なんかカールしてる

良いことあったら、ちょっとおしえましょう。

甲府の暑い一日

2016-08-10 12:03:57 | 日記
五時半に目が覚めて、いつもの朝。今日も暑くなりそうだけれど、庭に風は涼しく吹き、秋の光も含んで葉っぱがキラキラ揺れる。



 息子が水やりしてくれていて、それなりに植物は元気。それでも挨拶がわりに一つずつ確認しながらお水をあげました。いないうちに鳩夫婦がウラジロガシに住み着いた模様。ホッホーと平和な鳴き声が…。
洗濯ものがたくさんあって、旅の汗を流すように何度も洗濯機を回しています。

 昨日のことをもう少し。


山梨県立美術館の常設でミレーに再会。ミレーの部屋の落ち着いたローズピンクの壁も、バルビゾン派の風景画のグリーンの壁も、三十数年前に二人で訪れた当時のままでした。
あまり人のいない空間をピンクのTシャツにカーキ色のパンツという格好で自由に歩いていたら、夫が「壁に同化してる」と笑っていました。確かに。
図録と絵はがきを何枚か買って外へ。夫がみつけると必ずする顔はめご当地看板がここにもあって、なんとそれが「種をまく人」と、「鶏に餌をやる女」なのです。所有していないと作れないレアな看板です。
夫が顔の角度も合わせてしっかりはまり込み、おとぼけな「種をまく人」ができあがりました。お見せしたいほどですが、さすがにここではアップできず残念です。わたしは、農婦にチャレンジしましたが、夫のような顔はめスペシャリストではないのであまりうまくできませんでした。

 見たこともない花 清里にて

 美術館のすぐ近くに山梨県立文学館があります。予定にはなかったのですが、駐車場で「宮澤賢治 若き日の手紙」のポスターを発見して、「おお!岩手からの帰りに、宮澤賢治とは」と感激し、ぜひにと立ち寄ることにしました。
 わたしの故郷岩手の一関市東山町も賢治ゆかりの町です。高校生のとき、大船渡線に乗るために毎日陸中松川という駅まで自転車で通っていました。駅に近くなると石灰の粉がもわっと巻き上がる工場があって、その横を通るときは息を止めて走り抜けていました。その工場が、賢治さんが技師兼営業マン(?)として勤めていた東北砕石工場です。町には「まずもろともに 輝く宇宙の塵となりて……」と賢治さんの詩を刻んだ碑もあるのです。

 
 このつながりにワクワクしながら、展示室に入りました。これがすごかったのです。賢治さんの直筆の手紙がたくさん!こんなに貴重な資料をいちどきに観ることができるなんて信じられません。
これらはすべて山梨県韮崎市出身の保阪嘉内という人に宛てた手紙です。この方は盛岡高等農林学校で賢治さんと出会い、ともに同人誌「アザレア」を創刊します。嘉内さんは学校を放校されますが、二人は文通を続け、友情をつなげていったとのことです。

 車の中から八ヶ岳

 友達に宛て、自分の気持ちを素直に綴った文章は、詩や物語になったものよりもわかりやすく、青春時代の賢治さんの息づかいが感じられるようです。ユーモラスだったり思いつめた調子だったり、いろんな表情の賢治さんを垣間見ることができて、本当に良い展示でした。
宮澤賢治の研究(?)もしている夫も感動した様子。ふたりでじっくり読みながら進み、忘れられない文学館の時間を過ごしました。

 船越保武さんも岩手出身

このあと、山梨でもう一か所行きたいところを訪れたのですが、長くなったのでこのへんで。
リオのテレビ中継みながら、書いたり、旅の荷物の片付けしたりで忙しいー。

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