かつてハンガリー王国だったころの王子は、先祖が東方系だったからといって
「ハンガリ王子」と呼ばれて「青びかり」するモヒカンヘアスタイルを
してたかどうかは知らないが、髷を結ってたはずはない。
青い蒙古斑があるかどうかも知らないが、名前を
「家族名→個人名」には並べるらしい。たとえば、
シュテルン(のちにショルティと改姓)・ジェルジであって、
ジェルジ・シュテルンではないようである
(ユダヤ系ハンガリー人なのに、ついには英国女王から
ナイトに叙されて、サー・ジョージ・ショルティにまで到達した
指揮界の出世魚である)。この
「家族名→個人名」という順の並べかたは、
「個人名→家族名」と並べるよりなにかと「好都合」である。たとえば、
「電話帳」のような名簿類では、米国でも
「家族名,個人名」のような順に書かれてる。個人名が先にあっては、
♪お、ヴレーネリ。あなーたの、名字はなにーーー?
わたーしの、みょうじは、シュヴァイツァーなのよーーー。
コボールもパスカルも、知らーないのよーーー。
やーーっほーー、fortranランラン、
やっほ、fortranランラン、
やっほ、フォートー、ラン、ラン、ラン。やっほっほっ♪
というコンピュータ処理的な検索に適さないのは自明である。ちなみに、
このごろの我が国の子作り世代が子につける名は、
漫画・アニメ・ゲイムのキャラに因むものが多いらしい。女性名に関しては、
陽菜、さくら、美咲、葵、あたりが人気だとか。対して、
私と同世代の女性は「子」附きが多かった。
和子、幸子、まさ(字はまちまち)子、よう(同様)子、けい(同様)子、
とも(同様)子、ひろ(同様)子、じゅん(同様)子、などである。いっぽう、
「子」がつかない典型は、
(今ではほとんど信じれないだろうが)明美、だった(今では
神戸の安キャバクラ嬢もつけたがらないような源氏名である)。次いで、
真由美、由美、直美、といったところだったろうか。いずれにしても、
「美」附きである。あとは、やよい、ゆかり(これらは平仮名のみ)、
あたりだった。だから、たまにエリカなどという子がぽつんといたりすると、
それだけで目立ったが、私の心配はそんな名で将来お婆さんになったら
みっともないのではないか、というものだったが、
いかにもよけいな危惧だった。いっぽう、米国あたりでは、
スーザン(釣りバカではない)、エリザベス、マーガレット、キャサリン、
ジェニファー、などが女性の典型的な名だったが、昨今は、
エミリー、エマ(合格を祈願するわけでもないらしいが)、マディスン、
アビゲイル、サマンサ、アシュリー、オリヴィア、あたりが人気らしい。
名は確かに大事である。「名はThaiを表す」という言葉はよく聞くが、
「アーラヤーね」というのが口癖の女性からはそれが道頓堀が似合いそうな
オバちゃんだろうとタイ人であろうことは容易に想像がつく。いっぽう、
「ウァッツ・インナ・ネイム? ダット・ウィッチ・ウィ・コール・ア・ロウズ・
バイ・エニー・アダー・ネイム・ウッド・スメル・アズ・スウィート」
と言ったのがカプレーティ家の令嬢だったかどうかは、モンテッキ写真も
モンタージュ写真もなかった時代、oliviaという名をどう発声すべきか、
薔薇という漢字を書けなくて笑ってしまったのがウンベルト・英子だか
栄子だか映子だか判然としないのに戸惑ってしまうのといっしょで、
先週までCXの「スーパー競馬」にレポーターとして出演してた
岡崎出身の杉浦美帆嬢と松永幹夫調教師の顔の区別が難しいのと同様に、
右往沙翁してしまうから厄介である。たとえば、
キャリー&ディラン、ブレンダ&ディランなら解かるが、
キャサリン&ディランという名だきネタは、それは何の
フリスカ? と訊いてみたくなるのである。
→[ヴィヴァーチェ、2/4、3♯]
「フリッシュ部」である。それまでのイ短(減7)から突如、同主調の
イ長(主和音)に転じる。ファゴットとティンパニによる
主音と属音の8分音符の伴奏に導かれて、
第1クラリネットと第1vnが主主題を奏する
(第2クラリネットと第2vnがその3度下を塗り重ねて彩る)。
**♪ソ>ファ>ミ<ファ・<ソ>ファ>ミ<ソ│<ラッラー・ーー<シー│
>ファ>ミ>レ<ミ・<ファ>ミ>レ<ファ│<ソッソー・ーー<ラー│
>ミ>レ>ドー・ード<レ<ミ│<ファッ<ソッ・<ラーーー│
>レ>ド>シー・ーシ<ド<レ│<ミッ<ファッ・<ソーーー♪
この主題は旋律自体は(クレッシェンドされる以外は)
そのまま確保されるのであるが、オーケストレイションに手が加えられてる。
主音の通奏に第2ファゴットとチューバを加え、強拍に8分音符音価の
トライアングルが打たれ、前奏のティンパニが再起用されてる。さらに、
1番ホルン+チェロによる
