今日はこれから出かけるので帰りは多分10時過ぎ。2次会があればもっと遅くなるかもしれない。
それはとにかくとして、今週はまとめにくい話をどうまとめるか、準備だけで終わってしまった。下手にやたらなことは書けない話しだ。事実でも簡単には信じにくい話しというのもあるのだ。私が読む側だったとしてもこれは安易に信じないと思う。
思えば知人が、あなたを利用しようとする人が出てくるといけないからといっていたけど、実はこの20数年というのは散々利用されてきた年月なのだけどなあ。それでとんでもないことになったんだけど、あまりに変てこで当事者の自分だって何がなんだかよく分からない始末だ。困る。
オリエンス宗教研究所というところから出ている『福音宣教』という雑誌がある。その6月号に社会学者の鈴木隆先生が、召しだしに応える人の輪 共同体で祈り支える という長い記事を書いておいでになる。その中の、古い歴史の中の宗教家と言うところを参考に読んでみていただきたい。長い文章だからここには全部は載せないが、四百万年の人類の歴史の中での大昔の預言者のような、原宗教家とでも言うべき人々の果たしてきた役割のことが書かれている。
これは近代合理主義の今の時代では一種お金儲けの道具扱いで、うまくマスコミや時流に乗って成功しようという半ば似非予言者が次々に現れている時代にはやたらな話しは信じにくいのが当然だろう。それがわかっているからやたらなことは言えない。
どういう風に話をまとめていけばよいのか、これは簡単ではない。
それはとにかくとして、今週はまとめにくい話をどうまとめるか、準備だけで終わってしまった。下手にやたらなことは書けない話しだ。事実でも簡単には信じにくい話しというのもあるのだ。私が読む側だったとしてもこれは安易に信じないと思う。
思えば知人が、あなたを利用しようとする人が出てくるといけないからといっていたけど、実はこの20数年というのは散々利用されてきた年月なのだけどなあ。それでとんでもないことになったんだけど、あまりに変てこで当事者の自分だって何がなんだかよく分からない始末だ。困る。
オリエンス宗教研究所というところから出ている『福音宣教』という雑誌がある。その6月号に社会学者の鈴木隆先生が、召しだしに応える人の輪 共同体で祈り支える という長い記事を書いておいでになる。その中の、古い歴史の中の宗教家と言うところを参考に読んでみていただきたい。長い文章だからここには全部は載せないが、四百万年の人類の歴史の中での大昔の預言者のような、原宗教家とでも言うべき人々の果たしてきた役割のことが書かれている。
これは近代合理主義の今の時代では一種お金儲けの道具扱いで、うまくマスコミや時流に乗って成功しようという半ば似非予言者が次々に現れている時代にはやたらな話しは信じにくいのが当然だろう。それがわかっているからやたらなことは言えない。
どういう風に話をまとめていけばよいのか、これは簡単ではない。