チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「イョラーンタ(#1イョのアリオーゾ)」

2005年07月14日 16時08分43秒 | イヨランタはまだスィスィ16だから
13の2倍、わずか26小節のアリオーゾであるが、じつに感慨深い曲である。
ラルゲット・ア・テンポ・モルト・ルバート(3♪=50)、12/8、2♭。
弦がト短の属和を弾くと、4拍めからイョが歌いだす。
♪*○♯ソ<ラ|<シ>ラ>♯ソ・<ド>シ>ラ・<シー>♯ソ・
○<【ミミ|(ポーコ・リテヌート)ミ>レ>ド・ド>シ>ラ・<シーー・ー】♪
【】部分を1フル&コルアンが復唱。
「*アッチヴォー・エータ・プリェージヂェ・ニ・ズナーラ・
ニ・タスキー・ヤー、ニ・ゴーリャ、ニ・スリョース、……
(拙大意)なぜ以前の私は悲しみも憂いも涙も知らなかったの?」
裕福で容姿端麗ながら、盲目というハンデを背負った、だがしかし、世の中に
視界というものがあるとは知らされてない少女の、無垢で可憐な内面の吐露である。
これを、でっぷりとした体躯の・野太い声の・醜いお面相の・オバチャン歌手が歌ったら、
ひとたまりもないのである(私はデブ醜専にもなれる質なので、それはそれで一興なのだが)。
♪○♯ソ<ラ|<シ>ラ>♯ソ・<ド>シ>ラ・<シー>♯ソ・(アニマート)
○<【【ミミ|ミ>レ>ド・<レ<ミ<ファ・<ソーー・ーーー|ー】】♪
今度は【【】】部分を1フル、1オボ&コルアンが復唱。歌詞は省略。
→ピウ・モッソ(3♪=69)。
♪○ミミ|ミ>レ>ド・ド>シ<ド・>シー>ラ・○<ファファ|
ファ>ミ>レ・レ>♯ド<レ・>Nドー>シ・○<ソソ|
(リテヌート)ソ>ファ>ミ・ミ<ファ<ソ・<ラー>ラ♪
→テンポ・プリーモ。
♪○ラ<シ・<♯ド<レ<ミ・<ファ>♯ド<ミ・>レーー♪
最初の節が戻ってくる。
♪○♯ソ<ラ|(ストリンジェンド)<シ>ラ>♯ソ・<ド>シ>ラ・<レー>シ・
○<♯レ♯レ|<ミーミミ・<♯ファ♯ファン♯ファ・<♯ソーー・ーーー|ーーー・ー♪
(リテヌート・モルト)両vnがオクターヴ・ユニで、
♪♯ソ>♯ファ>ミ・<♯ソ>♯ファ>ミ・<♯ソ>♯ファ>ミ♪
つまり、実質ト長の♪シ>ラ>ソ・<シ>ラ>ソ・<シ>ラ>ソ♪である。
♪○ラ>ソ|(テンポ・プリーモ)<ド>シ>ラ・>ソ<ラ>ミ・<ソー>レ・
○<ソソ|>ド>シ>ラ・>ソ<ラ>ミ・<ソーー・ー
ソソ|<ドドド・>シ>ラ>ソ・<シー>ラ・
○ララ|(ポーコ・ストリンジェンド)<レーー・ー>ド>シ・>ラ>ソ>ファ・>ミ
>レ<ファ|<♭ラー>ド・○ドド・<♭ミー>♭ラ・♭ラーー|
(アラルガンド)○♭ラ♭ラ・>ソ○○♪(すでにト短)
2本のオボが3度でこのアリオーゾの節をハモる。
♪○ミミ・<ラーー|(パルランド:会話のように)○○「シ・シー>ミ・ミ」♪
「」部分は「スカジー、マールタ(教えて、マールタ)」があてられてる。
このアリオーゾに入るまえも、「スカジー・ムニェ、マールタ(♪シシー>ミミミ♪)」
であった。今度は、「ムニェ(私に)」がないだけでおんなじである。
それにしても、このアリオーゾは胸を打つ歌である。繊細なテンポの揺れ、抑揚。
ボンクラには歌いこなせない曲である。
省略した歌詞全体の(拙大意):
 以前の私は脳天気に日々を過ごしてきたし、それを何とも思わなかった。
 でも、今は違う。何もかもが私を不安にかりたてる。なぜ? 教えて、マールタ。
……いま流行りの「誰でもがかかりうる」心の風邪「軽度鬱病」、と思っては
だめである。つまり、「原因」が「軽度なもの」ではないからである。ときに、
精神の病、といえば、1789年7月14日当時、パリの
バスティーユ(近くにバスの停留所と銭湯があったので、バス停湯、ではない)監獄に
収監されてた「7人」の囚人のうち、2人が精神病者だったそうである。が、
かの「サド侯爵」は、前日に騒いだため、なぜかサドン(突如)別の牢獄に移送されてて、
その7人には含まれてない、のである。襲撃時にサド侯爵が監獄の中にいるドラマを
みることがあったら、それは「ムチ」な者が作ったものと思っていい。
さて、7月14日は「パリ祭」である。バスティーユ監獄を襲った人々は、
変節名人の貴族ラ・ファイエットを首魁に祭りあげるのであるが、おもだったものは、
僧侶や王侯貴族から「分離された者」である一般民衆であった。これを、
宗教学的には「パリ祭人」と呼ぶそうである。対して、
不道徳な変態SM書物を書いたかどで投獄された人を
「マルキ・ド・サドカイ人」と言うのだそうである。とまぁ、いずれにしても、
この「バスティーユ襲撃」で口火を切った「フランス革命」は、10年後の
ナポレオンによる「ブリュメール18日クーデタ」で、
いちおうの終止符を打つことになるのである。ちなみに、ナポレオンは、
コルシカ島出身の被差別民である。貧乏貴族ボナパルト家は、その名からもわかるように、
つまりは「イタリア系」である。島の西側の町アジャクショ(伊語ふうにはアジャッチョ)
で生まれたナポレオンは、ガキのときにこう誓ったとかちかわなかったとか。
「神様、アジャクシオ、皇帝に就けてください。ローマ帝国を引き継ぎ、
八紘一宇、全ヨーロッパをグレート統合してみせます」
コルシカ島の北側には、「バスティア」という港町がある。が、バス停はない。くしくも、
Bastilleに始まりBastiaに収束されたフランス革命であった。
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