パイナップル

2013-12-17 22:23:48 | インポート

今日は帰りに阿佐ヶ谷に寄って買い物をしてきた。ついでに駅前に出ていた露天の八百屋でパイナップルも2つ買ってきた。フィリピン産でDoleのスウィーティオの札がついている。でも本物かどうかは食べてみなければわからない。

パイナップルは死んだ父が若い頃戦争で南方に行っていたので、そこで覚えたというパイナップルの実のカットのやり方を私も教わったから、割合簡単に切り分けて食べられる果物なのだ。皮のむき方の手順を知らないとどう食べていいのか、わからなくなる方もいらっしゃるらしい。

父や父の戦友の方たちは本当に仲がよくて、毎年戦友会を開いて集まり、父の葬儀のときもはるばる参加してくださっていたのを今でも覚えている。保守王国千葉県人だし、どちらかといえば右よりではあるのだけど、実際に戦争に行った父たちは決して戦争を是とはしていなかったのもしっかり覚えている。中山の法華経寺の参道沿いにある、父の幼馴染の一人だった方のお墓を見ると、いつも仲良しの友達だったんだよと言っていた父。

日本の国がこの先どういう方向に行くのか、さすがに心配になってくる昨今、パイナップルの味を味わいなおそうと思う。

とはいえ、物事の良し悪しはそう簡単に決められないのもたしかだ。とにかく、しっかりと方向性を見定めながら行くしかない。

 


月曜日はだれ気味

2013-12-16 23:35:20 | インポート

こんばんは~、マリーで~す。

ほんとはさあ、あたしの出番じゃないはずだったのに、うちのおばはん、ブルーマンデーって言うのかしら、月曜日のせいか朝からだれちゃってて全然役立たずになっちゃってるのよねえ。しょうがないからまたあたしが出てきたんだけどさ、あたしだって月曜日ってなんか気が乗らないのよねえ。あ、来週の月曜日は別よ。天皇陛下のお誕生日じゃ、そんなこと言ってちゃ失礼よね。だけど、普通の月曜日ってどうしてこうやる気が出ないのかしらねえ。

金曜日の夜は一番調子がよくて土曜、日曜は元気いっぱいなのに、どうして月曜日の朝ってこんなにやる気が消えちゃってるんだか不思議でしょうがないわ。うちのおばはんなんか今は会社に勤めてないのに相変わらずいまだに月曜日はやる気がしないみたいよ。どうなっちゃってるのかしら。

そんでも何とか四ツ谷の昼ミサに出かけて、動き出してやっと少しはエンジンがかかってきたかと思ったんだけど、どうも今日はもうこの時間になったらもうだめって感じなのよ。やる気スイッチが早々と切れちゃっててお休みタイムみたいなのよ。まったくさあ、人に仕事を押し付けておいて調子がいいというかなんというか、あたしだってお休みにしたいのにさ。あたしに後は任せるって言われてもこっちだって困っちゃうんだけどなあ。

しょうがないからこのあいだうちのおばはんのお供で、教会の案内所やサンパウロやドンボスコって言う、キリスト教関係の本とか聖具、つまりご像とかおメダイやロザリオなんかを扱ってるお店を回ったはなしでもしようかしら。面白いなって思ったのは、ロザリオにも流行とか最新型みたいなのがあるのよね。ことしは木玉を糸で編んであるのが多い感じだったわ。

だけどあの人、去年、まだこんなにいろいろ出ていない頃に、木玉のブレスレット型ロザリオと、ネックレスになるロザリオを買って持ってるから今年は何も買わなかったのよね。ネックレスになるロザリオはそのままではさすがに気が向かないから、十字架は取り外してその代わりにカルメル山の聖母のおメダイに付け替えて、ほんとのネックレスにしてあるのよ。司祭に祝福していただいたものじゃないから自由に作り変えても別に構わないわけだもん。

あの人に言わせると、木玉は軽いし、糸で編んであるからうるさい音も出ないし、プラスチックほどあからさまに安っぽくもないからお値段の割りに、そんなに悪くないんですって。でもほんとに丈夫で長持ちするのはプラスチックの100円ロザリオと長崎編みって言うすごく手のかかる手編みのロザリオみたいなのよね。

ベールは必要だとか必要でないとかいろいろな意見があってどうも気に入らないって、うちのおばはんは全然被ろうとしないし、万一、今のフランシスコ教皇様がベールはあったほうがいいとおっしゃるなら仕方がないから被るけどそうでなければベールなんていらない派なのに、どうしてロザリオのほうは手放さないんだかほんとに不思議だわさ。

