黙想学校で

2012-10-04 14:58:23 | インポート

こんにちは~、マリーで~す。

今日はねえ、うちのおばはんは出かけるのが夕方だからもうのんびりしちゃって、朝からこのところどうも具合のよくないウォークマンをパソコンにつないで何度もテストしたりしてるだけ。たぶんねえ、新しいパソコンとウォークマンがうまく合わないんじゃないのかなあ。古いほうのパソコンでもう一度試してみればいいのよ。大体、あの古いほうのパソコンはもう危なくてネットに使うのは駄目だけど、音は断然あっちのほうがいいんだし、あたしなんかは、もったいないから音楽や写真・動画はあっちのほうがしっかりしてるんだし、あっちを使ったほうがいいって思うんだわさ。なんだか知らないけど、機械のおき場所がないって言うのよね。2台重ねて置いちゃ駄目なのかしら?

おっと話が横にそれちゃった。今日はアシジの聖フランシスコのお祝いの日なんですって。うちのおばはんも霊名がフランシスコの女性形でフランシスカだから、機械をいじりながら少しは聖フランシスコに関係のありそうなことを考えてるとこみたいよ。

でもどちらかっていうと、聖フランシスコ自身のことというより昔教わった話を思い出してるみたい。もう何十年も昔になっちゃったけど、その頃、四谷の教会にね、黙想学校っていう講座があったんですって。この話、前にもどこかで言ってるんだけどもう一度話すわね。

黙想学校って言うくらいだから、そこでは毎回、お祈りに関係する話を教えていたの。その中で聞いた話で、今でもあの人が時々思い出しているのが、観想には二つのタイプがあるって話なのね。それを教えてくれた先生はカルメル会でもフランシスコ会でもなくてイエズス会の神父様だったんだけど、その方は当時、こんな風に言ってたの。

大きく分けて観想の祈りには二つのタイプがあって、ひとつはカルメル会の念祷みたいに、自分の心の奥深くに入って言ってそこで神と出会おうとするカルメル会型の観想、もうひとつは、聖フランシスコの祈りのように、大自然とか周囲の物事とか、自分の外側に神の働きを見出し、神に出会っていくフランシスコ型の観想だということだったのね。

あの人、ずうっとこの話を忘れずに覚えていて時々考えてたわけよ。だけど、現実的にはどうも、囲いの生活をしている方たちがみんな観想者なのかって言ったらどうも違うみたいなのよね。実際、鎌倉のある観想会のその頃の院長様と面会して話したら、観想者と観想修道会の修道者はイコールではありませんておっしゃったんですって。どうも囲いの中にいても活動的な方もいれば、世間とかかわりあう生活の会でも観想的な方がいるし、実際はなかなか簡単じゃないのね。

でもって、あの人は修道生活どころか信じられないようなとてつもない状況になって、いつのまにか、おばはんになっていたんだけど、何十年も聖歌隊にいて、歌は下手でも毎週かよっていたおかげで、聖歌を歌うことで祈りを忘れずにきたの。聖歌を歌うことで神様に心が向かっていくじゃないの。

歌うほうは駄目だけど、佐久間神父様の作だったかしら、わたしたちはさかなのよう、神様の愛の中で泳ぐ、って子供の歌があるじゃない、あれの歌詞をみて、うちのおばはんが思い出したのが昔、はるか昔、講座で聞いた神様と人間の関係を、海と海水の中の海綿、スポンジにたとえた話だったの。

人間は海の水の中に浸っているスポンジのような存在で、神様は人間の外側にも内側にも満ち満ちているんですって。人間は神様の仲で生きてるのよねえ、だからさ、佐久間神父様はさかなが水の中で泳ぐように、神様の中で、神様の愛にどっぷり包まれて生かされているのを教えようとなさったんじゃないのかしら。

