(景)
アッレーグロ・モデラート(2♪=116)、C、3♭。
vnセコとヴィオーラが、神保町すずらん通りの天下一ソロバンのような
トニー谷式8分刻みを敷くと、
vnプリ:♪ラ|>♯ソ<ド>ラーーーー、ラ|>♯ソ<ド>シ>ラーー♪
コルアン: ♯レー <ミ ♯レー <ミ
という「まんじりともしない」ルネ王の心情をくんだようなフレーズが弾かれる。
→モデラート・アッサイ(2♪=84)。
→アンダーンテ(2♪=69)。
→無調号。
→アダージョ(2♪=56)。
→ポーコ・メーノ(♪=108)。
とテンポをめまぐるしく変えて、王と医師の「ダイアログ」がレチタで展開される。
そのあたりの拙大意……
王:「そちはポーカーフェイスであるのう。その表情からは、
所見を読みとることはできぬ」
医:「ご安心めされよ。アラーは絶大でございます。が、
姫さまへのインフォームド・コンセントが肝要かと」
王:「ムコ取り前の姫にそのようなムゴいことを伝えよと申すか?」
医:「子の『愛育』はいかに『ショウトウ』な愛情を注いだとしても、
すべては神の『御心』にございます。
科学が万能ですべての要求に叶ナウーカとおっしゃられれば、
万能ネギがアサツキの代わりにならないのと同じ、と答え申しあげましょう」
王:「無礼であろう。そちはイスラム医学を究めた医師鍋シェフのくせに、
科学は万能でなく、神が全農の救済だと申すか!?
幼稚園御三家といわれる『愛育』『松涛』『みこころ』に
イョラーンタを入れず、このような庭園宮に囲った余が悪いのかもしらんが、
余にはすでに妃がおらぬ。クイーンが空位なのだ。そこを酌量いたせ。
西麻布のみこころ幼稚園のそばには、以前、黒柳徹子女史の母君、
チョッちゃんこと朝(ちょう)殿が暮らされてた邸宅があった。
が、いまは石鍋シェフの『クイーン・アリス迎賓館』になっておる。
横浜みなとみらいのパンパシフィック・ホテルにも支店があるフレンチじゃ。
佐伯祐三の盆栽の絵はかかっておらんが、これ、本当の話である。
非のないところに噂は立たぬが、
夕立が降ったればこそ霊験妄言あらたかな虹は出るのじゃ」
医:「上奏をおききいれくださらなくとも、
拙者には王さまに申しあげねばならぬ義務がございます」
……と、イブン=ハキアの「モノローグ」が始まるのである。
(モノローグ)
→アダージョ・コン・モート(2♪=76)、3/2、2♯。
♪ミーーー>レーレー・<ミーミー○<ソ<ラ>ソ・>ミーーー>レーーー♪
音価を単一にすると、♪【ミ>レ<ミ<ソ>ミ>レ】♪
♪カモン、嘉門達夫、ドゥ~~~・ダ・【ロゥ>コゥ<モウ<ション>ウィヅ>ミ】>ー♪
である。「ロコモウション」の歌詞の内容は、
いみじくもこの「イョラーンタ」の場面の状況に合致する。まぁ、それはどうでも、
イブン=ハキアのモノローグは、低弦の附点律動の反復に支えられながら、
この動機だけで展開され、クライマックスを形成し、また沈んで終わる。
医師の強さを表すかのように、かたくなに同じ動機だけで通すのである。
その間の拙大意は……
命あるものにはすべて、「肉体」と「精神」という「ふたつの世界」が存在する。
このふたつは切り離すことができない関係である。したがって、
視覚を得ることも肉体だけの問題ではなく、精神力が必要不可欠なのである。
昔のスポ根の「精神主義」も無意味ではなかった。
末期癌だって信仰心で治ることはなくても、「笑う」ことで
進行を遅らせる場合もあるのだ。「直したい」「生きたい」という本人の
「意志」こそが「医師」のテクニックよりも大切なのである。
……であるが、この「独り言」を「聞く」ことによって、
王は「告知」に対する自分の考えにわずかながら疑念を覚えるのである。
→アダージョ(2♪=56)、C、無調号。
王:「主よ、余は間違っておったのであろうか?」
ここで、「3番交」主章ワキ主題=「1番pf協」イデ・フィクス、
♪ミ>ド>シ>ラ♪が顔を覗かせる。
医:「王さまのご決断次第でございます。姫がすべてを承知され、
治癒を望まれてはじめて、神はお導きになります。
天は自らをタスクものにtaskを課す、と故吉岡たすく先生も
テレビ寺子屋でおっしゃってました。夕方まで待ち申しあげます」
医ブン=ハキアはそう言って場を立ち去る。
王:「いや、余の考えが間違ってたはずがない。
姫に視覚・光の秘密を薔薇した者は、問答無用に即刻死刑じゃ!」
→ピウ・モッソ(2♪=60)。
最後に、(実質「嬰ハ短」で)ルネ王のテーマ、
♪ラーー<シ|<ド<ミ<ラ<シ・<ドーーー|ーーー>シ・
ラ>ミ>ド>ラ|<ファーー>ミ・ミー>ラー|*♪
が、拍を換えて再現される。さて、*である。
主音ラは「嬰ハ短」である。*の箇所で、
「嬰ハ短」の「ナーポリ6」、「レ(>)ラ(>)嬰ヘ」が鳴るのであるが、
根音に「嬰ハ」を残すのである。そこに強烈な不協「うなり」が生じる。
ルネ王の逡巡の「うなり」である。
クラリネットのシャリュモー音がうなりにダメオシする。
アッレーグロ・モデラート(2♪=116)、C、3♭。
vnセコとヴィオーラが、神保町すずらん通りの天下一ソロバンのような
トニー谷式8分刻みを敷くと、
vnプリ:♪ラ|>♯ソ<ド>ラーーーー、ラ|>♯ソ<ド>シ>ラーー♪
コルアン: ♯レー <ミ ♯レー <ミ
という「まんじりともしない」ルネ王の心情をくんだようなフレーズが弾かれる。
→モデラート・アッサイ(2♪=84)。
→アンダーンテ(2♪=69)。
→無調号。
→アダージョ(2♪=56)。
→ポーコ・メーノ(♪=108)。
とテンポをめまぐるしく変えて、王と医師の「ダイアログ」がレチタで展開される。
そのあたりの拙大意……
王:「そちはポーカーフェイスであるのう。その表情からは、
所見を読みとることはできぬ」
医:「ご安心めされよ。アラーは絶大でございます。が、
姫さまへのインフォームド・コンセントが肝要かと」
王:「ムコ取り前の姫にそのようなムゴいことを伝えよと申すか?」
医:「子の『愛育』はいかに『ショウトウ』な愛情を注いだとしても、
すべては神の『御心』にございます。
科学が万能ですべての要求に叶ナウーカとおっしゃられれば、
万能ネギがアサツキの代わりにならないのと同じ、と答え申しあげましょう」
王:「無礼であろう。そちはイスラム医学を究めた医師鍋シェフのくせに、
科学は万能でなく、神が全農の救済だと申すか!?