やっぱりさあ、あれはマリア様につながるものだからかしらねえ。ほんとにすっごく不思議よ。

でもこの辺になると長話になっちゃうから今日はここいらで止めとくわね。ほんじゃ、またね。


 


そろそろ

2013-12-15 22:49:50 | インポート

こんばんは~、マリーで~す。

今日は一日中やたらに寒かったわよねえ。どおりで、今うちのおばはんがお天気ニュースを見たら都心でも今日は今までで一番寒かったらしいわよ。あの人、ただでさえ寒いのには弱いからアメブロの亮子さんのとこのにゃんこのレオ君とおんなじになっちゃってたのよ。ストーブから全然離れられないの。

ほんでも夕方になったら、なんか体の暖まるものが食べたいって、台所でがたがたやってたけど出来上がってきたのは何のことはないまたあの人の好物のシチューだったわ。今月三回目じゃないかしら。この前、牛乳を普通より多めに入れたら味がやわらかくなってぐっとおいしくなったって今日もまた牛乳たっぷりなのよ。

年齢的に骨密度に気をつけといたほうがいい世代だから、カルシュームを摂るのに乳製品は欠かせないんだけど、あの人、牛乳に弱くて、牛乳だけ飲むとお腹ピーピーになるから、いつもヨーグルトにしてるんだけど、牛乳もお料理に混ぜると大丈夫なのよね。だから生だったらのめない牛乳でもシチューにはいっぱい入れてるってわけ。

そんでもって今この時間、何をやってるのかって言うと、テレビで吉永小百合さんの出てる映画を見てるわよ。そうそう、その前は、今年ももうそろそろかなって、ノーラッド・トラックス・サンタのサイトを見てたの。毎年、今頃になるとクリスマスにサンタさんの行方を追いかける準備をするんだわさ。お子様並みかもね。

でも世界中で同じものに心が向かうのってなんか夢があっていいと思わない? あの人、このサンタさんのサイトが大好きなのよ。
     http://www.noradsanta.org/

今年もまた、イエス様がお生まれになった日には世界中の人がそろってみんな平和に過ごせるようにってことなのかしら。そうなってほしいわよね。

今日の話はこんなとこかなあ、ってことでおしまいにするわよ。ほんじゃまたね。

 


しょうがないなあ、家のおばはんときたら

2013-12-14 23:33:13 | インポート

こんばんは~、マリーで~す。

今日は土曜日で、夕方のミサは主日のミサだから、うちのおばはんも足腰以外は今のところひどい咳も出なくなってるし、これなら大丈夫だろうって、このあいだからまた聖歌隊に歌いに行ってドラ声を張り上げてるのよ。ほかの人の邪魔にならないことを願うわ。ほんでもまあ、ちゃんと教会に行ってるって事はこの冬は寒いけど今のとこ、あの人、体調はまあまあいいみたいよ。軽い風邪くらいですんでるのよね。

で、二階の聖歌隊席から下の祭壇を見たら今日の三本目のロウソクの色はピンクだったの。神父様の説明ではピンクは喜びの色なんですってよ。クリスマスがすぐ近くまできたっていう喜びみたい。なんたって今日はもう教会の庭の馬小屋もかなり出来上がっていて、飼い葉おけの赤ちゃんがいないだけくらいになってたもの。だけど、家のおばはんの隣にいた人たちが、この馬小屋の赤ちゃんのイエス様って何度も盗まれちゃったのよって、物騒な話をしていたの。まったくこのごろの時代ときたら教会の馬小屋のイエスさまでも盗まれちゃう罰当たりないやな時代なのねえ。そんな話で喜びが半減した気分にはなったけど、それでもピンクのロウソクの意味は変わらないんだわさ。

あ、いや、それよりこれってもしかして、教会の庭でさえクリスマスの赤ちゃんのご像が盗まれちゃうくらい、この世は光と闇、善と悪がごく近いところで交差しあってる世界だってことも教えてるのかしらね。そんな複雑でわけのわからない世界にもあの赤ちゃんはそんなんでもいいからって来てくださったのよね。やっぱりこれは喜んでいいことみたいだわ。

とにかく今日はそんな土曜日だったのよ。あの人、まだこれからNHKテレビの妄想ニホン料理を見るつもりみたいだから、もう今日はこの辺で終わりにしとくわね。なんかそっちのほうに気持ちが行っててこれ以上話が進まないみたいだしさ。

そんなわけで今日はおしまい。ほんじゃまたね。

 

 


