>シー・<レー・・>♯ドー・>シー、│<♯ドー・ーー・・ーー・ーー♪
fのイ短調からディミヌエンドさせつつpのロ短調に転じさせながら、
独奏オーボエに哀切感たっぷりに吹かせるくだりである。たしかに、
「実の母方の祖父が昼は白鳥に姿を変えてくれて、
正体は魔女である継母からの危害から守ってくれてる」
というような命を狙われてる身の上のオデットにとって、
「本来は明るく照らしてくれるはずの太陽が輝かない」日々であることは、
まぎれもない。否、サニー非ず。たとえ、
ほんの一時ではっても、ズィークフリート王子と相思相愛になり、
真の愛を体験できたのである。それだけでいいではないか。
他に何が要るだろう。まぁ、いずれにしても
「白鳥の湖」の中のオデットはじつに
可憐だー、とは言えるのである。が、そんな純粋なオデットとは
私は少し違って、玉川カルテットふうに言えば、
♪金も要らなきゃ、おんなも要らぬ。わたしゃもすこし毛がほしい♪
のである。
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