朝から忙しかったけれど、面白かった

2015-01-19 19:35:08 | Weblog


これは以前何気なくケータイのメモに書き込んでおいたもの。これを書いた時点では自分でもただの思いつきのメモだった。ところが時がたってみて、今やっとこの言葉の意味がわかってきて自分でも驚いてしまった。

今日は3ヶ月に1度の眼科の定期検診。緑内障だからきちんと定期的に調べながら薬をつかっているのだ。午前中に検査も終わったから、四ツ谷の昼ミサに行くことにした。よくよく考えると今日は月曜日だ。ついでだから久しぶりに講座にも出ることにした。ついでのついでに四ツ谷のドコモショップにも寄って、どうしようかと迷いながら新型のタブレットを見て、これだと料金はいくらぐらいになるのか計算してもらった。しかし、どう計算してもこれは今後の生活に響く金額なのがわかってちょっとがっかり。

ところがだ、講座での司祭の話を聞いて、全然関係のないテーマなのにハッとした。秘蹟のことだが、結婚と叙階は使命と交わりの秘蹟といわれるのだそうで、結婚は・・・聖性に到達するための恵み、などなどと書き込んだ後で、自分の感じたことで、これはすべての人間関係の問題に通じる問題だと思うと書きこんであった。

どこの家庭、どこの夫婦にも共通する、我が家の両親もそうだったが、忍耐、我慢、夢も希望もない毎日などなど。司祭はそれを罪びとと罪びとが共に暮らすところには忍耐と我慢があるのは当然で、そこから愛するということを学んでいく場でもあるのだとおっしゃるのだ。それを聞いてはたと、これが結婚だけの問題ではなくて社会生活、人間の集まるところすべてのもんだいなのがわかったからだ。

ということは、忌々しいと腹を立てる相手にも、向こうには向こうの言い分があるのを忘れてはいけないわけだ。と非常に反省させられてしまった。なんだか、それこそ目からうろこで、大発見の気分だ。そうなるとタブレットどころではない、もっと大事なことを思い出せ、大事なことを考えろといわれたような気がしていたところに、たまたまケータイを開いたらこの言葉が出てきて二重にびっくり。たまたまの偶然とはいえ、本当に驚いた。