かぐや姫の物語見てきました

2013-12-13 23:12:55 | インポート

正直これは若い方々に理解されなかったとしても不思議はないだろうなあと思いました。

私は一神教のキリスト教カトリックの信者ですけれど、日本人ですから先祖代々の血縁地縁では古い神道的な感覚も仏教的な感覚もしっかりと受け継いでいるのを自覚しています。その感覚が教えてくれるところでは、はじめの『まわれまわれ・・・』と歌いだすわらべ歌は、自然と日本の四季の移り変わりや、仏教の輪廻転生を連想させられるわけです。

この映画が語っているのはかぐや姫の運命と言うだけでなく、私たちひとりひとりの誕生に始まる一生であり、生と死の移り変わりのように思います。だから見終わるとなんとも言いようのない悲しみがひたひたと心に押し寄せてくるのです。でも同時にそれが終わりではなく、より大きく言えば地球の歴史、宇宙の歴史の中でこれまでにも何度も繰り返されてきたことなのを思い出すのです。

それはあのわらべ歌や主題歌にも現れているように思います。

それで終わりとなると、ではキリスト教は何なんだということになりそうなので、多少つけくわえます。キリスト教はというか、キリストはこの生と死の移り変わりの繰り返しを断ち切るためにこられた方だと思います。

  

 四谷の雙葉の修道院の受付にはこんな手作りローソクが置かれていました。これは心に溢れてくる悲しみを消し去る灯火ではないでしょうか。

 


救世主の到来を知らせる者、それと無関係にジブリ

2013-12-12 15:16:20 | インポート

あっというまに12月も半ばに近づき、今度の日曜日には待降節の蠟燭は3本めも火が点る。今日は木曜日で聖書の集いのある日。今日の聖書の箇所にはまた洗礼者ヨハネが登場だ。新約はおろか旧約聖書には殆どあまり縁のない普通の日本人だったら、洗礼者ヨハネといってもどういう立場のどういう人なのかもわからないことが多いような気がする。

でもこの人物の役割は実はとても大きい。今日のテキストはそのへんだ。でも、今日はここではそれは書かない。もし興味のある方は実際に教会に行ってみていただきたい。せっかくのクリスマスの季節だし、ぜひ、ぜひ、どうぞ。

で、今日はこの先はこの間からの続きでかぐや姫の物語以来のジブリの話を続けさせていただきたい。これは黙っているとどうもこちらの気がすまないのですな。このあいだから別の場所には出していたのだが、こちらにはまだだ。そのまま転載する。あ、信仰の問題とアニメの話とどう関係するのかといわれれば、どちらにも共通するのは、ひとつのことを全力で追い求めていく情熱だと思う。ジブリの人達の情熱を見習って、こちらはキリスト教を追い求めて行ったら、相当なことが可能になるような気がするのだがどうだろうか。

 

※ 文体が変わるのはお許しあれ。

年内の相棒も終わったのでもうひとつの課題ジブリのこと、メモ

最近こちらはサボっていますが(動画のほうばかり開いていて)、まだまとまっていないブログ用の記事のメモを置いておけるのはここだけなので、ひさしぶりに。(実はこれ別の仲間内のSNSには出してあるのでこういう書き出しです。)

『 先日、スタジオジブリの人々を描いたドキュメンタリー、夢と狂気の王国を見ていらい、ジブリを作り上げた人たちのすごさに感動しています。宮崎駿氏などはすでにもう今後のジブリは衰退していくとみているようですが、それはそうかもしれません。

 自分でも、たいしたこともない創作を書いたりして、無から有を作り上げていくことの大変さはわかります。今のジブリがあるのは創造性と実行力を兼ね備えたスタッフが首をそろえているからで、この先はたしかに宮崎さんや高畑さん、鈴木さんのような巨人はそうそうでてくるはずもなく、後はないかもしれません。

しかし、ジブリというこの集合体のこれまでの活動の記録はもっと世に知られてもよいのではないかと思えます。夢と狂気の王国では出てこないものが、youtubeの鈴木さんのジブリ汗まみれを見るとわかってきます。こちらは声だけですけど、youtubeだけではもったいない気がしてなりません。こういう人たちがいたんだよ。こういう人たちがあのすばらしい作品を作り上げてきたんだよ、と声を大にして知らせたい気分です。

 風立ちぬと、8年もかけてやっとできあがったかぐや姫の物語、これはちょっとやそこらの作品ではないし、この2作はさらに多くの方に見ていただきたい、それだけの内容のある作品だと思うのです。 個人的にえらく感動してしまった結果がこの記事です。』

 

 以上、あと年内の大きいテーマは教会関係だけみたいです。

 

 

 


昨日の相棒のおまけ

2013-12-12 03:58:00 | インポート
相棒fanさんのところのコメントを見てもやはり昨日の相棒は出来がよくなかったようだ。1時間に無理矢理押し込めるには本当は深すぎる、大きすぎる内容だったのだと思う。輿水脚本がつまらない内容の筈はないと思うのだ。どう考えても時間枠が短すぎたとしかおもえないのだが。

