日本経団連の夏季フォーラムで、御手洗冨士夫会長(キヤノン会長)は、学生を成績や論文で評価し、入社から給料に格差をつける仕組みの導入を提案した、そうです。「社会正義を平等から公平に変え、それに沿った学校教育、採用試験、給料体系にしないといけない」とわめいたそうです。
問題は、明治以来、現在に至るまで、社会正義が平等だったことはない!ということを確認すべきなのに、これを確認せずに、日本は、戦後、平等社会だった、という事実誤認を前提していることですね。
歴史教育の貧相さをにじませた提言と言えるでしょう。家永教授の主張を無視したツケが回っているのかも知れませんね。
特に、学校教育段階から、平等をなくそう、と主張しているのは、極めて問題ではないでしょうか?
彼の主張の正当化根拠は、単に《イノベーション》ということに過ぎません。ところで、これは、企業利益と言い換えられます。何となれば、特許権が企業収益の柱になるのは近未来的に必至の情勢にあるからです。又、特許法制の網の目に残らなくても、著作権とかも含めて、それぞれの個人なり法人なりの存在基盤の中にそれぞれの固有性の証みたいなものが重要になっていくのではないでしょうか?
キャノンという会社の中で、各人の《イノベーション》が生かされ、正当に評価される体制になっているのか、をまず問擬すべきでしょう。
それにしても、財界という腐れ外道集団の増長振りは、目を覆うばかりですね。
そもそも、平等とは異なる「公平」とは何でしょうねえ~??
平等は形式的平等で、公平は実質的平等とでも言いたいのでしょうか?
しかし、実質的平等とは、status quoを前提するものであり、そこに働いている歴史的な慣性力が正義に適うかどうかを問擬することを回避するものでもあります。それでは、真義に於いて、正義とは異なるものに成らざるを得ないでしょう。
夕べ強盗に入られ、現在は着の身着のままの被害者がいるとします。実質的平等とは、今の現状のみを視野に入れるものです。彼が何故貧しくなったかなどは無視するものです。これでは、正義からほど遠いでしょう。
経団連は、平等とは異なる「公平」の中身を開示すべきですね!
問題は、明治以来、現在に至るまで、社会正義が平等だったことはない!ということを確認すべきなのに、これを確認せずに、日本は、戦後、平等社会だった、という事実誤認を前提していることですね。
歴史教育の貧相さをにじませた提言と言えるでしょう。家永教授の主張を無視したツケが回っているのかも知れませんね。
特に、学校教育段階から、平等をなくそう、と主張しているのは、極めて問題ではないでしょうか?
彼の主張の正当化根拠は、単に《イノベーション》ということに過ぎません。ところで、これは、企業利益と言い換えられます。何となれば、特許権が企業収益の柱になるのは近未来的に必至の情勢にあるからです。又、特許法制の網の目に残らなくても、著作権とかも含めて、それぞれの個人なり法人なりの存在基盤の中にそれぞれの固有性の証みたいなものが重要になっていくのではないでしょうか?
キャノンという会社の中で、各人の《イノベーション》が生かされ、正当に評価される体制になっているのか、をまず問擬すべきでしょう。
それにしても、財界という腐れ外道集団の増長振りは、目を覆うばかりですね。
そもそも、平等とは異なる「公平」とは何でしょうねえ~??
平等は形式的平等で、公平は実質的平等とでも言いたいのでしょうか?
しかし、実質的平等とは、status quoを前提するものであり、そこに働いている歴史的な慣性力が正義に適うかどうかを問擬することを回避するものでもあります。それでは、真義に於いて、正義とは異なるものに成らざるを得ないでしょう。
夕べ強盗に入られ、現在は着の身着のままの被害者がいるとします。実質的平等とは、今の現状のみを視野に入れるものです。彼が何故貧しくなったかなどは無視するものです。これでは、正義からほど遠いでしょう。
経団連は、平等とは異なる「公平」の中身を開示すべきですね!