音羽ゆりかご会 川田正子 みかんの花咲く丘
竹野内豊の月9「流れ星」の最終回の視聴率が15パーセントを超えた、
と今日のyahooニュースに出てた。竹野内の相手役、
上戸彩女史は実際には箸をきちんと持てる。が、
わざと教養がないふうに箸を持てない演出をしてた。
さて、
午後九時、といえば、
年の瀬が迫ってくると、私はいまだに昔の
「ミカンとコタツ」というイメージを想起する。季節は異なるが、
♪ソ(み)ーソ(か)・>ミ(ん)ー<ファ(の)│<ソ(は)ー<ラ(な)・>ソ(が)ーー│
<ド(さ)>シ(あ)<レ(い)・>ド(て)ー>ラ(い)│>ソ(る)ーー・ーー●♪
という故川田正子嬢のレコードを懐かしく思い浮かべる。
十代の頃は、自室でこたつにはいってミカンを食べながら
トスカニーニ&NBC響の1952年録音の「第九」のレコードを聴いてた。
それにしても、日本のクラ音界の年末の象徴ともなってる
「第九」は、その第1楽章が「年の瀬」を想起させるのだ、
とつくづく感じる。
児童合唱団の音羽ゆりかご会は、信州松代生まれの
海沼實によって創立された。海沼の同郷の師、
草川信の「ゆりかごの唄」から命名されたらしい。
ガキの頃、松代藩士の孫だった祖母が
室内用の着物をきて背筋を伸ばして正坐して
ミカンの皮を剥いてた姿を今でもときどき思い出す。それはともかく、
海沼が音楽教室を始めるにあたっては、
護国寺が場所を無料で貸してくれたという。山門内に、
あのお受験殺人、幼女殺害事件で全国に名を知られた
音羽幼稚園があるが、今でも、川田正子音楽教室がそこにある。
護国寺は尾崎豊の葬儀が行われた寺でもある。今年、長男の
尾崎裕哉(湘南藤澤ではあるが慶應大学環境情報学部3年)が歌う
「I Love You」が一般にも公開された。
父親よりも声に艶がある。ところで、
尾崎豊はこのように男子を残したが、
徳川綱吉は叶わなかった。唯一生を受けた徳松は、現在ふうにいえば
満4歳で夭折してしまった。今でもまだ一般に行われてる
「七五三」は、この徳松が数え3歳のときに、
その健康・成長を祈願して始まった風習だという。
綱吉は世継ぎの誕生を切に願ったが、
その母桂昌院が発願して創建されたのが、
護国寺である。家光側室のお万の方の女中として仕えたのが、
桂昌院の大奥人生の始まりである。
お万の方、ということは、つまりは、
春日局の声掛かりということである。
護国寺は北緯35度43分に位置してる。
♪いつか来た丘、母さんと。
一緒に眺めた、あの島よ。
今日も一人で、見ていると。
優しい母さん、思われる♪
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