これだから甘くは見ていられない(相棒12-9)

2013-12-11 22:39:53 | インポート

今日は水曜日。相棒のシリーズ12-9、年内最後だ。どんな話が出てくるかと固唾を呑んでテレビを見ていると、出だしは向島芸者殺人事件だった。殺された女性がカイトくんの小学校のときの同級生で将来の結婚を約束した幼い初恋の相手だったことから話が進んでいく。

彼女の過去を調べれば調べるほど話は思いもよらぬ方向にいくようだ。彼女の交際相手も問題だ。そして右京さんが何をつかんだのか、カイト君に向かって言う奇妙な言葉。『君は愛する人のために人を殺すことが出来ますか』。

殺されるまでの彼女の驚くような変貌をとげていたその実際の姿。そして彼女を本当に気に入ってくれていたご贔屓客や、悲しい愛を捧げた男。この話は一話分の時間で終わらせるにはもったいない話だったと思うが致し方ない。時間の制約で描かれなかった部分は各自の想像力に任せられているのだが、そこが実に重いのだ。人間性というものの深みを感じさせられるようなドラマであった。 

それはとにかく、年度内の相棒の放映は今日でおしまいで、次回は来年の1月1日、元日スペシャルで、夜9時から11時半まで。ゲストもなかなかで宇崎竜童さんや中村橋之助さん、他。

 


コショウ味の鳥焼き

2013-12-10 19:03:51 | インポート

こんばんは~、マリーで~す。

今日のタイトルなんか変だと思わない? 今、うちのおばはんがとんでもないことをやらかしたとこよ。今日は頭痛いから買い物も出かけないで、冷蔵庫にあるものを料理しようって、鳥の胸肉を塩コショウであっさり網焼きにしようとしたら、寝ぼけててコショウの蓋をとって肉に振り掛けちゃったのよ。コショウがドバッと肉にかかっちゃって、あの人大慌てよ。どんな味になるのかしら、興味しんしん。

これはもう跡片付けも大変よ、まったく間が抜けてるわよねえ。それでもお肉だから味付けの誤魔化しがきくからまだいいけど、この前なんか野菜スープで同じ失敗をしてコショウ味のスープになっちゃったのよ。さすがにせっかくのスープが半分以上無駄になっちゃったんだわさ。あの、コショウ入れの蓋ってもうちょっとなんとかできないのかしらね。うちのおばはんみたいなうっかり屋さんには危険よ。

お料理のほうは何とか食べられるものになりそうだって安心したみたいで、あの人、焼けるまでの時間つぶしにパソコンで明日の『相棒』の紹介を見て、明日の脚本も面白そうで楽しみだってのんきなことを言い出してるわ。また今度はパソコンに気をとられてお肉を焦がさないでよね。といってもコショウまみれで最初から黒くなっちゃってるか。

そんなこんなで鳥の胸肉が焼けたら、あの人、これなら今年はクリスマスも自分で鶏肉を焼いたほうがあっさりした味で油っ気もごく少なくてすむし、これでいこうかななんて言ってるわ。でもなんか面白いなあ、あの人、小さい頃、お家の庭にたくさん鶏やヒヨコがいて、昔のことだから、お客さんが来るとその鶏を料理して出してたのよね。それも今生きていた鶏が首をちょん切られて血が噴水みたいに噴出すのを見て大ショックで鶏肉が食べられなかったのに、おとなになったら、いつの間にか平気になってるんだものねえ。

せっかくのお肉になってくれた鶏さんや牛、豚、羊さん、お魚さんはおいしく食べてあげないとそのほうがよっぽど可哀相なのよね。だからうちのおっちょこちょいおばはんみたいにコショウをかけすぎたりしちゃだめだめだめ。ってこんなとこで今日のはなしはおしまいよ。ほんじゃ、またね。

 


メモ

2013-12-10 04:58:39 | インポート
昨日は朝から出歩いて流石に疲れてしまい、ブログを書かないまま寝てしまったので、とりあえず簡単に昨日の映画の感想だけ。ジブリ作品をいつも面白く見てきただけの観客の一人でしかないから、昨日の映画でほとんど初めてジブリの歴史、人間関係等を知ったわけだ。風立ちぬとかぐや姫の物語の創作の背景をちょっぴり覗いたおかげで新しい視点からこの二つの映画を見直すことになりそうだ。宮崎さん、高畑さん、鈴木さんはもちろん、ジブリの作品に関わっていらっしゃる皆さま方全員に拍手を送りたいと思う。