幼稚園御三家といわれる『愛育』『松涛』『みこころ』に
イョラーンタを入れず、このような庭園宮に囲った余が悪いのかもしらんが、
余にはすでに妃がおらぬ。クイーンが空位なのだ。そこを酌量いたせ。
西麻布のみこころ幼稚園のそばには、以前、黒柳徹子女史の母君、
チョッちゃんこと朝(ちょう)殿が暮らされてた邸宅があった。
が、いまは石鍋シェフの『クイーン・アリス迎賓館』になっておる。
横浜みなとみらいのパンパシフィック・ホテルにも支店があるフレンチじゃ。
佐伯祐三の盆栽の絵はかかっておらんが、これ、本当の話である。
非のないところに噂は立たぬが、
夕立が降ったればこそ霊験妄言あらたかな虹は出るのじゃ」
医:「上奏をおききいれくださらなくとも、
拙者には王さまに申しあげねばならぬ義務がございます」
……と、イブン=ハキアの「モノローグ」が始まるのである。
(モノローグ)
→アダージョ・コン・モート(2♪=76)、3/2、2♯。
♪ミーーー>レーレー・<ミーミー○<ソ<ラ>ソ・>ミーーー>レーーー♪
音価を単一にすると、♪【ミ>レ<ミ<ソ>ミ>レ】♪
♪カモン、嘉門達夫、ドゥ~~~・ダ・【ロゥ>コゥ<モウ<ション>ウィヅ>ミ】>ー♪
である。「ロコモウション」の歌詞の内容は、
いみじくもこの「イョラーンタ」の場面の状況に合致する。まぁ、それはどうでも、
イブン=ハキアのモノローグは、低弦の附点律動の反復に支えられながら、
この動機だけで展開され、クライマックスを形成し、また沈んで終わる。
医師の強さを表すかのように、かたくなに同じ動機だけで通すのである。
その間の拙大意は……
命あるものにはすべて、「肉体」と「精神」という「ふたつの世界」が存在する。
このふたつは切り離すことができない関係である。したがって、
視覚を得ることも肉体だけの問題ではなく、精神力が必要不可欠なのである。
昔のスポ根の「精神主義」も無意味ではなかった。
末期癌だって信仰心で治ることはなくても、「笑う」ことで
進行を遅らせる場合もあるのだ。「直したい」「生きたい」という本人の
「意志」こそが「医師」のテクニックよりも大切なのである。
……であるが、この「独り言」を「聞く」ことによって、
王は「告知」に対する自分の考えにわずかながら疑念を覚えるのである。
→アダージョ(2♪=56)、C、無調号。
王:「主よ、余は間違っておったのであろうか?」
ここで、「3番交」主章ワキ主題=「1番pf協」イデ・フィクス、
♪ミ>ド>シ>ラ♪が顔を覗かせる。
医:「王さまのご決断次第でございます。姫がすべてを承知され、
治癒を望まれてはじめて、神はお導きになります。
天は自らをタスクものにtaskを課す、と故吉岡たすく先生も
テレビ寺子屋でおっしゃってました。夕方まで待ち申しあげます」
医ブン=ハキアはそう言って場を立ち去る。
王:「いや、余の考えが間違ってたはずがない。
姫に視覚・光の秘密を薔薇した者は、問答無用に即刻死刑じゃ!」
→ピウ・モッソ(2♪=60)。
最後に、(実質「嬰ハ短」で)ルネ王のテーマ、
♪ラーー<シ|<ド<ミ<ラ<シ・<ドーーー|ーーー>シ・
ラ>ミ>ド>ラ|<ファーー>ミ・ミー>ラー|*♪
が、拍を換えて再現される。さて、*である。
主音ラは「嬰ハ短」である。*の箇所で、
「嬰ハ短」の「ナーポリ6」、「レ(>)ラ(>)嬰ヘ」が鳴るのであるが、
根音に「嬰ハ」を残すのである。そこに強烈な不協「うなり」が生じる。
ルネ王の逡巡の「うなり」である。
クラリネットのシャリュモー音がうなりにダメオシする。
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