1月18日のメモ

2014-01-18 22:22:55 | インポート
思うに、記憶とか記録というのは別にすぐに表に出さなくてもよい<WBR>のだと思う。何年か、何十年かたたないと表に出しても消されてし<WBR>まうことだってある。強い立場の人たちに握りつぶされる事だって<WBR>いくらでもある。でもそれが真実なら、長い時を経てなお消し去る<WBR>ことはできない。

今、杉並区の福祉事務所はこの数十年のいきさつを知っている人が<WBR>ほとんどいないけれど、某大修道会でさえも父ブッシュからの国際<WBR>電話の記録は消せなかった。こちらもその時点では沈黙して時を待<WBR>っていたから。

日本のカトリック教会のこれまでの長年のニュース記事を思い出し<WBR>ても、たぶんほとんど真実は上に伝わっていなかったのだろう。こ<WBR>の先も危ないものだとは思うけれど仕方がない。第三者が知りえる<WBR>ことなんてたかが知れている。本当に大切な事柄以外はどう思われ<WBR>てもいいと思っていないとやっていけないだろう。仕方がない。

まあ、神様の栄光を表すという目的にあまり関係ないものは捨てるしかないだろう。こぼ<WBR>れる真実も何が何でも必要なものとはいえないのだし、成り行きに<WBR>任せてもいいということかもしれない。

人からどう思われようと、内なる導きの光を信じていくしかない。<WBR>今は亡きカール・ライフ神父様がおっしゃっていた「本当の指導者<WBR>は聖霊です」と。もっとも、こちらの現実をライフ神父様はまた困<WBR>った人だとあきれているかもしれない。怒りに任せて子供っぽく逆<WBR>切れするのもこちらの現実だから。

何歳になってもまだまだ、道は遠いのさ、まだまだ途中なのさ。
 
 

番外 削除しようかと思ったがこのままにしておく

2014-01-18 03:10:00 | インポート

自分のきょうだいが行方不明になり警察沙汰になり、大騒ぎになったあげくお葬式に納骨と、とんでもない日々に、気持ちも動転しているのに福祉事務所の担当はというと、お悔やみの言葉ひとつなく、ただ本当にお葬式があった証明を出せ、さもなければ交通費は出せないとそればかり。証明ったって、何にもないのに出来るわけがないのに私だってムカつくのは当たり前ではないか。金額はたった2、3千円だけど、冬はガス代がかかるからその2、3千円も大きいのだ。しかし、これってお金の問題ではないだろう。夜中に思い出すと腹が立って目がさめてしまった。そのデリカシーの無さにむかつく。

読み返してくだらないことを、と思ったが、これもひとつのあの子のことでの思い出、記録と思い直し、このままにしておくことにした。

妹の葬儀は家族3人と葬儀屋さんだけの小さな葬儀だったから、証明するものも何もありはしない。あちこちに電話や出かけて証明をもらいに行くとすれば、その電話代や交通費のほうが高くつくのに福祉事務所って何を考えているんだか。

一応、お墓に納骨する前に斎場で撮ったこの写真だけは残っているからここに出しておく。どうせあちらは見もしないだろうが。