親子・家族・家庭

2015-07-07 15:48:40 | Weblog
先日のニュースで10人家族の住む家が焼けてそのうちの子供3人が火事に巻き込まれて亡くなってしまった事件を聞いた。家に火をつけたのは分別盛りの一家の長の父親だったというのにはびっくりだ。

むかついて卓袱台返しをしたくなるくらいなら誰にだってあるが、まあ、たいていはぐっとがまんする。この家の場合、何が原因だったのか知らないが子供3人を巻き込んで死なせてしまうとは、実に尋常ではない話ではないか。

火が出て家族が外に逃げ出してから、その父親も3人がいないのに気がついて慌てたらしいのがよくわからない。海上自衛官だったら海上で船に火が出たときの怖さなどは知っていたろうに、自分の家だからどうなろうとかまわないとおもってしまったのか?

このあいだの新幹線の事件にしても、1000人近い人が乗っている超特急の車内でなんで、といいたくなる。犯行に及んだ人間はそのときは頭がおかしくなっていて何も考えていないのだろうけれど、巻き込まれて命を失ったり、怪我をしたりするひとたちはたまったものではない。

今の時代、あらゆることに余裕が失われて心もギスギスしているからだろうが、なんとかしなくてはいけないのではないのだろうか。そういっているこちらも実はストレスで欝まではいかないものの長年舌痛症を抱えている。こればかりは無理をせず自分を少しは大事にしてやることくらいしか手がないようだ。

子供を死なせてしまったそのやりすぎの父親にしてもそこまで追い詰められてしまったということなのだろう。その前になんとかならなかったのか?

exciteにはここまででおわりにしておいたが、ここではもうちょっと続けたい。

先日の片柳師の講演で一番心に残ったのは親子とか家族、間違いなく自分が自分でいるまま受け入れられる関係の問題だった。それだけに生き残った家族たちの今後のために祈らずにいられない。


追) 亡くなった子供さんたちの人数も昨日の段階では3人と記憶していたのが1人増えて4人だそうだ。ますます悲しくなる。