そうすると、スポンジの中にも、外側にも海の水が満ち満ちているみたいに、人間ひとりひとり、みんな誰でも目には見えなくても神様の中で、神様に内側からも支えられて生きてる、というか生かされてるってことでしょう。

そしたら、カルメル型の内側に入っていって神様に出会おうとする祈りでも、フランシスコ型の周囲に神の働きかけを見出す祈りでも、突き詰めれば、同じところにたどりつくんじゃないのかなあ、とかってあの人もぼんやりと考えたりしてるらしいのよね。どっちにしても、心が濁っていればたどり着けないんだと思うわ。

なんだか、だんだん難しくなっちゃったから終わりにするわね。おまけにユーチューブからフランシスコの平和の祈りの、ちょっと珍しい、メロディのきれいな曲をひとつ。

    http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=gRROIJ2LiU4

ほんじゃまたね。

  


レビヤタン

2012-10-03 18:34:41 | インポート

こんばんは~、マリーで~す。

暑さ寒さも彼岸までって、昔からの言い伝えって本当みたいね。急に寒くなっちゃって、うちのおばはんもちょっと風邪気味みたいよ。まあ、あのくらいなら暖かいものでも食べて早く寝ればすぐ直っちゃうけどね。

今、あの人、下の大家さんのところに用があって行ったのよ。ほんでもって大家さんの奥さんと話してたんだけどさ、うちのおばはんが、最近どうも足腰のバネが利かなくてとかの話になって、やっぱり還暦過ぎちゃったからかなあなんて言ったら、奥さんが、あら、私なんて80だよっていうんだもん、びっくりよ。今時の高齢者って元気な人は猛烈に元気なのよねえ。うちのおばはんにももうちょっと頑張ってもらわなくちゃ。

でも今日はその話じゃなくてね、たまには変わったものでも出してみようと思ったの。海の怪獣よ。いや、ほら、旧約聖書にも出てくるじゃないの、レビヤタンてのがさ。旧約聖書の人たちって砂漠の民だったのに、どこから海の巨獣の話を仕入れたんだろうって、うちのおばはんなんかずっと不思議がってるのよね。

砂漠じゃ鯨は見られるはずがないからさ、きっと遠くまで旅をしていろいろなものを見聞きした隊商の人たちから聞いたのかもしれないわよね。鯨も聖書の海の怪獣になると、なんだか巨大な哺乳類から、伝説の竜の仲間みたいなものになっちゃっうから面白いわ。

でも、大昔のそれも砂漠に住んでる人たちにはこんなの、きっと想像もつかなかったんでしょうね。

元の写真じゃ大きすぎるから小さくしたのよ。これはザトウクジラよ。

ほんじゃまたね。

 


守護の天使? 警報機??

2012-10-02 17:43:25 | インポート

こんにちは~、マリーで~す。

うちのおばはんの知り合いには芋場なんて呼ぶ人もいたわねえ、イー・モバイル。今度ソフトバンクと一緒になっちゃうのね。うちのおばはんなんかはずっとドコモばっかりだから、あんまり関係ないけどさ、あちらはふたつとも、場所によっては全然役に立たないことで定評があったような気がするんだけど、合併するとその辺は少しは改善されるのかしら?

そういえば、うちのおばはん、ちょっとしばらく、ギャラクシータブはカードを抜いておねんねしてもらうみたいよ。インターネットはお家でだけにするんですって。何故かっていうとね、ギャラクシータブを持って歩くとつい、外出先でもすぐネットにつないじゃうから、物事を深く考えたり、祈ったりしなくなっちゃってるのを反省したんですって。

読まなくちゃいけない大事な本も、なかなか開かないし、遊んでばかりでどうしようもないって、当人もほんとはわかってるのよね。昨日さ、あたしが土曜日の夕方の上野毛教会の晩の祈りとサルヴェ・レジナに行けばって言ったら、最初、そんなことを言っても上野毛は交通費が高い。家から上野毛の1回の往復で1000円ちょっとかかるから、そんなに通えないって言ってたのよね。