**♪●●●●・ドーーー│>シーーー・>ソーーー│
●●●●・<ラーーー│>ソーーー・>ドーーー♪
という効果的なプチ・オッブリガートの彩りが施されてる。
次いで打ち出される対主題は、
**♪【ラーラー・(ー)
<シー│<レ>ド>シ>ラー】・●
<シー│<ド>シ>ラ>ソー・●
ソー│<ラ>ソ>ファ>ミー・<ファ>ミ>レ>ドー♪
(この4小節を反復させた8小節が1ユニット)
という強烈なものである。じつに印象深いモチーフであるが、
*♪【ラララ<シ・<レ>ド>シ>ラ】│>ソーーー・ーー●●♪
と単純化して「♪ハカないでくださいぃ~~~♪」
と懇願すれば、もう「そこに私はいなく」なって、相手は
「洗脳の枷」になってしまってるのである。いっぽう、
その教祖の著作権とやらは「千億の金になって」るのである。ところで、
ベートホーフェンの8番ピアノ・ソナータの緩徐章は、のちに
歌謡曲に採られてポピュラーになったために、
「くら音」に造詣がないむきの記憶野にも少々刻まれることになった。
**♪ミーーー・>レーーー│<ソーーー・ーー、>ファー│
>ミー<ソー・<ドー、<レー│>ソーーー・ーー、<♯ソー│
<【【ラーーー・>レー、<ミ<ファ│<ソーーー・>♯ドーーー】】│
<ファーーー・>ミ>レ>ド>シ│<レーーー・>ドーーー♪
いっぽう、偽善事業が大好きで背後世界を信奉する
妄想力豊かな大衆にはバカウケするどこかの倒錯歌謡曲に、
**♪【【ラーーー・>レ<ミ<ファ<ラ│●<ソソ<ラ・>ドーーー】】♪
みたいのがあるようである。まことにパテティク(痛い)でお気の毒である。
それはともかくも、対主題のあとは、実質嬰ハ短に転じ、pに静められる。
主主題のモチーフを変じた
**♪ミ>レ>ド<レ・<ミ>レ>ド<ミ│<ファーファー・ーーファー│
>レ>ド>シ<ド・<レ>ド<シ<レ│<ミーミー・ーー>ミー♪
という、フルート2管+オクターヴ下のクラリネット2管による
3度下裏打ちパッセージ、および、
オーボエ2管+オクターヴ下のファゴット2管による
3度下裏打ちカノンである(この4小節を反復させた8小節が1ユニット)。
次いで、嬰ハ短主和音(第2転回形)の8分音符がffのほぼ全奏で打たれると、
**♪ラ>♯ソ・<ラ<シ<ド<レ│
<ファ>ミ>レ>ドー・<ファ>ミ>レ>ドー│
>ラ>♯ソ<ラ<シ・<ド>シ<ド<レ│
<ファ>ミ>レ>ドー・<ファ>ミ>レ>ドー♪
という嬰ハ短のパッセージが、
強烈な嬰ハ短主和音(第2転回形)のアオフタクトの8分打を伴って奏される。
パッセージはそっくり反復されるように見えるが、
アオフタクトの8分打がイ長の属7に「変身」して、
**♪ファ>ミ>レ>ドー・<ファ>ミ>レ>ドー♪が、イ長の
**♪ド>シ>ラ>ソー・<ド>シ>ラ>ソー♪に「置き換えられてる」
という算段である。そのゼクヴェンツによって導かれ、主主題が再現される。
呈示時にはpで奏されてた主主題であったがその再現は、
楽器をほぼ総動員というffの大規模なものである。このような
外見的効果狙いな大衆的ドンチャン音楽を書いても、チャイコフスキーは
優れて秀でてるのである。トライアングル・シンバル・大太鼓という
打楽器も参加させられてるが、「1812年」の終い同様に、
その打楽器の掛け合い(拍への分散のさせかた)の妙は、
舌を巻く精緻さである。終い、
**♪ドー●●│>シー●●・>ラー●●│>ソー●●♪
のゼクヴェンツでは、高中木管+高中弦(3度下裏打ちあり)が
**♪『ド』>シ>ラー│<『シ』>ラ>ソー
・<『ラ』>ソ>ファー│<『ソ』>ファ>ミー♪
という装飾を施せて奏されるのである。曲は
イ長の主和音からイ音のユニゾンで閉められる。
チャイコフスキーのバレエ「白鳥の湖」の傑出したナンバーのなかでも、
とくに秀でた、何よりも優ジャルと思えるほどの音楽だとしみじみ感じる。
「ハンガリ王子」と呼ばれて「青びかり」するモヒカンヘアスタイルを
してたかどうかは知らないが、髷を結ってたはずはない。
青い蒙古斑があるかどうかも知らないが、名前を
「家族名→個人名」には並べるらしい。たとえば、
シュテルン(のちにショルティと改姓)・ジェルジであって、
ジェルジ・シュテルンではないようである
(ユダヤ系ハンガリー人なのに、ついには英国女王から
ナイトに叙されて、サー・ジョージ・ショルティにまで到達した
指揮界の出世魚である)。この
「家族名→個人名」という順の並べかたは、
「個人名→家族名」と並べるよりなにかと「好都合」である。たとえば、
「電話帳」のような名簿類では、米国でも
「家族名,個人名」のような順に書かれてる。個人名が先にあっては、
♪お、ヴレーネリ。あなーたの、名字はなにーーー?
