庭の梅の木に、青い実がそれなりに生っています。きちんと季節は巡っていて、あたりまえだけど不思議な感じです。近所の調整池は、あんなにたくさんいたカモがほとんどいなくなって、かわりにオオヨシキリの鳴き声が響いています。また夏がやって来るというのに、わたしだけ、何も変わらずにトボトボと歩いてる。
大事な梅の木ですが、風通しがよくないせいか今年はアブラムシがびっしりついています。葉っぱがベタベタして、こんな年の梅は何を作ってもあまりうまくできないのです。花梨の木にもウツギにもゾッとするほどついていて、牛乳か木酢液をスプレーしないといけないかなぁと思っています。
その昔、父は、畑のトマトについたアブラムシを、仕事に出かける前と夕方、丁寧に素手でつぶしていました。手が真っ黒になっていて、当時のわたしはなぜそんなことをしないといけないのかわからなかった。無農薬で手間をかけて作った父の自慢のトマトは、やっぱりおいしくて、この何十年父のトマトを越えるものには出会っていないのです。
農蚕学校を出て岩手の小学校の教員になった父。本当は50を過ぎたら畑仕事だけしたかったのかもしれないな。家族のためにおいしい野菜を作って、家族のために年をとってから単身赴任をして、そういう気持ちを大学生だったわたしはもっとわかってあげるべきだった。
そうそう、アブラムシの話でした。父にならって、枝のアブラムシを手で丁寧にこすり落とすのが一番なのかもしれません。でも、ちょっとそれは無理そう…。
それなりに愛おしい
大阪のオカーサンに何年前かにもらったウツギにも花がつきました。黒味がかった赤で、これはいかにもオカーサン好みの色なのですが、ウチの庭にはどうにも映えない感じなので、枝を切って玄関に飾ってみました。もっと大ぶりな花器にドーンと生けたら素敵でしょうが、そんな風流なものはないので、小さくゴチャゴチャとしたものになりました。
うーん、イマイチ
昨年、伊賀であった鈴木重子さんのコンサートの会場に、すばらしいアレンジがありました。ウツギがこんなに素晴らしいものになるなんて、と目が覚める思いがしたものでした。オカーサンの赤黒いウツギも使いようによっては素敵なはずなのに、ブツブツに切られて、申し訳ない感じです。
なんかもう、次元が違う
大事な梅の木ですが、風通しがよくないせいか今年はアブラムシがびっしりついています。葉っぱがベタベタして、こんな年の梅は何を作ってもあまりうまくできないのです。花梨の木にもウツギにもゾッとするほどついていて、牛乳か木酢液をスプレーしないといけないかなぁと思っています。
その昔、父は、畑のトマトについたアブラムシを、仕事に出かける前と夕方、丁寧に素手でつぶしていました。手が真っ黒になっていて、当時のわたしはなぜそんなことをしないといけないのかわからなかった。無農薬で手間をかけて作った父の自慢のトマトは、やっぱりおいしくて、この何十年父のトマトを越えるものには出会っていないのです。
農蚕学校を出て岩手の小学校の教員になった父。本当は50を過ぎたら畑仕事だけしたかったのかもしれないな。家族のためにおいしい野菜を作って、家族のために年をとってから単身赴任をして、そういう気持ちを大学生だったわたしはもっとわかってあげるべきだった。
そうそう、アブラムシの話でした。父にならって、枝のアブラムシを手で丁寧にこすり落とすのが一番なのかもしれません。でも、ちょっとそれは無理そう…。
それなりに愛おしい
大阪のオカーサンに何年前かにもらったウツギにも花がつきました。黒味がかった赤で、これはいかにもオカーサン好みの色なのですが、ウチの庭にはどうにも映えない感じなので、枝を切って玄関に飾ってみました。もっと大ぶりな花器にドーンと生けたら素敵でしょうが、そんな風流なものはないので、小さくゴチャゴチャとしたものになりました。
うーん、イマイチ
昨年、伊賀であった鈴木重子さんのコンサートの会場に、すばらしいアレンジがありました。ウツギがこんなに素晴らしいものになるなんて、と目が覚める思いがしたものでした。オカーサンの赤黒いウツギも使いようによっては素敵なはずなのに、ブツブツに切られて、申し訳ない感じです。
なんかもう、次元が違う