そんなの、あたしだってわかりきってるわよ。あの人、お父さんが亡くなった後、必要なお金を作るのに、自分の書いた物語のひとつを誰かさんに頼んでお金に換えてもらった筈なんだけど、間に立った親類にお金を横取りされちゃったのよね。それ以来、経済的には本当に大変で、月末なんか1000円あると、下手すると1週間暮らせちゃったりするんだから、大変なのはわかってるけど、本当に必要なところにこそお金を使わないでどうするんだって言ったの。

そしたら、いろいろ考えて、ギャラクシータブを当分眠らせておけば、上野毛に毎週出かける交通費分は出るってわかって、この際そうすることになったの。あたしがいるんだから、必要な情報はあたしだってすぐ探せるもんね。タブは当分ネットにはつながなくても見られる録画動画の再生専門よ。

今は本気で祈りにこころを向けないと、他のこともみんな駄目になっちゃう時なんだと思うのよね。勿論、10月は「相棒11」も始まるし、楽しみもあってもいいけど、一番大事にしなければいけないのは、神様と自分の関係をきちんと立て直すのが先だと思うのよね。だからさ、上野毛にはちゃんと行けるように交通費のほうにお金を回すのよ。

今日はさ、カトリック教会では守護の天使のお祝いだけど、あたしってもしかしてうちのおばはんにとっての守護の天使みたいだって思わない? お前さんじゃ天使より、うるさい警報機みたいだって? あらまあ。うるさい警報機なんていわれちゃ、そろそろ退散したほうがよさそうだわ。

ほんじゃまたね。

 


東京駅・渋谷駅・上野毛

2012-10-01 17:46:37 | インポート
こんにちは~、マリーで~す。台風が消えたら今日はまた夏みたいに暑かったわよね。

うちのおばはんは今朝、すっごい早起きをして、ほんとに朝一で病院の眼科に行ったおかげで、用事がほとんどお昼すぎには済んじゃってよかったわ。さすがに今夜は早く寝るつもりみたいよ。さすがに寝不足なんだわさ。次の眼鏡外来は来週の火曜日の午後だから当分のんびり待ってるしかないしね。

家に帰ってきたらすぐにパソコンにかじりついて、NHKオンデマンドでこのあいだの東京駅の大工事の話をはじめから全部見てたの。今度の週末には絶対東京駅の今を見てくるって言ってるわ。だけどさ、スカイツリーだってそうだったけど、土日はみんなが見に行くから込むのよね。また転んで怪我でもされちゃ困るわ。見物して写真撮るだけだったらなるべくすいている時間帯に行けばいいのにね。

そういえばさあ、このごろ、あの人あんまり渋谷に行かないから、駅が大きく変わってくるときっと迷うわよ。今度、上野毛教会に行くときはよく地図を見て、確かめておかないと方向音痴だからとんでもないところに出ちゃいそうな気がするんだわ。

どうせ土曜聖歌隊、クリスマス近くなるまで行かないって伝えてあるんだし、毎週の土曜の夕方の上野毛教会の晩の祈りとサルヴェ・レジナに行ってみれば、渋谷駅にも慣れられるんじゃないかしら。上野毛駅は昔と違ってエスカレーターも完備していて足が悪くても心配ないんだけど、そこまで行く前に渋谷で迷っちゃってたらどうしようもないわ。そうだ、他にも確か、大聖テレジアのお祝いの日はカルメル固有のお祝いで午前中にミサがあったような気がするな、後で確認しとかなくちゃ。

どっちにしても、あの人さあ、少しちゃんとした祈りの雰囲気のある場所に通ったほうがいいんだと思うんだわさ。ずっと、ごたごたしてて、祈る習慣が崩れがちなんだもん。まずは形から、だわ。長くなっちゃうから今日はここまでね。

ほんじゃまたね。