わたーしの、みょうじは、シュヴァイツァーなのよーーー。
コボールもパスカルも、知らーないのよーーー。
やーーっほーー、fortranランラン、
やっほ、fortranランラン、
やっほ、フォートー、ラン、ラン、ラン。やっほっほっ♪
というコンピュータ処理的な検索に適さないのは自明である。ちなみに、
このごろの我が国の子作り世代が子につける名は、
漫画・アニメ・ゲイムのキャラに因むものが多いらしい。女性名に関しては、
陽菜、さくら、美咲、葵、あたりが人気だとか。対して、
私と同世代の女性は「子」附きが多かった。
和子、幸子、まさ(字はまちまち)子、よう(同様)子、けい(同様)子、
とも(同様)子、ひろ(同様)子、じゅん(同様)子、などである。いっぽう、
「子」がつかない典型は、
(今ではほとんど信じれないだろうが)明美、だった(今では
神戸の安キャバクラ嬢もつけたがらないような源氏名である)。次いで、
真由美、由美、直美、といったところだったろうか。いずれにしても、
「美」附きである。あとは、やよい、ゆかり(これらは平仮名のみ)、
あたりだった。だから、たまにエリカなどという子がぽつんといたりすると、
それだけで目立ったが、私の心配はそんな名で将来お婆さんになったら
みっともないのではないか、というものだったが、
いかにもよけいな危惧だった。いっぽう、米国あたりでは、
スーザン(釣りバカではない)、エリザベス、マーガレット、キャサリン、
ジェニファー、などが女性の典型的な名だったが、昨今は、
エミリー、エマ(合格を祈願するわけでもないらしいが)、マディスン、
アビゲイル、サマンサ、アシュリー、オリヴィア、あたりが人気らしい。
名は確かに大事である。「名はThaiを表す」という言葉はよく聞くが、
「アーラヤーね」というのが口癖の女性からはそれが道頓堀が似合いそうな
オバちゃんだろうとタイ人であろうことは容易に想像がつく。いっぽう、
「ウァッツ・インナ・ネイム? ダット・ウィッチ・ウィ・コール・ア・ロウズ・
バイ・エニー・アダー・ネイム・ウッド・スメル・アズ・スウィート」
と言ったのがカプレーティ家の令嬢だったかどうかは、モンテッキ写真も
モンタージュ写真もなかった時代、oliviaという名をどう発声すべきか、
薔薇という漢字を書けなくて笑ってしまったのがウンベルト・英子だか
栄子だか映子だか判然としないのに戸惑ってしまうのといっしょで、
先週までCXの「スーパー競馬」にレポーターとして出演してた
岡崎出身の杉浦美帆嬢と松永幹夫調教師の顔の区別が難しいのと同様に、
右往沙翁してしまうから厄介である。たとえば、
キャリー&ディラン、ブレンダ&ディランなら解かるが、
キャサリン&ディランという名だきネタは、それは何の
フリスカ? と訊いてみたくなるのである。
→[ヴィヴァーチェ、2/4、3♯]
「フリッシュ部」である。それまでのイ短(減7)から突如、同主調の
イ長(主和音)に転じる。ファゴットとティンパニによる
主音と属音の8分音符の伴奏に導かれて、
第1クラリネットと第1vnが主主題を奏する
(第2クラリネットと第2vnがその3度下を塗り重ねて彩る)。
**♪ソ>ファ>ミ<ファ・<ソ>ファ>ミ<ソ│<ラッラー・ーー<シー│
>ファ>ミ>レ<ミ・<ファ>ミ>レ<ファ│<ソッソー・ーー<ラー│
>ミ>レ>ドー・ード<レ<ミ│<ファッ<ソッ・<ラーーー│
>レ>ド>シー・ーシ<ド<レ│<ミッ<ファッ・<ソーーー♪
この主題は旋律自体は(クレッシェンドされる以外は)
そのまま確保されるのであるが、オーケストレイションに手が加えられてる。
主音の通奏に第2ファゴットとチューバを加え、強拍に8分音符音価の
トライアングルが打たれ、前奏のティンパニが再起用されてる。さらに、
1番ホルン+チェロによる
**♪●●●●・ドーーー│>シーーー・>ソーーー│
●●●●・<ラーーー│>ソーーー・>ドーーー♪
