精神はいったいどこにあるのか? どうして人間は、「死を恐れたり、生き甲斐とはなんだろう、」などと考えるのだろうか。 そんな疑問を昔よくもったものである。 今は、考えても解答のでないことは、なるべく避けるようになったけれども、ギリシア・ローマの時代から、人はこのような精神作用はどこで行われるのか考え続けてきたんですね。
テレビでは、繰り返し脳の話を話題にした番組が放送される。 男脳、女脳などという一見科学的なようでいて、よく聞くと、血液型占いとあまりかわらないような、話題も活字にされる。
解剖学的な研究が進んだのは、第一次大戦で、たくさんの脳損傷患者が出たからだそうだ。
ペンフィールド(カナダの脳外科学者)とその協力者の研究結果からできた本
人間の大脳皮質(1952)
判断する大脳皮質(1959)
言葉と脳の仕組み(1959)
脳の研究が進み、現代では、脳死=人間の死 という概念ができつつあるが、何故か日本人のメンタリティとそぐわないで、海外で移植手術を受ける人がおおい。 何故だろう。
昨日見た映画、「楢山節考」の余韻が今日はまだ残っている。 倍賞美津子が、家についている霊を慰めようと、村の男達と順番に寝て、神様に祈る、という場面がある。 古くからある岩手の温泉には、金精様の飾ってあるところが珍しくない。
理性や知性は脳の働きで、感情は胸の部分にある脊髄で、欲望は腹部の脊髄での働きによるとプラトンは考えたそうである。
日本人のメンタリティの中に、身体の各部分を単なる脳の家来のように考えることに躊躇いがあるのではないだろうか・・・
テレビでは、繰り返し脳の話を話題にした番組が放送される。 男脳、女脳などという一見科学的なようでいて、よく聞くと、血液型占いとあまりかわらないような、話題も活字にされる。
解剖学的な研究が進んだのは、第一次大戦で、たくさんの脳損傷患者が出たからだそうだ。
ペンフィールド(カナダの脳外科学者)とその協力者の研究結果からできた本
人間の大脳皮質(1952)
判断する大脳皮質(1959)
言葉と脳の仕組み(1959)
脳の研究が進み、現代では、脳死=人間の死 という概念ができつつあるが、何故か日本人のメンタリティとそぐわないで、海外で移植手術を受ける人がおおい。 何故だろう。
昨日見た映画、「楢山節考」の余韻が今日はまだ残っている。 倍賞美津子が、家についている霊を慰めようと、村の男達と順番に寝て、神様に祈る、という場面がある。 古くからある岩手の温泉には、金精様の飾ってあるところが珍しくない。
理性や知性は脳の働きで、感情は胸の部分にある脊髄で、欲望は腹部の脊髄での働きによるとプラトンは考えたそうである。
日本人のメンタリティの中に、身体の各部分を単なる脳の家来のように考えることに躊躇いがあるのではないだろうか・・・