☆ 今 日 の 幸 せ ☆

♪~生きていることに感謝、あなたに出会えたことに感謝、そして・・・明日が見えないことに感謝~♪

親の因果が子に祟り・・・

2004-10-30 | ・・・シリーズ、
・・・産まれついての碌でなし。

というセリフがある。

因果応報というのは、過去や前世の行いの善悪に応じて現世の報いがある。ということであるが、「親の因果が子に祟る」ならば、そのまた親、そのまた親・・・の因果も祟ってるわけで、今、運が悪いのは、しかたないから、せめて、子孫に祟らないように、せいぜい、善行を為せ! となるのかな?

仏教「超」入門を読み終わってから、久しぶりに「仏教思想」のテキストをひっぱりだしてみた。
どの場所のどの時代の仏教に焦点を当てるかということで、根本的なところが変わってくる。

いろんな宗教があるけれども、まず、目に見えないものの絶対的な存在を、信じるか、信じないか、から出発したものにたいしては、ワタシは、どうも自然に得心できない。

現在、なんとなく葬式仏教をうけいれているワタシであるが、それがどんなものであるか、葬式、法事のときの、説話を聞く程度であった経験から、宗派の本質などなにもわかっていない。 一度、原始仏教のようなものを学習し、自分なりに納得したどちらかというと、哲学に近いものを、まとめておくのも、無駄ではないかもしれない。 

なぜ、blogの記事にあげるか。

なぜ、これほど、blogがひろがったか。


最近、折に触れ考えるのである。

なぜ、今、禅ブームが再来しているのか。

仏教の本質は、縁起と空(くう)であるという。
無理にblogにくっつけることもないのであろうが、ネットを通じて、縁を結ぶことで、自分の存在を確かめたいのかもしれない。それと同時に、Cogito(私は、思う), ergo(ゆえに) sum(私は存在する)も、満足させてくれそうである。

しばらくずらずら、ずらずら、ずらずら・・・とこのシリーズつづくかもしれません。

参考にしているのは、仏教超入門と仏教思想のテキスト。この2册を下敷きに、現段階でのpersempreの考えを、加えております。 コメントはつけようがないでしょうね。 どう考えようが、各自の自由なのですから。 でも、どうやら、読んでくれてる人がいるようです。 それが縁というものなんでしょう。  それがこの記事が、空(くう)でないことの証。

続きは、「輪廻」について、