という効果的なプチ・オッブリガートの彩りが施されてる。
次いで打ち出される対主題は、
**♪【ラーラー・(ー)
<シー│<レ>ド>シ>ラー】・●
<シー│<ド>シ>ラ>ソー・●
ソー│<ラ>ソ>ファ>ミー・<ファ>ミ>レ>ドー♪
(この4小節を反復させた8小節が1ユニット)
という強烈なものである。じつに印象深いモチーフであるが、
*♪【ラララ<シ・<レ>ド>シ>ラ】│>ソーーー・ーー●●♪
と単純化して「♪ハカないでくださいぃ~~~♪」
と懇願すれば、もう「そこに私はいなく」なって、相手は
「洗脳の枷」になってしまってるのである。いっぽう、
その教祖の著作権とやらは「千億の金になって」るのである。ところで、
ベートホーフェンの8番ピアノ・ソナータの緩徐章は、のちに
歌謡曲に採られてポピュラーになったために、
「くら音」に造詣がないむきの記憶野にも少々刻まれることになった。
**♪ミーーー・>レーーー│<ソーーー・ーー、>ファー│
>ミー<ソー・<ドー、<レー│>ソーーー・ーー、<♯ソー│
<【【ラーーー・>レー、<ミ<ファ│<ソーーー・>♯ドーーー】】│
<ファーーー・>ミ>レ>ド>シ│<レーーー・>ドーーー♪
いっぽう、偽善事業が大好きで背後世界を信奉する
妄想力豊かな大衆にはバカウケするどこかの倒錯歌謡曲に、
**♪【【ラーーー・>レ<ミ<ファ<ラ│●<ソソ<ラ・>ドーーー】】♪
みたいのがあるようである。まことにパテティク(痛い)でお気の毒である。
それはともかくも、対主題のあとは、実質嬰ハ短に転じ、pに静められる。
主主題のモチーフを変じた
**♪ミ>レ>ド<レ・<ミ>レ>ド<ミ│<ファーファー・ーーファー│
>レ>ド>シ<ド・<レ>ド<シ<レ│<ミーミー・ーー>ミー♪
という、フルート2管+オクターヴ下のクラリネット2管による
3度下裏打ちパッセージ、および、
オーボエ2管+オクターヴ下のファゴット2管による
3度下裏打ちカノンである(この4小節を反復させた8小節が1ユニット)。
次いで、嬰ハ短主和音(第2転回形)の8分音符がffのほぼ全奏で打たれると、
**♪ラ>♯ソ・<ラ<シ<ド<レ│
<ファ>ミ>レ>ドー・<ファ>ミ>レ>ドー│
>ラ>♯ソ<ラ<シ・<ド>シ<ド<レ│
<ファ>ミ>レ>ドー・<ファ>ミ>レ>ドー♪
という嬰ハ短のパッセージが、
強烈な嬰ハ短主和音(第2転回形)のアオフタクトの8分打を伴って奏される。
パッセージはそっくり反復されるように見えるが、
アオフタクトの8分打がイ長の属7に「変身」して、
**♪ファ>ミ>レ>ドー・<ファ>ミ>レ>ドー♪が、イ長の
**♪ド>シ>ラ>ソー・<ド>シ>ラ>ソー♪に「置き換えられてる」
という算段である。そのゼクヴェンツによって導かれ、主主題が再現される。
呈示時にはpで奏されてた主主題であったがその再現は、
楽器をほぼ総動員というffの大規模なものである。このような
外見的効果狙いな大衆的ドンチャン音楽を書いても、チャイコフスキーは
優れて秀でてるのである。トライアングル・シンバル・大太鼓という
打楽器も参加させられてるが、「1812年」の終い同様に、
その打楽器の掛け合い(拍への分散のさせかた)の妙は、
舌を巻く精緻さである。終い、
**♪ドー●●│>シー●●・>ラー●●│>ソー●●♪
のゼクヴェンツでは、高中木管+高中弦(3度下裏打ちあり)が
**♪『ド』>シ>ラー│<『シ』>ラ>ソー
・<『ラ』>ソ>ファー│<『ソ』>ファ>ミー♪
という装飾を施せて奏されるのである。曲は
イ長の主和音からイ音のユニゾンで閉められる。
チャイコフスキーのバレエ「白鳥の湖」の傑出したナンバーのなかでも、
とくに秀でた、何よりも優ジャルと思えるほどの音楽だとしみじみ感じる。
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